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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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通級妥当の判断と終了の判断

その子の支援において、ことばの教室への通級が妥当かどうか判断する場合があります。
逆に、既に通級している子の通級を終了することが妥当かどうかの判断もあります。

判断の際に、大切だと感じていることがあります。

1 この2つを判断するための基準(めやす)は表裏の関係であり、同時に検討することが必要であること。

2 通常学級での指導の工夫やTT、放課後サポートなど、他の支援の選択肢も含め、総合的に判断すること。(「なんでも通級」には批判的に対峙しなければならない。相談に来たのだから、通級にしてあげようという温情的な判断は、一見子どものための思えるが、通級への依存体質を作ってしまう危険性がある)
  「25文科初第756号、平成25年10月4日」通知には、その旨、明確に書かれている。


3 一律に線を引いて基準通りに判断するのでなく、ケースバイケースであること。
  ただし、指導者の主観だけで判断するものでもなく、一定のめやすは必要なこと。

4 保護者、本人、指導者、学級担任、専門家など、関係する人の意見を聴取した上で判断すること。

5 面接場面だけで判断するのでなく、行動観察、生育歴、検査の3つがそろった中で判断する。

6 機能性構音障害の場合、「日常会話においても、障害音が改善されていて、誤って発音した場合でも、おおむね自己修正できる」が平均的なめやすと思われる。
 ただし、通級のための条件など、総合的な判断は必要。
 必ずしも「全部直ったから終了」ではなく、予後困り感が生じるおそれがない場合など、応用的な判断はありえる。ただし、指導者の力量不足で改善できないものを子どものせいにしてはならない。


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価値観のカオス化と、科学的な事実とは別である

万有引力の法則は、科学的な事実。
でも、明日になったら、銀河系は、突然消失するかもしれない。
あるいは、地球の周りを太陽が回り始めるかもしれない。

エビングハウスの忘却曲線は、明日から人間の脳に革命が起こって無効化するかもしれない。

しかし、そうしたことはフィクションとしてはあり得ても、実際には意味のない議論。

いろいろな価値観があるのだからと、科学的な事実をもカオス化する議論は無意味。

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「既存の通級担当教員を減らして、設置されていない学校に新設を」のこと

いろいろと漏れ伝わる情報によると、国は通級担当教員を今年度はほとんど増やさず、通級指導教室の新設を希望していた学校は、一部を除いてほぼ叶わなかったようです。
北海道の場合ですが。

教育行政としては、既存の複数の先生配置の教室の教員を減らして、他の学校の新設に回すという案を検討しているようです。

既存の先生を減らしても、教室の運用は可能か、という問いかけのようです。

新設する学校を増やしたいという考え方自体には賛成ですが、その代わり、複数教室の教員を減らすという考え方はどうなのでしょうか。

教員を減らし、その分「グループ指導」を増やすことで対応する案が検討されているようです。

しかし、「グループ指導」は、その子にとって教育的に必要と判断されるから組むのであって、合理性を求めるためではないこと。

たとえば、吃音、構音など、全く同じ症状であっても、その背景は一人一人異なっており、一人一人に合わせた指導は、グループ指導ではできないこと。

現在でさえ、給食を食べ終わるかどうかの時間に他校通級しているぐらい、時間割の編成が困難なのに、教員が減れば、時間割の編成はいっそう困難となること。

一人教室では、担当教員が相談する場がなく、研修保障や教室運営に問題を抱えている教室が多いこと。むしろ、一人教室を複数配置にすることが望まれること。

など、ことばの教室が積み上げてきた成果と問題点を十分に精査すべきと考えます。
答えはこれまでの歴史が積み上げてきていることです。

削減の前に、国が増員の手だてを考えるべきです。

一方で、「何でも通級」の風潮があることにも異議があります。
何か苦手なことがあるから、障害があるから、という理由だけで通級措置の判断をストレートにしてしまう。
支援の方法は、通常学級での指導の工夫、ティームティーチング、放課後教室など、他にもたくさんあります。
このことは国も指摘しており、慎重な判断を求めています。

面接時の所見で、ちょっと落ち着きがなかったという理由だけで、通級措置にしているとすれば、はなはだ問題です。日常の様子はどうなのかという情報抜きに判断しているわけです。






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構音障害の事例検討に参加しました

先日、構音障害等のケースレポートの検討にお呼ばれしました。
開会式から来賓待遇で、教育長などと一緒に拍手で迎えられ、研修後は拍手でお送りくださいと・・・。
そして来賓控室で接待して頂き、恐縮することしきりでした。

