ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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学校教育法施行令の一部改正について
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1339311.htm
障害のある児童生徒等に対する早期からの一貫した支援について(通知)
<平成25年10月4日付け 文部科学省初等中等教育局長通知>
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1340331.htm
教育支援資料
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1340250.htm
今回の改正は平成14年以来のものです。
「就学指導資料」(H14)、「就学指導資料(補遺)」(H18)が、「就学支援資料」になりました。
措置のための障害の基準はほとんど変わっていませんが、「認定就学」ではなく、総合的に判断して、となるなど、就学支援の考え方が変わりました。
また、「資料」の内容はさらにわかりやすく、最新の科学的知見を踏まえているように思います。
初めてことばの教室や特別支援学級、特別支援学校を担当した先生のテキストにもなるのではというぐらい詳しく、わかりやすくなっています。
http://kotobaroom.blog.shinobi.jp/Entry/252/
構音の指導研修DVD頒布受付中 ~2014年1月10日まで
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学校の教材整備
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyozai/
構音の評価のためには、録音再生機器が必須です。
スマホで撮って、スマホで再生する事例が増えていますが、ちゃんと外部スピーカーに接続して、高音質で聴かなければ、状態を正確には評価できません。
若いSTの先生方にも、スマホ再生の方がいらっしゃいますが、昔はオープンリールで聴いたので、音だけで舌の動きがイメージできるぐらい高音質だったのです。
「学校の教材整備」
この中に、特別支援教育関連の教材も含まれています。
某通級指導教室を訪問させて頂くと、教室がガランとしていました。
教材の予算がほとんどつかず、自腹で提供している教材もあるとか。
これで「様々な障害種に対応する通級指導教室」なのか・・・。
通級指導教室に特化した予算配分というものを行政としても考えているのか。
某特別支援学級では、新設に伴って、タブレットを購入要求したら、だめだと言われました。
パソコン関連は、配分の計画に乗っ取って購入する、学級単独では買えないわけですね。
縦割り行政の弊害。
言われている理念と実際とのギャップです。
自治体によっては、通級指導教室用の予算をクレジットカードで配当し、好きなように使って良いとのこと。
これなら百均など、普通は買えないものが、臨機応変に、「明日使いたい」と思い立ったときも買えますね。しかも安く。
民主的な予算執行と、現場に任せた臨機応変な予算執行とのバランスの問題なわけですが、もう少し臨機応援性があってもいいのでは。
公務員はお金を無駄に使っている、と批評するのもいいですが、結果として現場は萎縮するし、いちいち話し合って決済して、なんてやっていたら、子どもの指導に間に合わないのです。
特別支援教育関連の研究はものすごく進歩しているのに、人も予算も全然追いついていない、理念だけが先走りしている感じです。
少なくとも、国が示した指針分ぐらいは購入できるようにして頂きたいものです。
この指針は最低ラインなのですから。
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http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1340331.htm
前回(平成19年度)の通知と比べると、就学措置の基準などは、ほぼ内容が同じですが、インクルーシブ教育の視点が入って、就学指導の進め方が変わったのと、早期からのという視点が加わったのが新しいと思います。
「就学支援委員会」では、就学措置だけでなく、その後のフォローもしなさいよと書かれていますが、当地方では就学措置だけで、マンパワーが限界という状態です。
その後のフォローについては「経過観察」というシステムを作っていますが、全ての経過観察の児童生徒と面接する余裕はなく、学校や保護者が面接を希望した場合、就学指導委員会が面接が必要と判断した場合に限られています。
「その後のフォロー」は、巡回相談システムなど、別の機関と役割分担が必要と感じていますが、巡回相談チームもほぼ同じメンバーだったりします。
こうした事業は、担任を持ちながらの本務外業務なわけで、本務にも影響が出ています。
専門性のある教員をもっと圧倒的に増やしほしいです。
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国は5年間で3000名の通級担当教員の増員を計画していて、来年度は2年目となります。
国の努力は一定程度評価できますが、他方、通級担当教員の免許制度への着手が遅れているのと、
就学指導委員会で「通級妥当」の判断をしても、設置されにくい状況が続いています。
特別支援学級の場合は、その判断が出た場合には、比較的設置しやすいのですが、通級の場合はハードルが高い。
なぜか。
それは教職員の配置の根拠となる法律に違いがあるからです。
通級担当教員は「加配」。つまり、定数ではないけれど、一時的に特別に増員しますよという措置。
つまりその時の財政状況、国の予算のよって左右されるわけです。
特別支援学級の場合は定数なので、設置されやすい。
また、校長先生の意向も働きます。
特別支援学級措置なら、自動的に教員配置に動き出すわけですが、通級担当の場合は、各学校から秋に「申請」という形をとります。
すると、通級指導に詳しくない校長先生や学校では、設置に手を挙げないことになります。
いくら就学指導委員会で、通級妥当と判断しても、校長先生が手を挙げない限り設置されないわけです。
これって、不作為なのでは?
