ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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発達障害のある子どもへの学校教育における支援の在り方に関する実際的研究
-幼児教育から後期中等教育への支援の連続性-
http://www.nise.go.jp/cms/7,7058,32,142.html
言語障害のある子どもの通常の学級における障害特性に応じた
指導・支援の内容・方法に関する研究-通常の学級と通級指導教室の連携を通して-
http://www.nise.go.jp/cms/7,7053,32,142.html
いずれも、国立特別支援教育総合研究所です。
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私が初めてことばの教室を担当した時、4月が始まってからすぐに担当児童を決めたり、基本的な知識についてのお話を先輩から頂きました。時間はゆったりと流れ、初めて担当した者でもゆっくりと考える時間があったように記憶しています。
そして今の学校。
通級担当は入学式、始業式の準備に忙殺され、教室で全員が顔をそろえることはできませんでした。
担当者全員が初めて教室に集まったのは始業式が終わった後の日でした。それまで教室の運営は全て後回しになり、気づいたらもう指導の開始直前です。伝えたい情報、知識、教室運営をじっくり検討したり、親御さんとじっくり話したりする時間はとれません。
煮え切らない思いです。
確かに学級担任は忙しいです。
それを支えるのが担任外の役目だと言われれば、ある程度それは言えるでしょう。
ただ、だからといって、担任外の本拠地をないがしろにして良いわけがありません。
通級担当は学級担任ではありませんが、通級児童を担当しているのです。
それぞれの持ち場のあり方を尊重する、違いを含めるという学校経営でなければ、どうして子ども達一人一人の違いに合わせた支援などできるでしょうか。
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組織調査部では、通級が妥当かどうかの判断に困っている事例が紹介されました。
その教室内には、明確な判断基準がないようですが、私の前任校であるその時代には存在していました。
いつのまに、引き継がれなかったのでしょうか。
教室によっては、杓子定規になるので、明確な基準を作るべきでないとの意見もあります。
しかし、杓子定規にしないまでも、ある程度の基準は教室ごとに作っておくべきと考えます。
作ったとしても、その運用は柔軟性が必要ですし、そもそも明確な線引きはできないものです。
私の教室にも基準はありますが、数値化できるような明確な内容ではありません。
つまり「基準」というよりは、その教室のポリシーのようなものと考えてよいのでしょう。
私からは、
1)法律上の基準
2)各教室ごとの基準
そして、
3)在籍学校との関係性、役割分担を見据えた上での判断基準
という3つの側面から、通級妥当の判断基準の情報提供をさせて頂きました。
1)は、文部省「就学指導資料」、「就学指導資料補遺」、学校教育法施行規則第140条、そして文部科学省1178号通知、に明記されています。
これらの条文、通知については必ず目を通す必要があります。
2)については、各教室の整備状況や人数、担当教員の専門性などにより、一律には決められないものです。つまり各教室で作ることになります。
3)については、通級指導だけで成果をあげるというより、在籍校との役割分担ができるという見通しを持った上での判断が必要です。
LD通級については、全国調査では、圧倒的に、他校通級より自校通級が多いのはなぜか、を考える必要があります。
また通級指導そのものというよりも、通級担当が在籍学校と親子との間に入って、関係調整するという機能も考えられます。
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http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/084/shiryo/1323488.htm
公立義務教育諸学校の学級規模及び教職員配置の適正化に関する検討会議(第15回) 配付資料
が出ました。
この中で、
「資料1-1:中教審初中分科会 特別支援教育の在り方に関する特別委員会報告 概要(案) 」
内容についてはかなり、現状を踏まえた内容になってきているように感じました。
(最初はどうなるのだろうと、ハラハラしていましたが)
ただ、気になる点をいくつか。
***(引用はじめ)
障害者の権利に関する条約第24条によれば、「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、署名時仮訳:包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重、障害者の精神的・身体的な能力を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に教育を受ける仕組みであり、・・・
***(引用おわり)
障害者の権利に関する条約第24条
http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h20hakusho/zenbun/pdf/furoku4.pdf
ここには、「障害のない者」などという表現は出てきません。「その他の児童」などとは書いてありますが。
「障害のない者」なんて、この世に存在するのでしょうか?
条約は、「 『障害のある者』と『ない者』とを予め分けて考えて、その上で一緒に学習しましょう」などという薄っぺらい内容なのでしょうか?
「障害はお互い様」
という視点に立つ必要があるのでは?
私も含めて。
障害があるから、ではなくて、個別的な配慮が必要なことに合わせる、ということがインクルーシブなのでは?
「支援者側」にも「障害」があるし、自分の中にある、という視点が本質的に必要なのでは?
