ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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当教室では、教育相談の面接での検査だけで、子ども理解を終わらせようとはしません。
相談システムを大幅に改変し、面接前までに、関係機関から様々な情報を収集し、生育歴についても予め保護者に書いて頂き、資料が全てそろった中で、相談当日を迎えるようにしました。
そうでなければ、必要な検査の選択ができないし、子どもの全体的な理解につながらないからです。(もちろん、情報収集は、原則として保護者の同意のもとで行います)
不必要な情報も収集してしまうのではないかということを危惧するよりも、必要な情報を収集し落とすことの方が、はるかに問題です。
そして必要な情報かどうかの判断は、あとになって変わる可能性もあります。
基本的な情報収集をしてから、面接当日に臨むことです。
正確な支援につなげるためには、正確な子ども理解が必要です。
今年は体調管理と指導優先のため、会議には欠席していましたが、自分の相談ケースは欠席するわけにいきませんでした。
この日は、全部で10ケースの報告がありましたが、アセスメントがしっかりしている報告では、子どもや施設の状態像がありありと浮かんできました。
浮かんでいれば、もう支援の手立ては手中にあります。
そして、
できることを助言する。
できないことは言わない。
リアリズムに感銘を受けたのでした。
そして、毎年反省しても改善しない、「相談受理からケース会議まで何ヶ月もかかる」
これは致命的ですね。全国的にもそうでしょう。
だから、ケース会議を通してから助言するというのでなく、訪問したその日に助言するというスタンスをとっています。
ケース会議は判定の場ではなく、半分以上は事後報告の場です。
そのためには、訪問前のアセスメントを重視しなければなりません。
そして、訪問、相談から数ヶ月たってからのケース会議なので、会議直前に、「最近の様子」「助言後の変化」を電話等で尋ねています。
最新情報を会議に報告しなければ、ケース会議の意味はないのです。
特別支援学校の教育相談の巡回相談である「パートナーティチャー派遣事業」は、その点小回りがよくききます。
その代わり、各領域の専門家の意見を聞けないというのが難点です。
たとえば、特別支援学校の先生が、「構音」に関する相談を受けても、なかなか答えにくいでしょう。
専門家チーム会議では、ことばの教室担当(つまり私)も参加しているので、その点からの意見が言えます。
専門家チームは、各部局のエキスパートが集まるので、様々な専門性が集約されます。
子どもの誕生前から、就労まで。保育から、教育、療育、保健、福祉まで。
だから議論の中身はとても興味深い。
そこが長所。
だから、こうした専門性が発揮され、かつ小回りがきくようにするための工夫を現場レベルで進めています。
いずれにせよ、相談は、「アセスメント8割、助言2割」なのです。
この比率が逆になると、とんでもない助言になります。
そして自分の力を超える内容は、安易に助言しないこと。
わからないことは、わからない、この人を紹介します、と答えるべきなのです。
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ご相談のトップに出てくる質問です。
「子どもによって違うと思いますが」が前提として。
「子どもによって違うと思いますが、何回練習したらいいんですか?」
このことばは、逆なのでした。
「何回練習したらいいかは、子どもによって違います」
ことば遊びのようですが、これが実際です。
だから私は、その質問に答える前に、その子のことについて深く尋ねます。
その結果、今の「練習回数」は間違いではないでしょうという話になったり、「その練習以前に・・・」など、回数以前の話しになったり。
だから、子どもの状態像に迫らないままに、「30回ぐらいが適量でしょう」と即答する支援者は、偽物です。
子どもの状態像をどう評価したらいいのか、という視点を提供することこそ、本当の助言ではないでしょうか。そうでなければ、指導者が自分の目で見て考える力を奪うことになります。
「正解」を伝えることだけが助言ではなくて、子どもをどう見たらいいのかという視点を提供するのが助言です。
子どもの易疲労性、やる気度、注意集中、全般的な知能水準や認知特性、運動巧緻性、器質的、機能的条件などから判断して、仮説を立ててとりあえずやってみます。そして子どもの反応を見ながら加減していきます。
お医者さんが薬を処方するときも、少量から初めて、反応を見ながら増量、加減していくわけです。
下限量というのはあるでしょうけれども、薬(練習法)自体を変える場合、組み合わせを変える場合もありますね。だから回数だけを議論するというのは、不毛以外の何物でもありません。
ほとんど着席もできない子が、一回でも練習したら、それは大成功ではないでしょうか。
何十回も練習しても改善が見られないなら、それは練習「量」ではなく、練習の「質」の問題ではないでしょうか。
一つ言えることは、たくさんの量を練習させてみたいなら、「小分け」にしてみること。
5回言えたら、カードを一枚、とするだけで、カードが5枚貯まる時には25回練習したことになります。
そして「裏返したこのトランプの中に、ババはあるか、ないか」という当てっこにするだけで、練習は見違えるほど楽しくなります。
もうひとつ、質問をして下さるということは、それだけ一生懸命な方であるということ。
ぜひ、質の高い研修機会を保障してさしあげたい、と思うのです。
私は親に甘えた記憶がほとんどありません。
私が生まれるまで、母はひどいつわりで食事も全くとれず、栄養点滴も受け付けなかったそうです。
生まれてみて、初めて双子だとわかったぐらい、2人は体重が少なかったのです。
私は2500g、もう一人の女の子は1500gで、女の子は誕生直後に亡くなりました。
私が生まれた時の産声は、とても弱々しかったそうです。
その後も、母は「だっこ」することの恐怖心から、ほとんどだっこできなかったそうです。
