乳幼児期の子どものことばの発達には、
1 子どもの要求時に、その要求を言語化等をして返す
2 子どもの興味関心、注目していることに合わせたことばかけ
などがとても大事ですね。
お母さんが映っている同じテレビ画面でも、生放送とビデオとでは、赤ちゃんの反応が全く違う。
生放送では赤ちゃんの反応に対してお母さんがすぐ返してあげるから笑っているけど、録画では赤ちゃんの反応に関係ない一方的な映像だから、ぐずって泣き出してしまう。
ことばは、人との関係の中で育つわけですね。
そして、言葉の意味は重層的ですから、お風呂で体を「洗う」、ゴボウを「洗う」は、全く違う行為、場所、場合なのに「洗う」でくくるわけですね。見た目は違うのに、同じことばを使う。抽象化、記号化なわけです。
講師の先生は、赤ちゃんがそうしたことばを発見していく過程を「野山で野いちごを見つける」とたとえていました。ぴったりな表現だなあと。逆に野いちごを発見することが苦手なお子さん、つまり、物事の共通点、異質点、法則性を発見するのが難しいお子さんもいます。
講演の内容は基本的でしたが、会話のやりとりのことばをしっかりアセスメントとしなければいけない、と何度も強調されていたのは印象的でした。
主語の理解が難しい、自分を差し置いて人のことを指摘しやすい、自分の感じ方は他人も同じだと前提にして考えてしまう(だから人に相談せずに勝手にやってしまう)自閉系のお子さんには、コミュニケーションにつまずきやすくなります。
「公園に行こう」と自分から誘ったのに、自分は行かない、とか。誘うという概念の中に自分も含まれているという一般的な前提が抜けているわけです。
ある実践例では、何人かの絵を描いて、誘った場合、他の人が誘ってきた場合などを視覚的にわかりやすくして、それぞれの場合に出かける人がだれかをイメージしやすくしていました。
コミュニケーションにつまずきがあって、言語発達に遅れがある場合は、コミュニケーションという自立活動をベースにした指導が必要ですね。
物事の関係性はわかっているけれど、ことばだけがすぐ出てこない言語性LD的な子には、語想起や文法、意味論に着目した、たとえば、ことばの穴埋め課題などの課題が合うかもしれない。
でも、形から入ることで、つまり文法学習によって、関係性理解にもつながることもあるわけで。代表的なのは、能動態と受動態。だれがしたのか、されたのか。
経験によって言語は獲得していくけど、言語を使って物事を理解するというベクトルもあるわけですね。
ことばの教室で週の少ない時間で、効果的な指導というのは、本当に奥が深い。
「○○障害だから、この教材を使う」なんて単純なものではないのですね。
同僚と相談しながら進めることが大事です。
きれいなお手紙を書くのに、何時間もかけて、同僚には相談しないで自己完結するのと、
お手紙はそこそこに、それよりも同僚と相談しながら、子どもの見立てを磨いていくのと。
どちらが力量アップになるのかは、明らかです。
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