何歳?
今日は誰と来たの?
学校はどこ?
何年生?
などと、事細かに記載欄に項目が並んでいます。
対面した先生は、その様式を追いかけてメモするだけでも大変です。
子どもの反応を見ているのではなく、検査用紙を注視してしまう様式なのです。
私がやっても同じでしょう。
聞き漏らしはなかったか、と焦ってしまうでしょう。
それでは、文脈に沿って会話を展開する「自由会話」とは異なるのではないでしょうか。
「自由会話」でなく、「不自由会話」です。
年齢や学校、学年などの一問一答に答えられるか、という観点だけで、会話をとらえている。
会話とは、質問に答えられるということだけではありません。
非言語をいかに見ていくか。
共感性をどうみていくか。
会話とは呼吸です。
紙を見つめていては、何も見いだされないのです。
生身の人間として、その子に出会ってどう感じたか、が抜けているのです。
この点も、改革が必要だなあと。
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