ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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障害者の権利に関する条約
(外務省HP)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/shomei_32b.html
第二十四条 教育
1 締約国は、教育についての障害者の権利を認める。締約国は、この権利を差別なしに、かつ、機会の均等を基礎として実現するため、次のことを目的とするあらゆる段階における障害者を包容する教育制度及び生涯学習を確保する。
(a) 人間の潜在能力並びに尊厳及び自己の価値についての意識を十分に発達させ、並びに人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化すること。
(b) 障害者が、その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。
(c) 障害者が自由な社会に効果的に参加することを可能とすること。
2 締約国は、1の権利の実現に当たり、次のことを確保する。
(a) 障害者が障害を理由として教育制度一般から排除されないこと及び障害のある児童が障害を理由として無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと。
(b) 障害者が、他の者と平等に、自己の生活する地域社会において、包容され、質が高く、かつ、無償の初等教育の機会及び中等教育の機会を与えられること。
(c) 個人に必要とされる合理的配慮が提供されること。
(d) 障害者が、その効果的な教育を容易にするために必要な支援を教育制度一般の下で受けること。
(e) 学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられることを確保すること。
3 締約国は、障害者が地域社会の構成員として教育に完全かつ平等に参加することを容易にするため、障害者が生活する上での技能及び社会的な発達のための技能を習得することを可能とする。このため、締約国は、次のことを含む適当な措置をとる。
(a) 点字、代替的な文字、意思疎通の補助的及び代替的な形態、手段及び様式並びに適応及び移動のための技能の習得並びに障害者相互による支援及び助言を容易にすること。
(b) 手話の習得及び聴覚障害者の社会の言語的な同一性の促進を容易にすること。
(c) 視覚障害若しくは聴覚障害又はこれらの重複障害のある者(特に児童)の教育が、その個人にとって最も適当な言語並びに意思疎通の形態及び手段で、かつ、学問的及び社会的な発達を最大にする環境において行われることを確保すること。
4 締約国は、1の権利の実現の確保を助長することを目的として、手話又は点字について能力を有する教員(障害のある教員を含む。)を雇用し、並びに教育のすべての段階に従事する専門家及び職員に対する研修を行うための適当な措置をとる。この研修には、障害についての意識の向上を組み入れ、また、適当な意思疎通の補助的及び代替的な形態、手段及び様式の使用並びに障害者を支援するための教育技法及び教材の使用を組み入れるものとする。
5 締約国は、障害者が、差別なしに、かつ、他の者と平等に高等教育一般、職業訓練、成人教育及び生涯学習の機会を与えられることを確保する。このため、締約国は、合理的配慮が障害者に提供されることを確保する。
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さて、私の読み取りですが、これらは単に
「障害のある子とない子が共に教育を受ける」
という主旨と考えて良いのでしょうか?
必要な支援の手立てを必要な子に、というのが主なのでは?
「障害のある子」、「ない子」という表現自体、二元論なのでは?
単に分離教育でも、単に統合教育でもない。
特別支援教育へ、という流れだったのでは?
インクルーシブ教育とは、「障害のある子とない子が共に」
というだけの意味だったのでしょうか?
特別支援教育とは
Specialized Needs Education
ですよね。
「大部分、個別に学習する時間の方が落ち着ける」
という子がいるなら、これもニーズの一つですよね。
逆もまた言えますが。
統合教育とインクルーシブ教育との違いをどう考えるのでしょうか?
