ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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詳しくは書けませんが、ADHDの事例のところを読むと、なるほどそうやって解釈するのだと思いました。
ただアメリカでは、他にも様々な検査法が充実していて、それとのバッテリー(組み合わせ)で判断できるので、より正確にできるのだと思いました。
いずれにせよ、「検査したら、何か障害名がわかるかも」というのは、あまり当たらないでしょう。
むしろ、検査によって、当初考えられたいくつかの障害名を除外していって、残ったものを採用するというイメージの方が近いのでは。
WISC-4の知能モデルである「言語理解」「知覚推理」「ワーキングメモリ」「処理速度」は、WISC-3の知能モデルと比べたら、やはり大きな進歩をしていますね。測っている能力の「純度」があがっていると思います。
WISC-4は、3に比べて、より「流動性知能」に重点が置かて「結晶性知能」が減ったとか、「絵画配列」がなくなって残念という話を聞きますが、新しい知能の考え方を検討すると、その方向性は妥当だろうと思うのでした。
特別支援教育士の養成カリキュラムで登場しない知能検査があります。
理論編を読むほど、知能を測る検査の信頼性というものに、思いを巡らせます。
検査はやり方だけでなく、背景理論なり、学術的な部分もちゃんと理解しなければ、と改めて感じています。
WISC-4では、知能の最新モデルである「CHCモデル」との相関が高いことが、因子分析により証明されています。
我が国の知能の考え方が、世界スタンダードになっているのか、これからも勉強が必要ですね。
「全般的な知能水準」が行政上は使えても、教育的な手立てとして使うには・・・、やはり複数の検査を組み合わせるとか、行動観察、生育歴等の情報は大事ですね。
本校でも一斉型の知能検査と学力検査を行っています。
アンダーアチーバー(知能に比較して学力が低い)、オーバーアチーバー(その逆)がわかったりします。
本校が採用している検査の場合、保護者、本人向けの結果のレポートも添付されてきます。
学級担任としては、その後の指導に生かすためということもありますが、各検査の意味を正確に理解するということは結構難しいかもしれません。おおまかな偏差値は出ますが、それがどんな意味合いを持つのかは、私が学級担任を持っているときは、全くわかりませんでした。「低いなあ、高いなあ」程度です。でもその程度なら、日常の学習指導の中で、だいたいつかめているのですが。
一斉型の知能検査を眺めていて、感じたこと。
1 標準偏差はいくつなのかがわからないと、数値の意味もわからない。
→標準偏差が10の場合、33と36とでは、実は意味のある差ではない)
2 出題内容との関連
→国語の学力検査では、長文を読解しないと解けない問題ばかり。
つまり、文字が読めることはもちろん、長文から必要な情報を整理したり、推理したりする力が前提であること。
回答用紙は別紙なので、解いた問題の番号を回答用紙から探すなどの処理速度も、子どもによっては強く関与するなど。
LDのお子さんの場合、ペーパー上の問題を解くことに特化、しかも問題は音声言語で読んでくれないとなると、潜在的な?国語力は測れていないことになる。
確かに問題の中には、問題文をCDで聞かせて答えさせるようになっているものもあるが、回答は筆記である。
大学入試で特別な支援を必要とする生徒への配慮がなされるようになり、学校の知能検査も、さらなるモデルチェンジの必要性はないのか。
まあ、制約された条件下での結果という意味では、それなりの意味はあるのだろうが、必要な支援の手立ては見えにくい。
「読めないなら読んであげる」支援員的な対応が、必要とする全ての児童に行き渡るほど人員はなく、全く足りないから、むしろ条件制約下での検査結果を出す以外にない、それ以上の支援の手立てを検討したいなら、個別の心理検査で、ということにしかならないというのが、もどかしい現実ではある。
3 2との関連で、児童が個別の心理検査を受けている場合は、学校の検査データとの間に著しい乖離がある場合がある。その理由を問題の内容や、統計学との関連で読み解く必要がある。
一斉型の学力検査の結果の解釈について、学級担任の先生が、数値だけを見て一喜一憂することがあるならば、神経心理学的アセスメント(生育歴情報、行動観察、標準化された心理検査を用いて行われる。・・・Yeates & Taylor,2001)に基づいて、わかりやすく説明することが必要と思われたのでした。
付け加えると、学力検査の数値が上がったとか下がったとか、それが学校の指導力の問題だとかのとらえ方は、単純に過ぎると思うのです。