条約にはこう書かれています。
***(引用はじめ)
学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられることを確保すること。
***(引用終わり)
「統合」でなくて「包容」だし、「包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置」なのです。
だから、通級も特別支援学級も特別支援学校も否定しているわけではない。
もっと連続性や交流を保障しつつも、それらの場はインクルーシブのために必要なのです。
通級、特別支援学級、特別支援学校も否定している、と条約を解釈している人がいます。
だから、特別支援学級に籍があっても、ほとんどの時間を通常学級で一緒に過ごすということをしています。
それはそれで「共同、交流学習」の意義としてはよいと思うのですが、個別指導も必要なのに、それを全くしていない事例に出会います。通常学級でほぼ問題なく過ごせても、卒業後、就労など人生全体を考えたとき、この子に必要な教育は何か、を考えたいものです。スタッフの数をそのためにさらに充実させる必要はありますが。
前文以下の内容については、現実を踏まえた具体的な提案が盛り込まれています。ST,PT,OTの活用とか、通級担当教員の充実とか、特別支援学校の免許保有率の向上とか。
ただ、まだ気になるところがあるので、次回触れます。
雨の日のせいか、今日は聴覚補充現象が強く、遠くのプレイルームで遊んでいる子どもの声が、そばで聞こえるようにギンギンと響き、痛みを覚えました。休み時間に2年生の廊下を歩いていると、子ども達の黄色い声で、耳が壊れてしまうのではないかと思いました。
まるでハウリングを起こしているスピーカーのようです。
また、運動会の練習の放送の音が急に聞こえてきて、身体全体でショックを覚えました。運動会当日のために、既に3種類の耳栓を用意しています。
きっと聴覚過敏の子も、運動会はこれだけつらいのだろうなあと、本当に自分のこととして感じました。
大人の視点では、子どもに運動会にどれだけ参加させられるかとか、どれだけ我慢させられるだろうか、と考えてしまいますが・・・。
NHKのラジオ第一放送では、「子どもの心相談」というコーナーがかつてあり、内田良子さんを始め、すばらしい先生方のカウンセリングに学んだ点は多くありました。(今でも細々とやっているのでしょうか)
内田先生の視点は、大人の都合ではなく、あくまでも子どもの視点に立ってのものであり、それは一貫していました。
大人の自己満足、自己顕示欲ではなく、その子の今と将来への視点に立って。
全ての手続き、仕組み、ことば、はそこから作られていかなければならないなあと思うのです。
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私が初めてことばの教室を担当した時、4月が始まってからすぐに担当を決めたり、基本的な知識についてのお話を先輩から頂きました。時間はゆったりと流れ、初めて担当した者でもゆっくりと考える時間があったように記憶しています。
そして今の学校。
通級担当は入学式、始業式の準備に忙殺され、教室で全員が顔をそろえることはできませんでした。
担当者全員が初めて教室に集まったのは始業式が終わった後の日でした。それまで教室の運営は全て後回しになり、気づいたらもう指導の開始直前です。伝えたい情報、知識、教室運営をじっくり検討したり、親御さんとじっくり話したりする時間はとれません。
煮え切らない思いです。
確かに学級担任は忙しいです。
それを支えるのが担任外の役目だと言われれば、ある程度それは言えるでしょう。
ただ、だからといって、担任外の本拠地をないがしろにして良いわけがありません。
通級担当は学級担任ではありませんが、通級児童を担当しているのです。
それぞれの持ち場のあり方を尊重する、違いを含めるという学校経営でなければ、どうして子ども達一人一人の違いに合わせた支援などできるでしょうか。
昨日は地区親の会40周年記念の集まりがありました。地区に初めてことばの教室ができた時の担当の先生や当時の親の会の役員の方々、そして現役の方々が集まりました。格調高い手作りの記念誌を見ると、諸先輩方が作り上げてきた、職員と保護者との連携の深さ、歴史の長さに尊敬の念を持ちます。
当時の通級児のお母さん方と話させていただき、かつては差別や不理解(学校の先生からのも含めて!)もあったけれど、親同士が悩みを共有し合うことで乗り越えてきたこと。当時色々悩んだけれど、子ども達はもう20、30歳代で、それぞれの場で活躍し、楽しい人生を送っておられるというお話を伺いました。親御さんの先輩方の積み上げてこられたご経験は、ぜひ今の親御さんにも伝えて欲しい、そうした機会があったらいいなあと思いました。
「親ははっきり言ってもらった方がいい。その時しかない」、「先生、普通学級に戻ったりしないでくださいね」という親御さんのことばはとても重く感じました。
長くことばの教室を担当され、退職後は地域の様々な活動に従事され、生き生きとされている先生方とも交流させていただきました。
その中で、ショッキングなお話も聞きました。
私の教職人生に大きな影響を与え、通級一筋だった先生が、昨年6月に亡くなっていたこと。
彼は私が初めてことばの教室を担当した時、20年の大ベテランでした。
彼が居なければ、私の今はありませんでした。
彼のことについて、過去の記事で何度か紹介させていただきました。
そして、今の職場に異動した際、定年退職で、担当児童を私に引き継いでくださった、やはり通級担当の長い先輩の先生も、3年前に亡くなっていたこと。
会合では泣く暇もなかったので、帰宅後にゆっくり反芻しました。
***
先生が退職される際、花束を持って、涙ながらに感謝とお別れの挨拶をされていた多くの親子の姿を思い出します。こんなにたくさんの方とつながっておられたのだと。
日々励まし続けておられた先生の姿が想像されました。
先生は私に「教える」ということはありませんでした。
先生のご自分の担当のことを話されて、さりげなく私にほのめかしてくださっていました。「あの先生は」ではなく、「私もともに」という謙虚さと温かさが満ちあふれた先生でした。
先生は、子どもを通り越すのではなく、あくまでも「適時、適切、適量」が大事だと伝えてくださったように思います。
へたくそな私の指導に対しては「子どもが生き生きとしていますね。笑顔が何よりも」と励まし続けてくださいました。
先生の姿には、私はまだまだ遠く及びませんが、先生のこころざしを少しでも実践し、近づきたいと思います。
そして、その温かいまなざしを次の世代に伝えていきたいと願っています。
先生が蒔いてくださった種が、悩み苦しむ全ての親子のもとに届き、花開くことを。
この世界に導いてくださったこと、本当にありがとうございます。
安らかにお休みください。そして遠くから見守っていただければ幸いです。