と、先日ある先生と話しをしていて、お互いにそう感じたのでした。
発達障害の受験生に特例措置
http://bioimpact.jp/news/detail/147556
ソースのNHKの記事は既に削除されたようですが。
大学入試センター
http://www.dnc.ac.jp/
重度難聴などの特例措置は載っていますが、
発達障害についても、この措置を拡大するということでしょうか。
ある研修会でも著名な方が、特例措置が決まった、
と話しをされたそうです。
詳しい方教えてください。
大学入試に特例措置がなされるということは、
高校の特例措置、そして中、小、と
授業のあり方にも影響していくのではないでしょうか。
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旧週時数
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新週時数
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増減
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1年
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23
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25
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+2
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2年
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24
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26
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+2
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3年
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26
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27
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4年
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27
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28
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5年
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27
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28
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+1
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6年
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27
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「ことばの教室の時間割の混雑の解消のために、
通級時間が在籍校の授業時間に一部食い込む場合があります。
通級指導を受けた時間は、在籍校で授業を受けたものと見なす規定になっていますので、
早退扱いにはなりません。
何とぞご理解くださいますようお願い致します」
今から9年前、言語障害教育関連の研究会に全員で出席することに
管理職や一般の先生方の理解を得られない事態が発生していました。
9年前だけでなく、今でも、そうした話をちらほら耳にし、
最近も、人事を含め、理解されていない話を聞きました。
「通常学級と同じように、担当は毎年替わるべきだ」
「通級の専門性と言うが、通常学級担任も専門性は必要であり、同じだ」
これらの不理解の背景には、通常学級の人事とプールで行っている、
という制度上の問題もあります。
「養護教諭」と同じように、免許や採用段階から別枠であれば、
こうした不理解は生じにくいかもしれない、と思います。
実際、そうでなければなりません。
現在の人事システムのあり方の側がおかしいのです。
言語障害教育の専門性を保障する研修養成機関が全く不十分であるということは、文部科学省も認めているところです。
以下、9年前当時、管理職や一般の先生方への説明資料として作成したものがあります。以下、一部抜粋して引用します。
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1 ことばの教室の研修についての基礎的理解
(1)ことばの教室の業務は、医療的な知識も含めた、教員免許の取得できる大学では学べない知識が必要であり、教室の担当になってから初めて研修しなければならない。この点で、普通学級の教員の研修とは質的に異なるものである。
(2)全国的に見ても、教員免許の単位と、言語障害教育の知識を履修する単位の両方を取れる大学はほとんどない。また、その業務の特殊性にも関わらず、普通学級の教員の人事と同じ枠でことばの教室の人事を行うという問題が未解決である。ことばの教室では、高度な専門性が必要であるにも関わらず、養成機関が全く未成熟である、という基本的認識に立たなければならない。旧文部省、現文部科学省も同じ見解を諮問機関を通して表明している。
(3)他市町村の「ことばの教室」の研修旅費については、普通学級の予算枠とは別に、複数の市町村がお金を出し合い、独自の枠で研修旅費を立てている。これは、ことばの教室が他の市町村の子ども達も利用するという「通級制」という開放性の実状に合わせたものである。
(4)これらのことから、普通学級と同じ考え方、ことばの教室が「学校の一部」という考え方は、ことばの教室の特殊性を無視したものである。
