ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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怖い、怖いと言っていた子どもも、今回は自らえさをあげようとしています。
不安は、想像力の問題からきていることもあるし、過敏性からきていることもあるし、いずれにせよ、子どもの状態に合わせて、スモールステップが大事だなあと。
いくら「怖くないよ」とことばで言っても、「怖くない状態」が想像できなから、無駄な声かけだし、逆に「怖い」という子どもの感情を否定することになります。
「ボクは、怖いという感情を持ってはいけないんだ」と。
自分の気持ちを自分でとらえる力が育つのを止めてしまうわけですね。
少しずつ、少しずつ。
小児の扱いが上手な某歯医者さんは、子どもの治療室へ近づく恐怖と意思とのアンビバレンツをそのまま受け止め、意思を尊重しながら、スモースステップで椅子まで誘導していました。上手だなあと。
子どもにとっての、安心できる場所、人、活動内容というものがあります。
それを奪い取るのでなく、尊重、大事にしながら、そこから少しずつ広げる、これが原則です。
そんなの世の中に出たら通用しない、とすぐ思われますが、前にも書いたように、双葉が出たばかりの作物に、台風に遭わせるのですか、ということ。もっと、耐えられるまで、育ちを見守る、援助する。「今」の安心感が大事。
育つのは子ども自身。支援者は、横で一緒に歩く人。手を引っ張る人ではない。
いつを大事にするか? 今でしょう!
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