栄養不良と、生来のもの?が絡み合い、私の頸がすわったのがなんと12ヶ月。一語文は2歳半ぐらいだったそうです。
私の幼少期の写真を見たある方は、どの写真にも「笑顔がない」と言っていました。そう、いつも恐怖心と不安がありました。親は恐怖の存在でした。というか、人に対しての恐怖がありました。
幼い頃に甘えた経験を積んでおかないと、思春期以降、困ることになる場合があります。実際、私は精神的にとても苦労しました。思春期はみんなだれでも苦労しますが、そのレベルではありません。念のため。
「自立」というのは、どこかで誰かが守ってくれているという感覚、経験の積み上げがあるからこそできることです。
「甘えたい」が、ある程度年齢が上がってから起きることもあります。
または全く別の形に表れることもあります。
甘やかすこととは違います。
子どもが親に気持ちをわかってくれるという経験の積み上げによって、人の気持ちを理解できるようになるのでしょう。
気持ちを受けとめてもらえずに、気持ちを否定され、行動面の叱責ばかり受けて育った子は、大人になってからも、人の気持ちを理解できないでしょう。本当は感じていたとしても、否定してしまう。その行動の背景を理解しようとする姿勢ができていかない。だから、「良いか悪いか」という二元的な価値に埋没してしまう。
不適切な行動があるなら、なぜそうした行動をとったのか、その心情の理解によって、対応ががらりと変わることもあります。
今の仕事は、本当に天から与えられたものと思っています。
大切なことを教えてくれました。
自分を救ってくれました。
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発達障害は定義上、環境が原因ではないのだけれど、環境が「助長因子」になる場合もあります。
睡眠と生活リズムについて、東京都教育委員会がまとめた資料があります。
【指導用スライド教材】
http://www.nyuyoji-kyoiku-tokyo.jp/download_other_front.cfm
もちろん、「早く寝なさい」と言ってすぐ寝るならよいけれど、なかなか育てにくさがあるのが発達障害のある子なわけで。
生活リズムを整えるということ自体が難しいことかもしれませんし、睡眠に困難のある子もいます。
また、障害の有無にかかわらず、夜遅くまでゲームをしているとすれば、それは日中の生活へのストレスに対する現実逃避の可能性もあるし、習い事で遅くなることもあるし、家族間の軋轢があるからかもしれない。生活リズムを整えるためには、それを妨げている様々な関係性を見ていかないといけないわけです。
ただ、それでなくても感情のコントロールが難しいお子さんの場合、夜更かしや朝食抜きで登校することで、感情の制御がより難しくなる可能性があることも事実。朝食を採ってこないと、脳の唯一の栄養源であるブドウ糖が行き渡らないので、読み書き計算に影響することも十分考えられます。障害があろうとなかろうと、それぞれの持っている能力を発揮しにくくなるわけです。
だからアセスメントには、そのような情報も是非いれることが大切です。
アメリカでは、生活リズムなど他の要因の可能性を検討するスタッフがまず調べて、その要因が除外されて、そして最後にLDの診断をするドクターが登場する、と聞いたことがあります。
知能検査のわりには、学力がとても落ちているディスクレパンシーモデルがLDなわけですが、学力が落ちているからすぐLDだとか、ディスレキシアとか、多動だからADHDとか言ってはいけないのです。
長期休業後に子ども達と久しぶりに出会うと、親御さんも気づかない変化にこちらが気づくことがあります。
たくましくなっていた子、休み中の生活との「時差」で、ちょっとお疲れ気味の子、顔が少しふくよかになった子など様々。
1ヶ月弱会わないわけですから(北海道の冬休みは25日ぐらいあります)、私は広く浅くアセスメントをやり直します。
自由会話はおおむねどの子にも、冬休み明けでなくてもまず行っています。
自由会話が成立しているから、言語発達に問題はない、という判断は誤りです。
1)会話しながら、
・意味(ことばの意味理解)
・音韻(発音、音韻の聞き分け)
・統語(文法)
・語用(文脈に沿った言語理解、表現)
を見ていきます。
2)「いつ」とか「どこで」「どうして」などの発問に対する反応を見ます。
また、休み中の本人の暮らし、家族状況を理解するのにも会話は大切です。
もちろん詰問調になってはならず、共感的に楽しく接するよう心がけています。
3)構音の再評価を行います。
→「自然改善の音」があったり、「元に戻っている音」もあります。音全体を改めて評価し直して、指導計画を立て直すこともあります。元に戻っている音では、被刺激性はどうかを見ます。休み前の練習が記憶(運動的にも音韻的にも)されていれば、正音を聞かせることで思い出すこともあります。
4)吃音では、会話をまずしながら状態を見ていきます。フランクに症状について話せる子とは、休み中はどうだったかを尋ねてみます。学校のある時と、ない時とでは、症状に差がないかを見ていきます。
5)情緒障害の場合は、来室時の様子、雰囲気の観察から始め、やはり会話の中から様々なことを感じ取ります。
6)難聴のあるお子さんの場合、会話しながら、語音の通じにくさや、言語発達の状況を見ていきます。聞こえの状況によっては、親御さんに報告して、補聴器をつけている場合は、補聴器の調整を含めた対応が必要になることもあります。
今年の場合は「ことばを作ろうゲーム」や、「すごろく」など、自由度が高く、拡散的な問いに答える課題を併用しています。
親御さんには、休み中の様子をうかがうことが多いです。
1,2週間したら、学級担任の先生とコンタクトをとり、変化がないかどうかを尋ねます。
こうして、個別の場と全体の場、家庭状況などの情報から、総合的に判断し、支援の方向性や手だてを調整します。
「障害とは、理解と支援を必要とする個性」
「楽しさ、安心感があってこそ、能力は伸びる」
「遠くの専門家より、近くの子ども理解者」
自らが難病と障害を背負った今、当事者の気持ちに寄りそう特別支援教育の臨床を一層めざしたいと思います。
本年もよろしくお願い致します。