(5)研修会への参加の仕方について、「全員が参加すべきでない」としている教室は、他に例がない。また、公的調査によると「全職員が参加できる教室の割合」は、毎年80~90%以上である。しかも、参加を断念する教室については、担当者が通級児の指導を休めないと判断したものであり、「普通学級と同じ扱いにしなければならない」という理由で参加できない教室は、皆無である。
(6)一部の担当者が参加して、参加できなかった担当者に後日環流すればよいとか、研修図書を読めば参加しなくてもよい、とも言われる。しかし、口腔内のビデオ撮影は文書では環流できない。また、難解な用語を理解するためには、本を読むだけでは全く足りない。そうではなく、ことばの教室担当者の養成機関は全く未整備である、という基礎的理解に立たなければならない。
(7)研修中の指導の振り替えについては、過去の確認通りに進めているし、親御さんからも苦情は一切ない。時数よりも、むしろ「質」については、様々な苦情が出ている。
2 ことばの教室担当者の研修を巡る国内情勢
(1)文部省調査研究協力者会議第2次報告(98.10.21)「特殊教育の改善充実について」
→ 言語障害の専門性の確保については、研修制度で対応してきたが、養成・免許制度の側面からの対応が不十分。
(2)教員養成系で言語障害の専門課程を卒業した担当者はごくわずか。
(3)通級学級に関する調査協力者会議「通級による指導に関する充実方策について(審議のまとめ)」
平成4年3月30日
→ 「通級による指導を適切に行うため、市町村や校内の力量を養うための研修の充実が必要」
(4)「言語聴覚士」の国家資格化により、病院内の「医療ST」と「学校のことばの教室ST」が同レベルで専門性を問われるようなったこと。
(5)文部科学省諮問機関最終答申(2001.1.15)でも、通級制担当教員に対する市町村レベルでの研修のフォローの重要性、養成機関の未整備について厳しく指摘した。
3 通級制担当教員の研修についての文部省方針
「通級による指導が教育効果を上げるためには、何よりも担当教員の資質が重要となります。なぜなら、通級による指導は、限られた時間の中で1対1の個別指導が中心になるため、(中略)期待された教育効果を上げることができなければ、通級の意義そのものを問われることになります。
(中略)
・・・なお、通級による指導は・・・高度の専門性が要求されるので、特殊教育諸学校の教員免許を所有している教員を充てるなど指導力のある教員をその担当とするなどの配慮が必要になります」
『通級による指導の手引き』文部省特殊教育課内特殊教育研究会 第一法規出版
4 親の会の声
「・・・当事者の先生もお気の毒ですが、最大の被害者は子ども達ということになってしまいます。この原因は、第1に制度上『小・中学校教諭普通免許状所有者なら言語障害教育もできる筈』という建て前になっているからであり、第2には、人事異動に関して、6~10年以上の同一校勤務または同一障害種別担任を認めない都道府県ごとの内規があって、それを頑なに守ろうとすることによります。現実には、何の知識も無しに言語障害教育に就任した先生は何をどうすればいいのか困惑し、十分な指導ができないという例が多いことは、各種の調査・統計が物語っています。」
『全国言語障害児をもつ親の会 ことば』No.188号 1999.12.8 より引用
5 研究団体調査
(1)一教室一担任で困っている内容は?
・教室内で研修できない 59%
・ケース会議ができない 44%
・悩みを相談できる人がいない 44%
6 これまでの話し合いの経過
・(研修で指導が欠ける場合の振り替えについて)→ 親や子どもと話し合った上で可能な範囲で振り替えるよう努める。(1998年9月5日確認)
・(地教委の回答)ことばの教室の研修の大切さはわかる。どんどん参加して研修を深めるのは良いのではないか。ただ予算は計画的に執行して欲しい。
・(地教委の回答)「現場の苦労は分かっている。親から(時数が欠けることについて)苦情は上がってきていない。親の会とも話し合って理解を得て進めることについてはその通りだと思う。」
7 関係者発言
(1)「地域の研究団体は、地域の言語治療教育の質的レベルの維持に重要」(全国組織幹部)
(2)地域研究会会長(管理職)の公式発言主旨(1999.11)
「私は、ことばの教室のある学校で勤務したことがあるので、ことばの教室のことはよくわかる。研修は過程が重要だ。ことばの教室のような専門性の高い仕事は、本を読むだけではわからない。集まって協議することが重要だ。『側音化構音障害』の指導に7年かかったという話を聞いた。教育の本質がここにある」
8 その他
(1)親の会は、指導時数よりも「質」を問題にしている。2年前親の会が、「質」の問題で一触即発の事態に至った経緯を知るべきである。
(2)私たちは、「旅費」の増額を要求していない。お金よりも、全員が参加できることを優先しているためである。したがって「予算がないから、全員参加できない」と言うことはできない。
*************
今の私にできること。
・通級担当を1年でも長く続けること。
・新しい先生への支援を本気で進めること
・通級担当の専門性の理解のために、様々な活動を行うこと
『構音の指導研修DVD』にしても、それらは私の自己顕示欲、地位欲のためでなく、
永く苦しい道のりを経て来て、それらに応えるために、
今しなければならないことを形にしたものの一つです。
「こんなに使えない!」
今日のグループウェア研修会での感想です。
グループウェアは、市町村内の学校の教職員用パソコンを
一台一台全て回線でつなぎ、データをやりとりするものです。
このメリット。
他校通級の児童の学級担任との情報交換が格段にやりやすくなります。
これまでは、通級票に挟んだ教材を担任の先生に、子どもを通じて見せたり、
FAXを通じてやりとりする場合がありましたが、
グループ内メールを使うことで、瞬時に指導の様子を伝えることができます。
相手がパソコンを開く先生ならの話なので、事前の協議と合意が必要でしょうし、
「実際に会って交流する」ことがないがしろになってはまずいですが。
使えるのはそれぐらい。
他はアナログの方がずっと合理的だと思いました。
全児童の出席状況を整理する機能もあるようですが、
職員室に板書するのと、
パソコンを開いて電源を入れ直して、
グループウエアにアクセスしてインプットするのと、
どちらが速いでしょうか?
