保護者の同意が得られたので、乳幼児のことばの発達の様子の
一例について書きます。
まだ歩けず、初語はありませんが、
(「標準」から見ると、要経過観察というところ)
逃げるおとなをハイハイで追いかける→追いついてつかむ
→肩車→ジェットコースターのように回旋落下して抱かれる
→布団の上まで連れて行かれる→布団の上に寝かされる
→くすぐられる→逃げる大人をまた追いかける
といった長い行程を楽しむようになりました。
同じ行程が繰り返されることで、次の行程を
明らかに予測して楽しみにしている反応がみられます。
ことばはなくても指差しはあり、
気づいた対象物を単に指さすことから、
「これをとって」の要求の意味を含めた指差し、
そして最近は、「この箱を開けて」と大人に渡す行動も出てきました。
「これは○○だよ」と教えても全く聞いていないが、
子どもが指差しで要求することにことばを添えてあげると、
それは聞いている感じ。
「いないいないバー」をすると、「バー」だけを
復唱したかも、と思うこともありますが、
偶然かもしれない。
ただ、ブッブーとか、カッパーとか、
意味はないが音を出している様子が見られ、
子どもの行動に擬態語で応じてやると、ハハハハーと
笑うということ。
ラジオ体操を見て、何となく真似する手の動きも出てきました。
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このお話しを伺っていてほのぼのとしました。
「ことば」はまだないかもしれませんが、内言は確実に増えているなと。
関わる側は、これを教えてやらなきゃというよりも、
一緒に楽しめるということ。
その長い行程自体も、大人の側が一方的に作るのでなく、
子どもと「ともに」できていく、ということ。
「教えてやらなきゃ」と思った瞬間、互いに不自然になってしまいます。
乳幼児期に特に大切と思うのは、
教え込むのでなく、子どもの要求すること、
関心を寄せていることにことばを添えること。
要求がかなうことで、人に要求する→かなう という
人と人との関係の基礎が作られる、
それが「ことば」になっていくこと。
実は、これは構音指導でも言えることで、
単にクンレンで改善するということだけではなく、
(もちろん、クンレン的アプローチが必要なケース、時期はありますが)
その練習の過程自体が思い出として同時に刻まれていく
ということも、いつも感じている必要があるように思っています。
「ことばの発達」には楽しい、守られている、ということがやっぱり
根本として大切だなあと思うのでした。
そして「特別支援教育」というのは、「障害のある子だけに通じる特別な教育」
ということではないのだ、と改めて感じたのでした。
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