しかし、どちらの判断がでるにせよ、その子によってより良い教育環境を用意できるようにするのが特別支援教育であって、両者のハードルに差があってはいけないと思うのです。
国の財政状況はよくわかりますが、アセスメントに基づく教育的判断が「LD」とか、「ADHD」なら、特別支援学級には措置できません。
あくまでも、通常学級に籍を置いて、TTやによる支援、そして通級が選択肢に入ります。
就学指導委員は、子どものニーズと、国の財政状況との間で板挟みにあって苦しみます。
もちろん一番苦しむのは、本人であり、保護者なわけですが。
杓子定規であってはいけませんが、最近思うこと。
ちょっとできないとすぐ特別支援学級という話になってきてないかな、ということ。
国がそれをあおっているという意見もありますが、むしろ現場の感覚ではないのかなと。
そもそも「普通学級」なんて幻想であり、元々様々なタイプの子がいるのが学級なわけです。
通常学級の中で、個別の達成目標を設定して達成感を味わえるようにするなど、工夫できることをやってみて、それでも、ならわかるのですが。
もちろん、特別支援学級が妥当と判断できる子はいますから、いちがいには言えませんが。
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好評につき、第2弾。
ことばの教室が第一に通級対象としている言語障害の定義です。
***
通級による指導の対象となる言語障害
「口蓋裂、構音器官のまひ等器質的又は機能的な構音障害のある者、吃音等話し言葉におけるリズムの障害のある者、話す、聞く等言語機能の基礎的事項に発達の遅れがある者、その他これに準じる者(これらの障害が主として他の障害に起因するものではない者に限る。)で、通常の学級での学習におおむね参加でき、一部特別な指導を必要とする程度のもの」
「障害のある児童生徒の就学について」(H14,文科省)
***
口蓋裂だとか、構音器官の麻痺があろうがなかろうが、構音障害があれば、そして主として他の障害に起因するものでなければ、教育的には言語障害の判断であり、通級の対象になります。
「学校は医療機関じゃないんだから」という方がいますが、文部科学省として、学校教育の対象として定義しているのです。
そのほか、通級に関しては、
学校教育法施行規則第140条、141条
1178号通知(文部科学省,H18)
就学指導資料(補遺)(文部科学省,H18)
特別支援教育の推進について(通知)(H19.4.1)
などの規則、通知で定められています。
これらの全ては、
『改訂第2版 通級による指導の手引き 解説とQandA』
https://www.gov-book.or.jp/book/detail.php?product_id=157075
にまとめられています。
また、道言協が大会時期に発行している刊行物『実態』の巻末に、関係法令が全部載っていることを知っている方は何人いるでしょうか?