校内で出欠状況が把握できるというメリットがうたわれますが、
そんな数字、一日の中で何回必要でしょうか?
「今日の全校児童の欠席数は?」
「ええと、ちょっとまってください。今アクセスしますから」
「ちょっとまってください」の数秒間が、
学校現場でいかに致命的な時間的ロスであることか。
職員室の板書なら、見たらすぐわかります。
それに、欠席数データ化してしまったら、
ADHDの子に「欠席数を職員室に行って書いてきて」
の指示ネタがなくなってしまいますね。
学年打ち合わせで、顔を合わせながらスケジュール調整するのと、
週のスケジュールを一つ一つインプットして、バッティングを画面で
確認し、バッティングしたら、やっぱりミーティングして調整するのと、
どちらが合理的でしょうか?
打ち合わせ後にインプットするとしても、
打ち合わせ時にメモしますよね。
またインプットし直す時間と手間は、学校現場には致命的なロスです。
体育館に移動するたびに、事前に「今体育館にいます」とメッセージを残すことを
いちいちできるでしょうか?
「子どもと向き合う時間を確保するために(パソコンの導入が良い)」
とうたわれています。
全く逆ですね。
画面に向き合う時間は確実に増えるでしょうが。
今ほとんどの人は携帯を持っていますが、
その機能を全部使っている人はあまりいないですよね。
技術はあっても、それが現場でどれくらい使えるかは別。
「使われる」のでなく、「使う」こと。
与えられた機能を全部使わなければ、という強迫観念を
まじめな学校教員は持ってしまいがちです。
手段の見た目の美しさ、便利さに心が奪われ、
結局手間が増えたり、目的がずれていくということを
このことに限らず、色々見てきました。
特別支援教育も最近、そうした風潮を感じることがあって、
何とか本質に立ち返って欲しいと切に願っています。
文字が半角ずれているのを直す暇があったら、
様式を整える暇があったら、
学級や職員室へ足を運んで、対面することの方がいかに大切でしょうか。
早いところでは、内示が出た頃ではないでしょうか。
残念な話し、寂しい話しもありますが、
うれしい話し、期待できる話しもあります。
通級担当を含め、担任は全て一年で交替することを
決めている学校もあれば、
これからそのことも含めて話し合うという学校もあります。
ある先生に尋ねられました。
「ことばの教室の先生は、一年で替わってもいいのですか?」
含みのある質問でした。
私は、通ってくる子ども達、親御さん達の立場に立って
考えて頂けるとうれしい、とお話しさせて頂きました。
これから教室が形になっていく学校だけに、
初めが肝心だと思いました。
聞いてくださった先生は、とても責任感のある先生です。
話しが良い方向に行くことを祈っています。
1年、2年の経験では、まだまだ何もわからない状態です。
私自身振りかえってみると。
今日、全国公立学校難聴言語障害教育研究協議会の資料に
目を通しました。
どこの地域でも、担当の専門性が課題になっているようです。
STの免許を教員も取れるように、との意見もありましたが、
STのカリキュラムは、どちらかというと医療系に重点が
置かれています。
学校教育に参考になる部分もありますが、
(アセスメントとか評価とか、エビデンス・ベーストの厳しさなど)
ナトリウムイオンがどうしたとか、外胚葉由来だとかの知識は、
教育にはすぐには必要ではないでしょう。
基本的に、私たちの分野は教育です。
学級担任と連携しながら、教科書を横目で見ながら、
「育てる」のが仕事です。
構音指導だって、医療行為と言うよりは、育てる行為でしょう。
「治すものではなく、育てるもの」
であれば、教育の専門免許状を作った方がいいと思うのです。
文部科学省は早く、通級担当の専門免許制度を作って下さい!
