英国王のスピーチ
次期イギリス国王と目されていた主人公。
4歳の時から、吃音が悩みでした。
ビー玉を7個口の中に入れて音読する「治療」をする怪しい言語療法から離れ、
団体会長の推薦で、無資格の「言語聴覚士」“ボーグ”のもとを訪れました。
呼吸法や運動療法、音韻への注意、歌いながら、下品なことばを言いながら、
などのあらゆる治療の甲斐もなく、症状は改善しません。
成果を上げない言語聴覚士ボーグに暴言を吐いて別れを告げる主人公。
しかし、望まなかった王位の継承が決まり、いよいよスピーチをする運命に。
再びあのボーグのもとを訪れます。
ボーグは「症状を治す」ということだけでなく、主人公の背景を丸ごと理解しようとしていました。
つまり、障害や病気の存在を隠す王族の体質、王族内の複雑な人間関係、
食事を与えられなかったなどの生育歴などを丹念に尋ねていました。
そして、主人公の人生全体に寄り添おうとする真摯で誠実な態度によって、
生涯にわたる信頼を勝ち得たのだろうと思いました。
主人公の奥さんは、「あなたと結婚したのは素敵な吃音だったから」と
彼をポジティブに励まし続けていました。
身近に理解者があることは、どれだけの励みになるでしょうか。
ことばの教室で吃音のある子ども達を見ている私は、
果たして「治療者」としてではなく、「理解者」として子どもと出会っているだろうかと思いました。
そして、この映画からは「あなたは、支援の意味を本当に理解しているのか。
相談者の人生に丸ごと寄り添う覚悟があるのか」と問われたような気がしました。
王としてスピーチした時、そばに「言語聴覚士」ボーグが寄り添い、
ある程度症状を抑えることができました。
しかしその内容は「ドイツへの宣戦布告」でした。
症状が抑えられたということと、その内容の悲しみとのコントラストが鮮明でした。
彼は王になることを望んでいませんでした。
果たして、単に症状が軽快することだけが、その人の人生にとって、
どれだけの幸せにつながるのだろうか。
人生とは、支援とは、という本質的な部分を問われたような気がして、
涙が止めどなくあふれてしまいました。
ちまたには、「○○療法で××障害が治る」という触れ込みの宣伝が満ちあふれています。
一見、科学的な体裁を整えているように見えて、実はそれは「ニセ科学」であり、
「バイアス(錯覚)」がその正体なわけです。
症状を治すことだけに注目し、それを売り物にする世の中・・・。
ことばの教室では、「症状」だけでなく、その子をトータルに理解し、
支えるということを大切にしてきました。
まさにこの映画も全く同じです。この映画では歴史だけでなく、
吃音や障害観についてよく調べているように思いました。
「障害観」のみならず、「支援」とは何か、人生とは何か、
人との出会いとは何かを考え直すきっかけになるとてもよい映画です。
強く推薦します!
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この記事は、某団体の原稿を先取りして掲載したものです。
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