今回の研修会では「本は読んでいたけど、改めて説明を聞いて、とてもよくわかった」という感想が複数よせられました。
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一昨年だったでしょうか、全難言協(全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会」の全体会で、「初めてことばの教室を担当する先生への研修プログラム」を実践している教室の論文を参考に取り入れている、道内の実践紹介がありました。
以前から気になっていたのですが、その発行元にたどり着けませんでした。
しかし今回、私の調査でその存在がはっきりしました。
通級の新しい先生への2年間弱をかけた研究実践の論文です。
「遊んでくださいと言われたけど・・・通ってくる子どもに自分は何をしたらよいのだろう」と不安な先生方を支援するために、系統だった研修プログラムを保障する、1年計画毎の論文です。
事例研究や文献・実技研修、ブロック研究などの研修を体系的に位置づけ、ベテランの先生の指導参観と、話を聞くなどが盛り込まれています。
また、外部講師を招聘して話を聞く日もしっかり設定されています。
外部講師を招いたり、話を聞くことは、井の中の蛙を避けるために、絶対に削ってはならない機会です。
当地域でも、「ベテランの先生の指導を参観したり、話を聞く」ための旅費補助の会計予算案が通過しています。
それに、今後の当地域に必要な研修システムとして考えていたことが、この論文にもほとんどそっくり盛り込まれており、問題意識も全く同じでした。
どの地域でも、同じ課題を抱えていることが改めて裏付けられました。
この論文では、これをたたき台に広めてほしいとの記述がありました。
ぜひ広めていかなければと思いました。
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(以下CMは、記事と無関係です)
文部科学省 平成25年度予算案
http://www.mext.go.jp/a_menu/yosan/h25/1325576.htm
では、来年度、全国で600名の通級担当教員の増員を行うことになっています。
そこで、47都道府県で割り、さらに北海道を12の地域で割ると、
こちらの地域は1教員の増程度だろうと予想していました。
ところが、来年度は、把握しているだけで4名の増員(4教室の新設)が決定したようです。
これは予想外でした。
これらの教室をどのようにバックアップしていくのかが焦点となるでしょう。
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これだけ教員の入れ替えが激しいと、もうどうでもよくなってしまいます。
私の経験則で、どうでもいいと思ってしまうときは、無理にがんばろうと思わない方がいい。
どうでもいいという気持ちを持つ時期も、次のために大事だと思っているからです。
「ことばの教室担当」は、学校への配置ではなく、地域への配置であるということは、
文部省が平成5年に通級制度を設計した際に明言していることです。
だから、通級担当が校内の仕事を過剰に背負うことで、指導時間が犠牲になったり、
人事の配置が通常学級と同じテーブルで議論されること自体が、
通級制度の精神に違反するのです。
学級担任は毎年替わるからこそ、その子を長年にわたって見ていく先生が
別に存在していることのメリットは、はかりしれません。
通級の役目はそこです。
だから、長く担当しなければなりません。
親子の立場に立って考えて欲しい。
職員室の論理ではなく。
ただ、そうしたことに理解がないなら、通級担当は辞めた方がいい。
二律背反ですが、結局は人材なのでした。
現場では、こうした基本的なことに関しても、理解がない。
手塩にかけて育てたスタッフが、数年でいなくなってしまう、という無限ループを
私はこれまで、嫌というほど経験してきました。
またか、もういいよ。それが本音です。
経験の長い多くの先生の気持ちを、そして通ってくる親子の気持ちをここで代弁します。
担当の先生が、本音の部分で、もうやりたくないオーラを発しているなら、
やむを得ないかもしれませんが、続けたいと想っている先生が、
別の部署に配属になるのを見ていると・・・。
私が転勤するかもしれないとお話しした担当の親御さんの多くから、
半分涙で、とどまって欲しいと言われました。
うれしい気持ちと、そして未だに通級担当の免許制度を作らず、
安定しない人事を放置する教育行政と、
親子の想いとの間の板挟みに遭っている教育現場の苦しみ。
この両方を想うのです。
親御さんの不安は、子どもの将来への不安なのです。
私はこうした親子の不安を共有するものです。
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http://tokyold.web.fc2.com/ld_1992/index.html
以下、抜粋
さらに、通級は、通常の学級における授業の一部に替えて行わわれること、他校の児童生徒に対して放課後を中心として指導している場合があることなど、教育形態や担当教員の職務の形態が特殊であるため、学校内においても、これに対する理解が必ずしも十分に得られない場合があることが指摘されている。
通級による指導を効果的に行うためには、各学校において、校長が中心となって、一般教員の理解を深めるとともに、校内就学指導委員会の機能の充実や協力体制の整備を図る必要がある。また、担当教員の職務の形態の特殊性にかんがみ、担当教員について校務分掌などの面において適切な配慮がなされることが望ましい。