と叫びたくなります。
通級担当が一年で替わることが当たり前のように語られたとき、
とても落胆した表情をされていたのは、ケース会議に出席されていた
医療関係者でした。
昨日まで皮膚科だった先生が、
今日から小児科を標榜するようなものですね。
毎年担当科を順繰り回す総合病院に、
あなたは病気を診てもらいたいですか?
医療と教育は違いますが、
分野の専門性という部分では同じです。
文部科学省1178号通知
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/06050817.htm
ア 自閉症者
自閉症又はそれに類するもので、通常の学級での学習におおむね参加でき、一部特別な指導を必要とする程度のもの
イ 情緒障害者
主として心理的な要因による選択性かん黙等があるもので、通常の学級での学習におおむね参加でき、一部特別な指導を必要とする程度のもの
ウ 学習障害者
全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示すもので、一部特別な指導を必要とする程度のもの
エ 注意欠陥多動性障害者
年齢又は発達に不釣り合いな注意力、又は衝動性・多動性が認められ、社会的な活動や学業の機能に支障をきたすもので、一部特別な指導を必要とする程度のもの
→通級の判断には、障害についての正確な理解が必要です。
たとえば単に落ちつきがないから通級ではなく、
社会的な活動や学業の機能に支障を来していなければなりません。
「イ 通級による指導を行うに際しては、必要に応じ、校長、教頭、特別支援教育コーディネーター、担任教員、その他必要と思われる者で構成する校内委員会において、その必要性を検討するとともに、文部科学省の委嘱事業である特別支援教育体制推進事業等により各都道府県教育委員会等に設けられた専門家チームや巡回相談等を活用すること。」
→つまり、通級の判断は、1対1の検査場面だけでしてはいけないということでしょう。
様々な関係者の意見を聞いて判断すること。
校内委員会まで開くかどうかは柔軟性が必要でしょうが、
通級を始める時も、続けるときも、終わるときも、
学級担任の先生や保護者の意見も、そして可能なら本人の意見も、
最低、聞かなければならないでしょう。
「エ 学習障害又は注意欠陥多動性障害の児童生徒については、通級による指導の対象とするまでもなく、通常の学級における教員の適切な配慮やティーム・ティーチングの活用、学習内容の習熟の程度に応じた指導の工夫等により、対応することが適切である者も多くみられることに十分留意すること。」
→つまり、障害があるから、心配だからただちに通級、ではありません。
基本は通常学級での支援であり、
それだけでは対応できない場合に、初めて通級は選択肢に入ります。
限られた時間の通級の効果と限界、担当者自身の力量も含めた
総合的判断でなければなりません。
通級指導担当は、自分の力量を正確に評価できる「メタ認知」が
大事なあと日頃感じています。
KAZ先生のEdu Blog
http://edublog.jp/kaz1229/
では、特別支援学級と通級指導教室の連続性について触れています。
http://edublog.jp/kaz1229/archive/80
http://edublog.jp/kaz1229/archive/46
アメリカでは、制度上、学級と通級の区分けはなされていますが、
事実上、連続性を持たせています。
日本ではどうでしょうか。
「学級」は、週9時間以上、子どもがその学級で学ぶことが前提で、
「通級」は、週1~8時間と規定されています。
「学級」の先生の配置は法律で定められていますが、
「通級」の先生の配置は、あくまでも「過員配置」
つまり、先生を配置するための法的な根拠はなく、
あくまで「上回る数」として特別に措置していますよ
という扱いなのです。
したがって、通級担当の先生は簡単には配置されにくい現状です。
週8時間までの通級指導がフィットすると考えられる児童生徒がいても、
その学校に通級指導の先生が配置されないという状況があちこちに
見られます。
