ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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特別支援教育の「形」をどのように整えようと、子どもによりそった判断と実践に結びつかなければ、「形」は意味をなさないばかりか、有害ですらあります。
確かに特別支援教育は、一人のスーパーティーチャーが全てを背負うものではなく、教職員等の集団で取り組むべきは言うまでもありません。
しかし、その集団を構成するメンバーに、子ども理解の視点と手立てのセンスがなければ、会議を開けば開くほど、集団で判断を誤るということになります。当事者、関係者の思いから遠く離れた実践になるのです。そうした事例をたくさん、目に、耳にしてきました。
逆に、一人の「スーパーティーチャー」が、バイアスのかかった情報を垂れ流しながら、自己保身に走り、集団を巻き込んでいる事例も見てきました。
特別支援教育を進めるには、構成するメンバーに事実を見抜くセンスと、学術的支柱がなければなりません。
結局は「人」に帰結するのです。
「教育は人なり」なのです。
自戒を込めて。
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子どものそのときの状態だけでなく、過去からどういう経緯で今に至っているのかを見ること。
「今」しか見なければ、「できない子」に見えるけど、過去からの経緯がわかっていれば「こんなに成長したのか」と見えてきます。
子どもの育ちを長い目で見て信じること。
それは子どもにとっても、大人にとっても、大切なことだと思うのです。
今日は参観日でした。
先生方や親御さんに、今日の様子をお尋ねしたり、参観したりしながら、過去からの育ち、プラスの変化をフィードバックさせて頂く機会となりました。
子ども達の笑顔や行動、周辺情報に触れてほっとしました。
幼児からの就学への連結の苦労が報われた想いがしました。
人づてに聞くと、どうしても情報にバイアスがかかりますが、直に訪ねると色々なことが見えてきます。
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構音障害については、私の「構音の指導研修DVD ver.4.0」を用いた解説。
吃音については、昨年 BS日テレで放映された
「どもってもいいんだよ 僕は吃音ドクターです」のビデオを見ました。
http://www.ntv.co.jp/document/back/201204.html
吃音当事者で、耳鼻咽喉科医師で、吃音の脳科学の最先端をいく研究者である菊池良和さんの出演する番組です。
吃音では、練習目的で言い直しをさせたり、深呼吸してから言ってご覧とか、慌てないで言ってご覧などの注意は基本的に禁忌です。
だまって聞いてあげればいいのです。
ただ、ことばの教室では「楽にどもる」ための練習、発話の流ちょう性を高める練習をすることがあります。
リズム法や、ハミングしてから発話するなどなど。筋緊張のコントロールのために、私はヨーガをすることもあります。
ただ、それらの直接的アプローチは、本人に吃音の自覚があって、練習したいという気持ちがある場合に限られるでしょう。
吃音については様々な考え方があるので、それらの諸説を俯瞰しつつ、子どもにフィットする考え方を採用する、という姿勢が必要と思います。
そして、本人に練習方法の選択をしてもらうことが大事です。
LD、ADHDについては、小学校時代にいかに楽しく生活し、成功体験を積めるかが大事というお話。
自閉症では、「死人の目標」ではなく、イメージしやすい目標設定を。SSTの例。
そして難聴については、自分の体験を交えて力が入ってしまいましたが、
1)遠くから大声でなく、近くから普通の大きさの声で話しかける
2)口元を見せながら話す
3)雑音があると、てきめんに聞き取りが難しくなる。一度に複数の人が話していても聞き取りにくい。
4)周波数によって、聞き取れる音が違う。私は、低音障害型なので、マ行、ナ行が聞き取りにくい。
「波」が「あみ」に聞こえたというエピソード。
5)学級の席は、窓側の前から2番目が良い事が多い。
6)低学年では、聴覚的弁別や、指示が通りにくい場合などは、聴力検査を。中耳炎や、耳垢がつまって、聞こえが悪くなっている場合もある。
などのお話をしました。
情緒障害(場面緘黙)については、「話さない」のではなく「話せない」こと。敵意をもって話さないのではなく、不安がそうさせているということ。
人、場所、活動内容のうち、人が変わることが一番不安が高まること。