通級による指導が教育効果を上げるためには、何よりも担当教員の資質が重要である。通級による指導は、IIIで述べたように、限られた時間の中での1対 1の個別指導が中心であるため、担当教員は専門的な指導そのものの成果を問われることとなる。しかも、多くの場合、児童生徒は通常の学級の授業の一部を替えて、場合によっては遠くから保護者が付き添って来て、指導を受けており、それだけの教育効果を上げなければ、通級の意義そのものが問われることとなる。このため、専門的な知識、技能を有するとともに、個々の児童生徒の障害の状態や特性等を適切に把握し、それに応じた指導を行える力量を有する教員が担当することが望ましい。
しかしながら、通級の担当教員、特殊学級担当教員については、経験年数が少なく、専門性が十分ではない者がみられるということも指摘されている。今後、国、都道府県、市町村の各レベルで、専門性と個別指導の力量を養うため
の研修の充実を図ることが必要である。また、長期的には、教員養成においても適切な配慮が行われることが望ましい。
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「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」
平成24年12月5日
文部科学省初等中等教育局特別支援教育課
理論上、「正規分布」では、68%の人は、「標準」の範囲内に収まっています。
つまり、30人クラスの中で、20名程度は、標準の範囲内なわけです。
もちろん、たとえばLDは、知能検査に比べて、特定の能力に遅れがある場合ですから、IQだけで判断はできませんが、少なくとも、子ども達全員に「認知特性」があるわけではない。
一方、「6.5%」の支援の必要と思われる子のうち4割は、支援を受けられていないという実態。
「教育の機会均等」の意味を考えてしまいます。
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社会に出て、困るだろうことは、
自分で自分のことを理解できないために、
1 自分の能力以上のことをしようとして挫折する
2 自分を棚にあげて、人を非難する
3 上から目線の物言い
などによって、人とうまくいかないこと。
自己理解は、障害の有無にかかわらず、一番大事だと思うのです。
文字が書けなくたって、パソコンで文字が印刷できる。
筆順が間違っていたって、同じ誤り方で固定していればそれでいい。
意味がわからないことばがあったって、google検索すれば出てくる。
だから書けなくても、まず読めればいい。
たくさんの漢字が書けなくても、履歴書が書ければいいかもしれない。
でも、自己理解が弱いと、あらゆる場面で失敗体験を積むことになるのです。
失敗してもその理由がつかめない。
今、小学校の通級指導で一番大事なことは何か。
長い目で見つめていきたいです。
目先の成果に心を奪われるのではなくて。
財務省は、成果を上げろと言っているみたいですけどね。
昔ながらのことばの教室が、そのことを一番大事にしてきたなあと。
通級指導は、最大週8時間のうち、最低1時間は、「教科の補充指導」ではなく、
コミュニケーション等の「自立活動」にしなさい、文部科学省は言っています。
でもそれは、決まり事だから、というよりも、はるかに深い意味があると思うのです。
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徒競走で一番遅く走っていても、みんなが「がんばれー」「がんばったねー」と拍手しながら応援している・・・。
それが特別支援教育なのだと思います。
体格も育ちも一人一人違うのに、個人差を無視して、みんなと同じ速さで走りなさいということが、果たして教育なのでしょうか?
「子どもの気持ちを理解する」、ということは、どこへ飛んで行ってしまったのですか?
映画『英国王のスピーチ』では、吃音のある国王の演説を傍らでリズムをとってあげたり、じっと温かな表情で見守る、言語聴覚士の姿がありました。
「よりそう」ということばが、まさにこのシーンのためにあるとさえ思えました。
それまでは、「ちゃんとしゃべりなさい」と発破をかけられ続け、精神的に崩れていった国王の生育歴がありました。
某学力向上プランには、「全員が○○できるようにする」と書いてありました。
これを教師に置き換えて考えると。
私は教師です。ピアノはバイエルの85番しか弾けませんが、何か?
私は教師です。人物像を描くと、ゲジゲジみたいになってしまいますが、何か?
私は教師です。書字は下手ですが、何か?
「適材適所」によって、その先生の能力が発揮できればよいのでは。
全ての先生が、全て同じことができなければならないことが大事なのか。
それぞれの先生の長所が生かされる学校が、子ども達にとっていいのか。
子ども達だって、
みんながみんな、同じように「標準的に」できるようにすることが、教育なのでしょうか?
できなければ、その子は「だめ」なのでしょうか?
他人との比較ではなくて、その子自身の伸びをこそを見るべきではないでしょうか。
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言語聴覚士で、子どもの発達支援を考えるSTの会の中川信子先生は、
『ことばの遅れの全てがわかる本』講談社 のまえがきで、次のように述べています。
「丁寧な配慮や働きかけは、子ども自身が生き生きと、自分らしく生きていくために必要なのであって、標準に近づかせるためではありません」
検査などを行うと、標準よりこれだけ落ちているから、この部分を伸ばそうと、思いがちですが。
確かにそうしたボトムアップも大事ですが、それが誰のためなのか、本当に子どものQOLや自立のために必要なことなのか、子ども本人の側に立って想像力を発揮することが、支援者に求められているように感じています。
あるカウンセラーは、「『教師』ということばはあるが、『育師』ということばはない。教師は教えることに重点が置かれるが、子どもが育つという視点に立つのがカウンセラーだ」という主旨をおっしゃっています。
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