したがって、特別支援学級を設置して対応しようとするのですが、
ここで「学級は週9時間以上」の規定が問題になります。
最近、「週9時間以上の縛り」が厳しくなっていると聞きます。
しかし、平成18年に特別支援教育の法律が国会で通ったとき、
参議院の文教科学委員会の附帯決議では、
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/06072108/002.htm
「特別支援教室にできるだけ早く移行するよう十分に検討を行うこと」
としています。
つまり、特別支援学級と通級指導教室との間に連続性を持たせるべきだと
いうことです。
「週9時間以上のしばり」は、この理念と逆行する動きではないでしょうか。
「交流及び共同学習」をうたうことで、連続性を持たせようとしていますが、
本質的にはそれは連続性ではなく、既存の制度の中でできる範囲という限定付きです。
平成5年に「通級による指導」が制度化して以来、
通級担当教員の「加配」がされてきましたが、
まだ不十分な段階で加配の増員は打ち切られました。
その後、名前を変えて(「LD対応加配」等)、282名とか、
300名とか微増はしているものの、
通級制度に移行できない特別支援学級扱いの教室は、
未だに制度の狭間に苦しんでいるのが現状です。
通級制度の先生の配置はままならないので、
特別支援学級として配置しようという動きは、
目の前の子ども達を何とかしようという願いのもとでは、ある意味必然と言えます。
これは学校現場の問題ではなくて、主として教育行政の問題であるという
おさえが最近ぐらついているのではないかと感じています。
制度と行政との間のねじれ現象によって、一番不利益を被っているのは
だれでしょうか。
そんな中でも、工夫によって何とか対応しようとしている学校現場の
状況を理解して欲しいな、と思っています。
念のため書き添えますが、「特別支援教室」が制度化して連続性を持たせたとしても、
「機能としての特別支援学級」は存続すべきだと私は思っています。
特別支援学級の廃止には反対です。
というか、国も廃止するとは言っていない、と思っています。
「特別支援教室A」
「特別支援教室B」
「特別支援教室C」
そして、それらの中間型などと列挙して、
在籍は全員通常学級になるが、従来の特殊学級の機能は存続する、
と言っていたはずだからです。
今年も就学指導委員として保護者面接をして、一番つらかったのは、
「特別支援学級か通常学級か」という二者択一を保護者に迫らなければ
ならなかったことです。
就学指導委員会の総会でも、もめた部分があったのは、
実はこの制度上の問題が根本原因なのです。
二者択一の制度にフィットしない子ども達の存在をどうしていくか、
私も努力したいと思います。
通級すれば学力が劇的に上がるとか、行動がめざましく改善する、
というように思ってしまいがちですが。
もともと通級は、週1~3回の指導にフィットするお子さんを対象にしていました。
通級対象が拡大し、LD,ADHD等も可能となり、
ケースによっては月1回の指導でもよいことになりました。
しかしそれは、関係者が緊密な連携がとれる場合に限るべきでしょう。
基本は自校通級でしょう。
「他校通級」は、あくまでも、通級制度の過渡期です。
通級担当教員が全ての学校に配置されるまでの仮の姿です。
学校が別だと、連携が物理的にも時間的にも難しく、
子どもの実態と指導内容がどんどんずれていきます。
(実証済み)
従来の構音指導など、週1~3回にフィットすれば、
病院モデルである「他校通級」も意義があるでしょう。
しかし、たとえば読み書き困難の指導などでは、
本来は週の7~8時間など、相当時間を指導時間に充てなければ
効果が難しい、ということは学会でも発表されています。
巡回指導が全国的に普及しない、あるいは下火になっているのは、
予算措置や勤務の問題、巡回しても、指導が子どもにフィットしない。
そして最も致命的なのは、保護者との連携がとりづらいことです。
その学校の子がその学校の先生方の手で支援を受けられる、
そのためには、教員配置、研修養成制度の確立。
そのためにお手伝いできることがあればと思っています。