ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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『軽度発達障害のある子のライフサイクルに合わせた理解と対応
--仮に「理解」して「実際に」支援するために---』田中康雄著、学研 より引用
(以下、引用)
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非力だからこそ、すべての人に感謝をこめて・・・(P248)
最後に個人的な私の経験によるものですが、他職種連携のコツを記しておきます。
①互いの職場に足を運ぶ。そこここの仕事の内容・職場の雰囲気大変さに身と心を寄せ、できるだけ理解しておく。
②ここで自分が、この仕事についた場合を想像してみる。
③話をするときには、それぞれの職場での専門用語を使用しないように注意し、できるだけ日常のことばでのやりとりをする。
④出会った時には「ご苦労様。お互い、大変ですね」と声をかけ相手をねぎらうことを忘れない。くれぐれも、苦言・提言から話を始めない。
⑤関係者の助け合い・支え合いは、保護者と子どもを支える基になると考えておく
⑥それぞれの専門性を尊重し、尊敬する。
⑦最も大切にしたいのは、子どもの「今の心」であり、「未来へ向かう育ち」である。
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(引用終わり)
迷ったら、この原点に戻りたいと思います。
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亡くなった、ことばの教室の尊敬する先輩のご家族に、わずかな可能性をかけて、手紙を送りました。
もしかしたら、転送されるかもしれないと。
しかし、宛先不明で戻ってきてしまいました。
図書館に行って、亡くなったとされる月の新聞の「お悔やみ覧」を全て調べました。
しかし、名前はありませんでした。
最後まで、先生らしい終わり方でした。
お線香の一本もあげさせて頂けないなんて。
「過去の私を追いかけるのでなく、先生の中にある温かい気持ちに気づいてください」
と言ってくださっているように感じました。
最後の最後まで、謙虚さと温かさと、人間への尊敬を教えてくださったように思いました。
●「行政に関する最新情報」文科省初等中等教育局特別支援教育課 樋口 一宗 氏
通級指導を受けている児童生徒は全国で激増し、昨年度は小中合わせて6万人に対したというグラフが提示されました。
通級担当教員は全国で約5000名で、そのうち1000名は都道府県が独自に配置した予算であること。小中学校は全国で32000校あることから、全ての学校に配置するにはまだまだ足りないことを文科省としても認識しているとのことでした。しかし国の予算が足りず、来年度は現状維持(増加できない)が精一杯とのことでした。
特別支援教育支援員については、来年度初めて、高校にも約500名配置する予定とのことでした。
大学入試センター試験の発達障害の特例措置については、高校での個別の教育支援計画等が必要で、中学校や小学校の取り組みにも波及するとのことでした。
大会テーマ「あらためて問う発達障害児の学習支援 –知能・学力・生きる力-」
9月17~19日 於 跡見学園女子大学(東京)
●自主シンポジウム「中学校通級指導教室のあり方を考えるⅢ ~通級指導教室と各関係機関との連携~」
この学会には、通級指導担当の先生も多く参加しています。今回は中学校の通級というテーマに惹かれてこのシンポを選んで参加しました。
中学校の通級指導教室の先生が、小学校の通級指導教室を訪問することで、小学生時の情報を収集したり、逆に中学校卒業後の進路の情報を小学校に提供できるメリットの紹介がありました。
また、医療との合同事例検討会のノウハウを生かして、「生徒指導」の会議と接続することで、特別支援教育と生徒指導との連携を図っている事例が紹介されました。
そして、高等専修学校との連携を取ることで、就職を意識した通級指導を行っている事例も紹介されました。
高等専修学校の先生は、発達障害のある生徒の就職後の問題として、「同僚に攻撃的態度をとる」、「自分のやり方に固執する」、などを挙げました。そのため専修学校では、「毎週SST指導」、「授業では、話を聞く時間と、書く時間を明確に分けている」、「エプロンや靴のひもを縛る練習」などに取り組んでいるとのことでした。高等専修学校でここまで指導しているところは他にあまりなく、人気がとても高いが、厳しい指導のため、中退する生徒もいるようでした。
高校の特別支援教育をどう充実させるかが課題になる中、全国に向けて問題提起するインパクトの強い分科会でした。
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オホーツクADHD&LD懇話会が10周年を迎え、記念行事が開かれました。
日本のLDの教育研究では第一人者の竹田契一さん(大阪医科大学LDセンター顧問)は、特別支援教育が始まって5年目を迎える今年の現状と課題を具体例を交え指摘していました。
この中で竹田さんは、「先生と相性が合わなければ、どんなに良い教材を作っても効果が上がらない。『また先生と会いたい』と思われることが大切」、「『3年生だから自分の名前が書けて当然』と何度写し書きせてもできないのを子どものせいにしてはいけない。子どもに合った教材を」と話していました。
ADHD当事者で、当事者団体「えじそんくらぶ」の代表 高山恵子さんも、ADHDに関する最新情報や、特別支援教育の動向について話していました。
この中で高山さんは、「特別支援教育は難しいことではなく、がんばっているのにできないという価値観を持てるかどうかの話だ」と述べていました。
北海道教育大学の二宮信一さんは、パネルディスカッションの結びの講話で、専門家に過度に依存する施設中心型のサービスではなく、各地域がチームで現状に合わせたサービスを展開する「CBR」について説明していました。最後に「支援をすることによって、支援する必要がなくなるための支援」ということばが印象的でした。
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この記事は、当言語障害教育団体の記事を先取りして掲載したものです。
