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某公立学校ことばの教室教員。言語聴覚士。特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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検査否定も、検査依存も、考察に欠けている

最近、検査法の研修をして欲しいという依頼が多いのですが。
検査の背景理論、認知心理学、神経心理学、発達心理学などの
大学院卒レベルの知識が必要であるという前提が抜けているわけです。

見回すと、多種多様な検査を一人の子どもに行っていても、
どう解釈したか、生育歴や行動観察との関連での検討結果が
何も残っていなかったりします。

これでは、子どもに負担をかけているだけ、指導者の自己満足に過ぎません。

あまり理想的なことを言っていたら、いつまでも検査できない、という主張もわかります。
公的なところに出すためでなく、自分の指導の参考にするためだから、という主張も聞きます。

しかし、自分の指導の参考にするため「だけ」であっても、やはり解釈には専門性が必要なのです。
「だけ」ならば、わざわざ検査しなくても、日常の行動観察「だけ」で、様々なことがわかるはずです。

それがわからないから、検査に依存しようとする。
でも、行動観察から考察する力をつけないと、検査をやっても、結局は何もわからない、ということになるだけでしょう。

一方で、検査そのものをかたくなに否定する主張もあります。
しかしよく尋ねると、検査がどのようなものであるのか、勉強した上での主張ではなかったりします。





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