『WISC-IVの臨床的利用と解釈』日本文化科学社、2012
http://www.nichibun.co.jp/book/detail/?id=1
高くて、難しめの本ですが、買って良かったと思っています。
WISC-4は「インテグレーテッド版」もあるそうですが、日本語版はありません。
「インテグレーテッド版」の下位検査との比較についての論述を読むことで、
WISC-4の下位検査の意味するところの理解がさらに深まりつつあります。
たとえば単語は、単語そのものの意味を知らないのか、
それとも意味は知っているけれども、その知識へのアクセスが難しいのか、
言語的に表現することが難しいのかは、インテグレーテッドとの比較で検討できます。
このことはたとえば、WISC-4の「単語」と、PVT-R(絵画語い発達検査)との比較も
重要であることを日常感じていることと、関連しているでしょう。
そんなマニアックな解釈は、日常の学習指導にどう関連するのかという疑問が出されそうですが。
ずばり関連しています。
自発的に説明する課題にするか、選択課題にするかなど、教材化の段階で、かなりの違いが出てきます。
説明や日常会話などでも、子どもの言語理解の力に合わせた対応が可能になります。
やはり検査は、そのやり方だけでなく、その検査の意味するところを深く理解することが大事です。
どなたかがおっしゃっているように、特別支援教育で大事なことは、「ハウツー」ではなく、「ホワイ」を追究することなのでしょう。つまり、指導の仕方を追究する前に、なぜこの子はこのような状態を示すのか、その理由、背景を深く訪ねること。その中に、答えはある。
私はずっとそのことを言い続けてきましたが、検査の意味を本当に理解している方は、そのこともよく理解されている、と感じています。
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ということがあちこちで言われていますが。
基本的には、新しいバージョンの検査は、古い検査の問題点を改善していること、そして標準化するためのサンプルが古いものだと、正確に測れないこと。
以上から、新しい検査に早く移行することが望まれます。(器具購入の予算がネックですが)
何十年も前に標準化された検査を使うというのは、倫理に反する、と指摘されています。WISC-3は、何十年も前ではありませんが。
WISC-4の事例集がまだ出ていないので、新しい方へ移行しにくいとの意見もあります。
確かにその面はありますが、しかし、WISC-3をちゃんと理解できていれば、WISC-4も解釈ができるでしょう。
3→4で、下位検査はかなり変わった部分もあり、群指数→指標得点に変わったりもしましたが、基本がわかっていれば、4もわかるはずです。
逆に言えば、3の時の事例集では、群指数のグラフの形を見ただけでタイプ分類して、解釈してしまう、安易な解釈と出会うこともありました。
下位検査に著しいばらつきがあれば、群指数の解釈には慎重でなければならない、これは4においても同様です。
解釈本に頼るよりも、マニュアルを精読して、その検査や数値の意味を正確に理解することが大事だと思います。
そして検査中の行動観察が極めて重要です。
ところで、検査結果の数値だけを見て、「朝の会で気をつけることを考えましょう」などという研修をしている機関があるようですが。
検査の前に、困り感、主訴は何か、そして行動観察ということが、まずなければならないはずです。
検査結果だけで教育の手立てが出てくるわけではありません。
逆に、発達検査の実施や解釈も行わずに、「LD」「ディスレキシア」などと、学術的な用語を用いての教育的判断をしている事例に出会うこともありますが、これも倫理違反でしょう。
また話しが変わって、WISC-4では資格にうるさくなったので、学校の先生が触っていいものか、という話しがありますが。
でも、それは3の時だって資格は必要だったはずです。本当は。
無資格の学校の先生が測って、その結果を他機関で使えるかどうかという問題はあるものの、検査そのものは、見て触って、どんなものかを知ることは、特別支援教育に携わる上で重要のはずです。
心理士が国家資格化したら、特別支援教育士は検査ができなくなるのではないかとの懸念がありますが、仮にそうなったとしても、検査に精通しておく重要性に変わりはないはずです。
(現状では、医療関係者や他の職種の人よりも、学校の先生で特別支援教育士の資格を持つ方が正確な解釈ができている、と思えることがあります)
よって、学校の先生も、WISC-4の研修を受けることは大事です。
というわけで、1月9日にWISC-4の実技研修をすることになりました。
現在8名の参加予定です。この中には学校の先生以外の専門職の人も含まれます。
