アメリカでは、職務の範囲をきちんと決め、それ以外のことはしなくていい。だから、その仕事の専門性は高い。
対して日本では、オールマイティーにできることが求められる。だから専門家も育たない。
アメリカの企業は、企業内の人事評価を縦にも横にも360度できちんと行う。
勤務時間の2,3割は人事評価の時間と言っても良い。
対して日本では、人事評価は上司の気分で決めてしまう危険性がある。
学校教育の教員にも人事評価が導入され、ついに月給にも反映される見通してです。
あまり仕事をしない先生と、がんばっている先生とが、同じ給料であることに違和感を覚えることは事実です。
しかし、教員の評価は難しい。
ことばの教室担当となると、さらに難しいのでは。
何をもって、がんばっていると評価するのか。
でも、給料のことはさておき、それよりもっと大事なこと。
「小学校教員なのだから、全ての仕事を経験していなくてはならない」
「ことばの教室をずっと担当するということは、2年生をずっと担当するのと同じだ」
まだまだ、日本の古き慣習に縛られて、通ってくる子ども達のための考え方なり、制度になっていないことが一番の問題では。
自分が正しいと思っている価値観自体が、時代や地域の常識の枠組みの中にはまっているということに気づくことが大切なのでは。
メタ認知です。
ことばの教室を初めて開設した当時の親御さんや教員、行政の思いが、なぜ未だに制度として整わないのか。
数は増えているが。
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