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某公立学校ことばの教室教員。言語聴覚士。特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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【文献紹介】『こころの科学 認知症』自閉症スペクトラムの遺伝子研究の現状など

・自閉症スペクトラム障害(ASD)との関連が指摘される、ある遺伝子変化は、自閉症スペクトラム障害の集団の1%程度とのこと。
 
・でも報告された遺伝子変化を全て合わせれば、ASD集団の約10%の人に既知の遺伝子変化がある。
 
→とのこと。まだまだこれからのようですね。ただ、ASDは広い概念ですし、環境との相互作用によって、障害がめだたない場合もあるでしょうから、遺伝子だけで説明することは本当にできるのだろうか、という思いも。遺伝的ではあるのでしょうが。
 
 
 
・発達障害という視点は、ユング派の分析家たちの間にはない。むしろ人格障害的なとらえ方がなされている。
 
→発達障害とパーソナリティー障害との関係はよく話題に出ることですが。
 
 認知障害を単なる性格の問題ととらえるのはどうかと思いますが、他者との関係でパーソナリティーという視点で見なければならないこともある、ということも事実であるような。どちらのとらえ方にせよ、本人や関係者を責める概念として使われないで、支援の方策を立てるための概念であるということが大事でしょう。


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【研修レポート】14歳までに現実検討する力(自己対象化)を育てること

著明な先生を迎えての座談会でした。
 
各参加者から日頃の実践上の悩みの相談や、座長からは講話もありました。
 
講話の内容について、今回、yaがメモした内容を転載してみます。
 
  
・就労にあたっては、「やりたい仕事」、「やれる仕事」、「やらせてもらえる仕事」の3つの重なり部分を検討することが大切。
 
・小学校中学年までに、衣食住の基本的な生活スキルを育てること。たとえば、ショッピングバッグを冷蔵庫の前に置いて、冷蔵室、冷凍室、野菜室にそれぞれ分けて入れるスキル、足の指の爪を切るスキルなど。意外とできていないことが多い。
 
・14歳までに現実検討する力(自己対象化)を育てること。自分は何が得意で何が苦手かなど。中2までに育てることで、その後の進路につながる。
 
・一人でも信頼できる大人がいることで、不適切な行動は軽減できる。
 
・ある教科書出版会社の編集に、授業のユニバーサルデザインが専門の方が入って関わっている。教科書のユニバーサルデザイン化は今後進むだろう。特別支援学級担当の先生は、もう一度、通常学級の国語算数ぐらいは、1~6年生までの教科の内容を見直す必要がある。教科指導に個別の視点だけでなく、ユニバーサルデザインの視点を入れられるようにすべきだ。
 
・ある地域の学校の保護者は、漁業、水産加工業だけで60%を占める学校がある。そうした学校では、子ども達が他職種の仕事に触れる機会がない。昔の子どもは、地域で働く人々を目にする機会が多かったが、今は第3次産業の仕事しか目に入る機会がない。学校で習っている内容と、現実(リアリティー)を結びつける必要がある。
 
・親が育つということは、自分の子どもの親としてだけでなく、地域の市民の一人となることである。

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人の立場に立ってということの難しさ

自閉症スペクトラム障害は、人の気持ちが読み取れないと言いますが、
障害の有無にかかわらず、人の立場に立つというのは難しいものです。


1 「あげすぎ」は禁物
相手に何かしてあげることが、相手のためになると思いがちですが、
それがやりすぎてしまうと、
「物をあげると、あなたにとって都合の良い人になる、と損得感情の材料にされているのでは」
「何か下心があるのでは」
「頂ける気持ちの背景に、とてつもない巨大な要求が隠れていて、期待につぶされそう」
「自分でできるのに、何でもやってもらう。自分の力を信頼してくれないのか」
etc.
このような気持ちが人には働きます。
何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし。

2 「断りすぎ」は禁物
逆に、人の厚意をかたくなに断り続ければ、
「自分のことを嫌っているのでは」
「人の善意より、自分のこだわりが大事なのか」
と、厚意そのものだけでなく、存在そのものを否定されたような気持ちになります。
「もう二度と声をかけるか」
となり、コミュニケーションは減退します。
コミュニケーションの減退した相手の態度を見て、
「この人は私に否定的」
と誤解した受け止め方になります。

気持ちは感謝して受け止める、多すぎる場合は上手に断るということが大事です。
何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし。

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子どもの感情を否定しないで、まずは受け止める

子ども「いたいー、いたいー」
おとな「そんなの痛くない、痛くない、我慢しなさい」

子ども「怖いよー」
大人「怖くない、怖くない。何でもないでしょう?」

ついつい、言ってしまいますね。

「そのぐらいのこと」
「そんな小さいこと」
でも、子どもにとっては、とても重大なこと。

大人から見たら、そうでもないことでも、
子どもにとっては、少なくとも、そう感じていることは事実。

感情を否定され続けると、
そうした感情自体を持ってはいけないとか、
表現してはいけない、と思うようになり、
自己否定、そして他者の感情の否定につながるのでしょう。