3つの要素を一度に変えず、まず3要素が安定して、安心して生活できるようにし、自分から広がっていきたいという気持ちを大事にしながら、3要素を少しずつ変えてみること。
話す練習ではなく、不安の軽減を目標とすること。首振り反応や筆談、ジェスチャーなどの非言語の尊重。回答を求める質問は控えるが、たくさん話しかけてあげること。
言語発達を評価し、場面緘黙との関係を検討すること。(たとえば、PVT-R(絵画語い発達検査)は、指さしだけで回答できるので、おおよその語いを測ることができる。)
ものすごくかいつまんでいて、ダイジェスト的な研修になりましたが、新しい先生には、だいたいの雰囲気を掴んで頂くのが目的でしょうから、その目的には叶っていたと思います。
コメントやツイッター等で質問、要望も頂いていたので、ちょっとお裾分けでした。
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当教室では半分の先生が人事で交替したため、新しい先生への研修をとのことで、4日間、シリーズで行っています。
おおまかには、
1 構音障害の理解と指導
2 吃音の理解と指導
3 言語発達遅滞、その他発達障害の理解と指導
4 通級指導教室のシステムについて
などとし、
ところどころ、自作教材を紹介しながら、体験から抽象的な理論へというベクトルを心がけています。
教材紹介は、子ども理解をとばして、その教材をそのまま使えば良いという誤解を招きやすいのですが、新しい先生には「明日の指導をどうしたらよいか」という切実な問題があります。
そこで、教材の目的、対象となる児童、ならない児童の考え方を必ず添えて、教材紹介を行っています。
また、ビデオやパワーポイントを多用して、視覚的なわかりやすさを心がけています。
一方、今年度2回予定している公的な研修講座についても、何ヶ月先の講座の申し込みが、新しい先生を中心にもう入り始めています。
これはかつてなかったことです。
新しい先生の研修意欲に応えていきたいと思います。
今年で私の通級指導教室経験年数は、17年目となりましたが、15年以上の経験者は、この地方では3名しかいません。
「伝承の危機」を感じながらも、一方では、先生方の学びたいという意欲を感じています。
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報道にもあるように、予算案が議会を通っていれば、今年から当自治体でも、5歳児健診が始まります。
1歳半健診や3歳児健診では心配がなくても、幼稚園や保育園などの集団生活を過ごすようになってから、心配なことが出てくることがあります。
何でも早期発見すればよいというわけではないでしょう。
しかし一方では、就学相談に携わっていると、もう少し早く支援につながっていたら、と思うことがあることも事実です。
5歳児健診では、そうしたお子さん、ご家族へのサポートのきっかけとなればと思います。
課題は、該当幼児(いわゆる「年中さん」)が毎年1000名にも上ることです。
既存の医師や臨床心理士、発達支援センター職員等が依頼業務として引き受け、支援の必要な事例については、経過観察や訪問などのフォローをするわけです。
「発見」はしたものの、その後のフォローをどのように進めるかが課題になると思われます。
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という主張があるということも、知っておくことが大切と思います。
「RTI」です。
個別的な知能検査ばかりか、学力検査も必要がないと主張。
まずは通常の教え方をしてみて、反応がなければ、カリキュラムを変えてみて、それでもだめなら個別的な支援を行う、というもの。
知能検査の結果と、学力検査との間に差異(ディスクレパンシー)があることが、LDの定義なわけですが、そのこと自体も批判するし、IQも含めての異議申し立てなわけです。
こうした考え方に触れることで、逆に知能検査の意味、子どもをどう理解するかという原点を振り返るきっかけになるのではないでしょうか。
知能検査をあまりにも重視して、本当に子どもの力を反映しているのかという視点がおろそかになってはいけないでしょう。
逆に、全く否定してしまえば、その子がなぜつまずいているのか、どのような手だてをとったらいいのか、の客観的な理解、判断が難しくなります。
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「あなたとは違いますから!」
とは、某元総理大臣の記者会見での発言・・・。
以下は、それとは主旨が違う話ですが。
「あの人はこういう人。私とは違う」
という論調があります。
怒りっぽい人をみて、私とは違う。
悲観的な人を見て、私とは違う。