「自主研修会」改め「臨床研修会」は、職種にまたがって広がりを見せています。
「ピアジェヘッド検査」というものをたまにすることがあります。
「○○○で○○○」などの口頭指示や模倣でできるかどうかを見ます。
・そもそも左右がわかるか。わかっていても、「ヒダリ」→おちゃわんを持つ方などと、音と方向とのマッチングができているか。
・一度に複数の要素を含む口頭指示を聴覚的に把持しながら行動ができるか。
などを見ていきます。
そして、模倣と口頭指示とで差異がないかを見ています。
できない場合、私なら、スモールステップにして「左手を挙げて下さい」ならできるかどうかを見ます。
他の場面での行動観察の結果とも合わせて、聴覚的把持(聴覚的端記憶)の問題なのか、左右の方向知覚の問題なのか、
模倣では、相手の視点に立って左右を逆転させられるかを見ていきます。
鏡のように出なく、相手の立場にたっての模倣の説明が理解できるかもみます。
お手軽な検査でいろいろなことがわかり、その後の指導に反映できます。
http://www.nichibun.co.jp/kobetsu/technicalreport/index.html
のページの「Report #2 実施・報告の使用者責任と所見の書き方」(PDFファイル)
これまでの検査では、誤った解釈が見られたことや、検査内容が漏れ出てしまって検査そのものの信頼性に問題が生じかねない事態となっていたこと。そして、解釈には専門的知識や技量が必要なことから、ルールが厳しくなったのは、ある程度やむを得ないと思っています。
ここで解釈が誤りかねないリスクを冒すことは、お子様、ご家族の皆様にかえって混乱を与えることになります。
気持ちとしては、今すぐにでも飛んでいって、お子様にお会いし、検査をかけた支援者とも話をし、一緒に報告書を作りたい、そんな思いです。
しかし、たいへん申し訳ないのですが、上記の主旨をお酌み取りいただければと思います。
支援を必要とする全てのお子様、ご家族の皆様に、心からの声援を送りたいと思います。
子どもとの出会いの中に正確な気づきがあれば、検査に頼らなくていいのです。
保護者や担任とのコミュニケーションなくして、検査をしたり、指導計画を立てても、それは絵に描いた餅にすぎないのでした。
検査するとしても、「選ぶ」ことが大事ですね。
特別支援教育士 倫理基準
3.S.E.N.S、S.E.N.S-SVは、アセスメント技法が対象者の心身に著しく負担をかける場合や、そのアセスメント
技法が対象者のその後の援助に結びつかない場合には、その実施はしてはならない。
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カウフマン教授は、K-ABCを開発した一人で、“K”はカウフマンの頭文字です。
最近アメリカでは、「検査なんて必要ない。まず科学的根拠に基づく授業をしてみて、反応がない子どもにはより少人数で介入し、それでも反応がない場合は、特別支援教育を検討する」という「RTI」の考え方が台頭し、従来の考え方と激しい対立があるようです。
「RTI」は、個別に検査する専門家などにかかる経費削減の意図も含まれているようですが、カウフマン氏は次のように述べました。
「RTIは、2つの問いに答えられない。
(1)なぜその子に学習障害があるのか?
(2)子どもの認知や学力の強さと弱さについてのどんな具体的な情報が、一人一人の子どもにもっとも適切な指導のために使えるか?」
つまり、認知検査や学力検査なしには、子どもができない理由がわからず、結果として子どもを傷つけることになる、と主張していました。
LDは、認知発達検査(WISCなど)と、学力検査(アメリカでは、彼が開発した”KTEA-Ⅱ”等)との間の差異を見ることがモデルになっています。
ただ、IQなどの数字だけで判断するのでなく、検査中にどんな誤り方をしたか、などの情報が最も役に立つ、ということを何度も強調していました。
今日は、希望する先生と田中ビネー知能検査Vの
実技研修をしました。
全般的な知能水準を測るには、田中ビネー。
認知特性のバランスをみるなら、WISCや、K-ABC、DN-CASなどが妥当です。
検査というと、数値の一人歩きという批判が必ず出てきます。
その指摘は、全くその通りです。
だからこそ、検査の主旨や内容を正確に理解することが大切だと思います。
検査の数値だけでなく、日常の行動観察、情報と付け合わせて検討するのが
前提です。
検査の内容を見ていくと、子どもの力を測る観点の学習になります。
IQよりも、そのことの方が大事だったりします。
そんなことを議論しながらの研修でした。
理想は、全ての学校で検査を含めたアセスメントの力量を身につけ、
自立していくことだと思っているのですが、なかなか。
まず学校にカンファレンスの文化を、ですね。