「痛かったね-、痛かったね-。ここにぶつけたんだね。血は出なかったね」
とまずは受け止めて、その後事実を見せていくという方が。

子どもが少し大きくなったときも。

子ども「ああ、もうだめだ」
大人「そのぐらいのことで、いちいち落ち込んでいたら
世の中でやっていけないでしょ」

こう言われると、「どうせ俺は、世の中でやっていけないんだ」
という自己否定を強めていって、ますま落ち込みます。
片方では、落ち込んではいけないと自分でもわかっている、
わかっているけどできない、という葛藤で苦しんでいる人には、
正攻法での話しかけは、葛藤を強めるだけです。

落ち込んでいる人には、お説教は全く無効です。
その気持ちをよく受け止めつつ、
認知、行動、身体感覚のどれか変えやすいものを変えてみるという方が
効果的ですね。

いずれにせよ、病気や障害の有無にかかわらず、
自分の気持ちを受け止めてもらえるということは大切ですね。

受け止めるかどうかということと、その後の行動をどう適正化するか、
ということとは、分けて考える必要があります。

そして支援者に「将来のため」という焦りがあると、
双方ともに余裕がなくなってきます。

「今、ここ」の楽しさ、安心感があってこそ、
次へつながるということを確認したいのです。


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日本LD学会第19回大会発表論文集 

今年は都合で参加できませんでした。
そこで発表論文集だけでも手に入れて読んでいます。


・花熊 暁先生の「心の理解と発達障害」

→他者理解と自己理解を切り離して考えることはできない。
という主旨が全くその通りと感じました。

これは、子ども達だけでなく、支援者自身にも言えること。
自己を正確に理解できなければ、他者を理解することなどできません。
できているとすれば、それは本などから得た知識を
他人に当てはめているだけなので、紋切り型になってしまいます。

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「自由会話」を視覚的にフィードバック


私は、子どもが話してくれたことを指導記録用紙の裏に
メモすることがあります。
話してくれた内容を構造的に書き連ね、内容を整理し、
それを子どもに見せることで、フィードバックします。

たとえば冗長な話し方には、単語を箇条書きにし、
すっきりとしたまとめ方ができます。

話しが次々とぶ子には、内容ごとに書く場所を整理して、
会話の全体像がわかるようにしています。

まとめて話す力を育てることに役立つ場合があると
感じているからです。

また、こうした「指導記録用紙の裏」が、あとで重要な手がかりになる
ことがあります。

子どもは話を聞いてくれた、まとめてくれたと喜ぶ表情を
浮かべることが少なくないです。
お年頃の女の子には避けた方がいいですが。

子どもがことばで表現しにくいときには、
絵にしてもらって、その絵を材料に会話が盛り上がることがあります。

最後に、会話について良かったことを取り上げて、
花丸を書いてあげます。
これは、大先輩のマネです。
今でも、あの、大先輩の温かくて感謝あふれる
表情での丸を私は描けません。

あの表情ができるには、一生かかるかもしれません。

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依存と甘えと自立

「子どもが自立できないのは、親が甘やかしているから」

確かにそうした事例がないこともないのですが。

その前に、「自立」「甘え」「依存」について、
掘り下げて考えてみる必要があると思うのです。

人は基本的に、子どもも大人も、何かに依存して生きています。

「そんなことはない。私は誰にも頼らず一人で生きている」
と反論が返ってきそうですが、
人は一人では生きていくことはできないし、
実は何かに依存していることに気づいていないだけかもしれません。
あるいは「一人で生きていく」というポリシーに依存しているのかもしれません。