はたして、そうでしょうか。
誰にだって、怒りたくなるときがある。
誰にだって、泣きたいときがある。
誰にだって、絶望に落ちるときがある。
だからこそ支援者は、その本人の苦しみを自分のこととして感じ取り、共感するのでなければなりません。
たいてい、他人の問題を指摘する人は、自分にも当てはまることに気づいていません。
彼の、彼女の問題は、自分自身の中にもある、と支援者は見抜かなければならないのです。
しかし、支援者自身も、自分に余裕がなくなると、他人の気持ちに共感することが難しくなります。
そうした時は、少し休むことが必要ですし、
自分の出番ではないと、きっぱり他人に任せることも必要でしょう。
それができるのが支援者なのでしょう。
ちなみに、私の病気は、静養と運動の両方が必要です。
ゆっくり寝ているかと思えば、急にウォーキングを始めたりするので、
家族でも理解が難しいかもしれません。
昼間は活動的に仕事をしているように見えても、寝る時間が一時間狂うと、
翌日ぐったりしてしまいますし、耳鳴りや、聴覚補充現象がひどくなってしまいます。
周りに理解されにくい障害や病気があるのだということ。
メニエール病は、誤解されやすい、理解されにくい病気の代表のひとつです。
レッテル貼りがはやっているから、と単純にとらえられるものではないのです。
誤解されやすい障害、まさに私たちが扱っている領域ですが、
それは病気にもあります。
一昔前までは、「LD児なんていない」と言われていましたね。
「自閉症で、感情のコントロールが難しい子にどう指導したら」
という相談を受けることがあります。
「自閉症だから」という前に、自分自身にも、感情のコントロールができない
時はなかったか、と問えば、そこに答えがあるように思うのです。
もちろん、自閉症の特性をとらえての対応は必要ですが、
やれ「アンガーマネジメント」だの、すぐ方法論に行ってしまうところに、
「共感」の二文字が入る余地はあるのでしょうか?
今日はマイナス30度近くの厳寒の地もあったようですが、
他人の問題を自分のこととして受け止める人が増えれば、
もっと世の中は温かくなるだろうと思うのです。
語ることばの中に、"You" とか、 ”He” とか、She” とかではなく、
"We" を増やしていきたいと思うのです。
「障害はお互い様」の地平に、支援者は立たなければならないのです。
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「大きな古時計」
「♪ おじいーさんと いっしょに チク タク チク タク
いまはっ、もう、うごかない、おじいーさんのー おじさんー ♪ 」
(なんで、そんな遠い親戚なの?)
「楽しく遊ぶことができる」
この目標には、いろいろと検討すべき内容が含まれています。
まず、楽しく遊ぶこと自体は、通級でもっとも大切なことです。
(通級に限らず、学びが楽しいということは、教育の基本なのでしょう)
「楽しさ、安心感があってこそ、能力は伸びる」
子どもの発達支援を考えるSTの会の主催 中川信子先生のことばです。
また先生は、
「笑顔がエビデンス」
ともおっしゃっています。
指導内容、方法の「科学的根拠」はもちろん大事なことですが、
子どもの笑顔があってこそ、その内容、方法が子どもに合っているということですし、
一番大事にしなければならないこと、だと思います。
そのことを前提にした上でですが。
「楽しく遊ぶことができる」
これはたとえば、テレビゲームを一時間いっぱいやったとしても、
目標は達成ということになってしまいます。
(もちろん、そうしたアプローチが必要な子もいますが)
楽しさの中身、子どもの育ちをどのように手助けしていくかという観点を
抜いてはならないのでしょう。
・ルールを理解し、守ることで、ゲーム自体の楽しさを体験することができる。
・話し合いの中で、自分の意見と他人の意見とを理解、比較して、
折衷案を提案できる。
・負けても物をたたかず、ことばで悔しさを適切なことばで表現できる
などなど、様々な下位目標が考えられるのでしょう。
*
さて、何回かに分けて指導目標を検討してきました。
最後に一番大事だと思うこと。
それは、
「○○させる」とか「○○できるようにする」という表現は、大人目線だということ。
支援者が子どもに、という視点です。
「○○できる」とか「○○できるようになる」
つまり、子ども目線で目標を設定すること。
そして、「○○できる」こと自体が、子どの「人生の文脈」にとってどうなのか、
本人にとってどれだけの価値があるのか、という洞察があって初めて、
子どもを主役にした指導目標が設定できるのでしょう。
支援者はあくまでも脇役、黒子、助産師です。