しばらく記事の投稿ができませんでしたが、やっと少し時間ができました。
先日、とても元気になる講演を聴く機会がありました。
北海道の中小企業の管理職の方で、その方の生育歴は、まさにタイトルの通りとのことです。
みんながラジオ体操をしている時に、一人で砂遊びをしていたり、
ほかの兄弟が一緒に遊んでいるときに、本人は一人で砂場の砂をふるいにかけ続け、
一週間がんばって、海岸の砂と同じ手触りになるようにした、とのこと。
学校の先生には「どうせ無理」と言われ続け、
「それでは食べていけない」とみんなに言われ続けていた・・・。
だから学校は大嫌いだったそうです。
それが今、この会社で作った製品は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)でも採用され、
新たな飛行機の開発は、アメリカの企業と手を組んで進めているとのこと。
彼のすばらしいところは、技術をマニアックに磨いてこられたということだけでなく、
自分の生育歴をおそらくは正確に振り返るとともに、
今、そして将来自分は何をしようとしているのか、何をしなければならないかを
客観的に掘り下げながら人生を送っておられる、ということではないかと思いました。
だからこそ、彼の話には強い説得力を感じました。
たとえば、(以下、私のメモなので、正確ではないかもしれません)
「勉強は、
いい企業に就職するためにするのではない。
社会の問題を解決するためにする」
今の日本人は、「どーせ無理」とあきらめてしまう。
自殺者の増加につながっている。
学校の先生も子どもたちに言っている。
子どもたちから夢を奪っておきながら、
「自信を持て」などと矛盾したことを言っている。
大学の講義では、外国人は熱心に参加し、
日本人の学生は携帯をいじっているか、寝ているだけだ。
将来何をしたいかという夢もない。
大学卒の就職の採用が減っているのは、そうしたことが背景にある。
赤ちゃんが初めてつかまり立ちした時、
「危ないから、どうせ無理だからやめなさい」とは言わない。
周りの危険な物をよけておきながらも、「すごいね」とほめて、
応援するはず。
いつから「どーせできない」と言うようになったのか。
みんなから浮かないように、「普通」であることを追い求めている。
みんな「特別」「一人一人違う」存在だ。
将来どうしたいのかというビジョンが全くない。
「してもらう」ことばかり考えて、
自分から何をするということがない。
アメリカには人口比以上に、多様な趣味がある。
海に行けば、得体のしれない物が動いていたりする。
飛行機の開発で手を組むことになったアメリカ人に会ったとき、
「これまでの日本人は趣味を持たない人ばかりだった。
初めて趣味を持つ人と会った」と言われた。
会社では、定期的に社員の趣味の発表会をやっている。
趣味のない日本人が多い。
社員に「普通の人」はいらない。
飛行機やロケットが大好きな人であればいい。
子どもたちのやりたいことを奪ってはいけない。
私はロケットの開発をしているがそれが一番の目的ではない。
やればできるということを日本人に復活させるのが最大の目的。
etc.
講演が終わっての感想。
私は通級指導で、やれ読み書きの指導だ、運動面の指導だ、
コミュニケーションの指導だと言っていますが、
とてもスケールが小さいような気がしてきました。
子どもたちの好きなこと、趣味をもっと生かす。
そしてそれは、単に教科学習を促進する手段というだけではなくて、
趣味に打ち込む、そのこと自体が将来への大きな学びなのではないか、ということ。
「学力向上」とか、「体力向上」とか、順位がどうしたとか、
そうした見方とは、もしかすると違っているのかもしれませんが、
しかし教育の本質、人生の根本を問われたような気がしたのでした。
内閣府と文部科学省の議論とを見ています。
・内閣府
障害者制度改革の推進のための第二次意見(案)(第二次意見(素案2)の修正版)
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_29/
「本人・保護者が望む場合に加えて、最も適切な言語やコミュニケーションを習得するために特別支援学校・学級を選択できるようにすること。」
→以前からちょっとニュアンスが変わったように感じます。
「加えて」以下が。
気になる点もあるけど、特に、
「障害のある子どもが障害のない子どもと共に教育を受けるという障害者権利条約のインクルーシブ教育システム構築の理念」
→障害のある子、ない子、とまず分けた上で、共に、というのは、本当に正確な表現なのでしょうか?
言わんとすることはわかりますが。
過渡期なのでしょうね・・・。
・文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会
特別支援教育の在り方に関する特別委員会論点整理に関する意見募集の実施についてhttp://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/12/1300850.htm
→現行の特別支援教育は、「インクルーシブ教育」に「漸次的に」進んでいることを認めた上で、さらに進めていく内容。「共同、交流学習」や「認定就学制度」、「保護者の意見聴取の義務づけ」など少しずつ進んでいるわけです。
特別支援学校や特別支援学級も、通級も、インクルーシブの理念からは必ずしも矛盾しないことを指摘しています。
ただ、それらにもっと連続性を持たさなければならない、ということも指摘していて、上野一彦先生も同内容をブログに書いていますね。
特別支援学校の分室を普通学校に設置している例も紹介されていて、道内にも例があるので、いい動きだと思いました。通級指導の「巡回による指導」も。
両者とも一定の条件がなければできませんが、財政も含めて、その条件を満たすよう注文もしています。
親元を離れて、遠くの寄宿舎に住まわせて、という状況をなんとか改善して欲しいです。
ただ、通級の「巡回による指導」は、私の知っているところでは取りやめたそうです。
保護者と疎遠になる、指導内容がフィットしないなど、デメリットの方が大きいので。
むしろ、全ての学校に通級を設置すべきでしょうね。
内閣府も文部科学省も、理想をしっかりもちつつ、事実をしっかり見つめた上での制度改革の動きを期待しています。