子どもは、養育者への依存の保障があるからこそ、自立できます。

お母さんから離れるのが不安な赤ちゃんでも、
「お母さんはいつもここにいるから大丈夫」とわかると、
少しずつ離れて行動するようになります。

そして時々、お母さんの姿をチラッと見ながら、
居ることを確認できると安心して、
さらに離れていられるようになります。

認知が発達すると、目の前にお母さんがいなくも、
あの場所にいる、あの時間にいる、とわかるから
安心できるわけです。

そして、依存の対象は、養育者から別のものへと拡大していく。

つまり、安心感が保障されるからこそ、人は自立できる、
これは人の発達段階からも言えることでしょう。

いい年して、と言いたくなりますが、
その子にとっては、今が愛着形成の時期。
幼い頃、様々な理由で甘えが成立しなかったからこそ
今それを取り戻すとき。

もちろん、愛情要求の行動、方法に不適切なものがあれば
修正を図りますが、依存や甘えが、その子の発達にとって
必要な通過点、と思えることが少なくありません。

自立できないのは、甘やかしているからではなくて、
甘えと依存の保障期間を通過してきていないからだ、
と思えることの事例の方が多いです。

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サザエさんの4コマまんがで、場面理解、言語表現の指導



子どもの状態像、指導のねらいによって、
ストーリーのあるまんがを使った指導をすることがあります。

人が介在しない、物理的な時間軸、因果律だけのものから、
人が複雑に関わる場面理解の内容まで様々です。

サザエさんは、4コマ目のオチがおもしろいので、
採用することが多いです。
4コマ目を見て、ニヤッと笑うかどうかという反応をよく見ます。

場面理解をねらいとするなら、ランダムに並べた
4コマのマンガをお話しの順に並べかえる課題をしています。

場面理解は良好だが、言語表現が、というお子さんには、
1コマずつ説明する課題を与えます。

かつては私は、側に「○○が、△△した」という例文を示し、
当てはまることばを入れてごらん、という指導をしたことがあります。
たいていの子はつまらない反応を示します。
(もちろん、そうした指導がフィットする子もいます)

そこでどんなに稚拙でも、少しでも表現できたら、それを誉める
というのが今のやり方です。

「今『が』をつけて言えたね。すばらしい」(主語をつける)
「わかめちゃんの気持ちをことばで言えたね。すごい」(感情の言語化)
「セーターの様子を表現できたね。おもしろい」(擬態語)

など、指導者が予め指導目標を頭に置いておいて、
少しでもそれができたら誉める。
なかなかできない場合は、モデルを示して、
真似たら誉めるでもいいですね。

いつもは隠れたり、やめたがる子でも、
ほめることが強化子となる場合は、もっとやりたいと意欲的になります。

課題に意欲的であれば、日常会話にも般化しやすくなる、と感じます。

話しことばを叱られるというのは、大人が考える以上に、
子ども達にはとてもプレッシャーです。

話す意欲を育てることが、言語指導の基本だと思っています。

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ソーシャル・スキル・トレーニングの前に、愛着形成はどうなの?

最近の研修会、事例検討会でのメモの抜粋です。
 



(コミュニケーション編)

・ソーシャル・スキル・トレーニングの前に、愛着形成はどうなの? 
「いやだ」と言えるようにする前に、人に甘えることができているの?  

→(感想)とかくマニュアルに偏りがちですが、子どもの発達を生育歴からトータルに見ることの大切さを想います。



・構音指導には、4~5歳の発達レベルが必要。復唱でワードパーシャル(「りんご」の復唱で「ご」など、語の一部)が出るのは、構音訓練の前の段階。聞き分けが文レベルででき、口腔内の協調運動、構音動作、学習姿勢・指導の意図がわかる、の全てがそろう必要がある。

→「すぐに治してあげなければ」と焦る気持ちはよくわかりますね。復唱がだいたいできる段階で、構音指導開始ですね。



・コミュニケーションは、「共感」と「スキル(意味を伝える)」の両方が合致するもの。

→(感想)共感だけでもなく、スキルだけでもなく、というか、両者は一体のものなのでしょうね。



・「表現、理解」の考察を。「ことば」が、人と関わる手段になっているか。

→(感想)「ことば」は単なる音声言語ではないということ。



・「指差し」に要求、叙述的機能があるか

→(感想)単に指差しているだけか、人の関心を引こうとしているかなど、指差しにも、本当に深い意味があると思います。



(咀嚼・嚥下編)

・咀嚼・嚥下も「認知、運動、機能」の3つを見ることが大事

→(感想)子どもを多視点で、トータルに見るというのは、教育も医療も同じ。発達障害についての指導でも「認知」は重要ですが、咀嚼・嚥下でもやはり重要ですね。



・口蓋に食べ物がくっつく場合は、高口蓋の可能性も疑う

→(感想)口腔内視診で高口蓋の確認は、ことばの教室でも大事ですが、つい検討項目から見落としがちです。


・コップの水を飲むとき、上口唇を伸ばす動きがあるかどうかは大事だが、それに注目しすぎると、余計な力を入れることになるので、訓練から省く。

→(感想)構音指導も嚥下指導も、余計な力を入れないようにする、という点では全く同じですね。全身の状態も評価する点でも同じ。



・舌顎分離運動ができて、哺乳食中期。

→(感想)これも構音指導の際に必要な視点。



・スプーンを口に入れると噛む子に、無理矢理引っ張るのは逆効果。自分で力を緩めたタイミングでスプーンを抜く。

→(感想)緊張と弛緩についても、感覚統合、作業療法の視点も必要ですね。拮抗する力を加えると、緊張が高まるのは当然。構音指導でも、舌のなで方一つで、緊張・弛緩の反応が違ってきます。
 

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