大会なので、来賓対応なのだと思いますが、庶民派としては、昼食も皆さんと食べながら質問に答え、いつのまにか帰っちゃうというスタイルが慣れているのですが。
同じことばの教室の仲間なので。

とはいえ、年1回、ブロックとしてはかなり規模の大きい大会を開いていること。
そのたびに行政や関係者などをお呼びし、連携を深めていること。
ケース検討は、発表から始めるのではなく、予めレポートを各教室に送っておき、事前に読んできていることを前提に説明は省略、質問への回答から始めるという方式は秀逸と思いました。

うちの地域では全道レポート検討で、「発表の予行演習」までしているのと比べると、時間と労力のコストパフォーマンスがかなり高いと言えます。

また、ブロックの研究が、道言協の研究と完全にリンクしており、研修会ではまずのその説明から入っていました。

かなり取り入れるべきことがあるのではと思いました。

ただ、ケース検討では、その子の理解というより、構音指導のやり方についての質問が多く出されました。
もっと交通整理して、ケースの子どもについて検討できればよかったのですが、私もそれに乗っかって、講義に近い形になってしまいました。

反省しつつも、この傾向はどこも似たようなものだと思います。

研修の王道はケース会議なのですが、会議を進めるための前提として、基礎知識を学ぶ場が、どこも課題なのかもしれません。

でも、今回のケース検討で一番よかったのは、大会という体裁をとっていたため、管理職の先生も何人も参加されていたこと。
研修終了後、「これは普通教員免許ではできない仕事だと思った」と感想をおっしゃていました。これこそが連携ですね。



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吃音のある本人の気持ちを理解して

全国の吃音の当事者団体の代表を務められ、各地へ講演、相談に出かけられている先生のお話をうかがいました。
先生のお話からは、あくまでも本人の視点に立ち、支援者は支援に当たらなければならないという、強い説得力を感じました。

「『なんでもないでしょ』、『症状は軽いでしょ』と人は言います。励ましのつもりなのでしょう。しかし、そのように言われると、本人は人に相談できなくなるのです」


「小さいうちから、吃音について家族で話し合い、困ったときは相談できること。そして一日15分、楽しく関わる時間を作って欲しい。子どもを孤独から救い出すのです」と先生は力説していました。


 一方、昔は「吃音を意識させない方が良い」、本人とは話題にすべきではないと考えられていたことについて、先生は次のように述べました。


 「本人が親や先生などに相談したいと思っているのに、誰も話題にしてくれないので、相談自体をしてはいけないものだと思ってしまうのです」


 その結果、社会に出てから吃音に向き合うことができずに、社会不安、対人恐怖に陥る事例があとをたちません。


 「吃音を意識させると吃音になる」という考え方を「診断起因説」と言います。しかしこの説は、研究により、今では完全に否定されています。


 また、吃音の「原因」は、「育て方」にあるのではありません。「きっかけ(どもり始める原因)」と「どもりの原因」とは違う、と先生は警鐘を鳴らしていました。


 また、吃音への対応は、子どもによって異なります。大人が良かれと思っても、本人は「どうして私に聞いてくれないのか」と感じるとのことでした。

 今回で、先生のお話を直接うかがったのは4回目です。
 お話をうかがうたびに、吃音に限らず、全ての子育て関係者が「本人の内側からの理解」の大切さを教えてくださっているように思います。



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通級担当の人事と研修

管内ではここ数年、ことばの教室をある程度経験した先生が、ことばの教室のある学校へ異動する例が増えています。本人が希望していない場合は別として、教育局が数年前からスタートさせた、特別支援教育にも重点を置く方針が一定程度反映されていると考えられます。これは、管内親の会が毎年、教育局に対して要望してきた活動が、ある程度は効果があった可能性もあります。
札幌市では、「通常学級担当」と、「特別支援担当」とでは、採用段階で分けており、採用後もその枠が基本的には維持されます。
また他県では、大学の言語障害教育課程を卒業しなければ、ことばの教室を担当できないところや、担当になった先生には、悉皆で研修を義務づけています。
かつて北海道教育大学にも「言語障害教育課程」が存在し、現職の先生が長期に研修のため留学し、北海道各地に戻る仕組みができていました。その卒業生が各地のキーパースンとなり、専門性の向上に一定の役目を果たしてきました。
しかし、その大学の課程がなくなったことは致命的ダメージであり、教室を牽引してきた世代(いわゆる「第2世代」)も大量退職し続けています。
現在、道言協(北海道言語障害児教育研究協議会)では、新しい先生のための研修を喫緊の課題とし、札幌で年一回「言難ABC」を開催。各ブロックでも同様の取り組みを計画的に進めることを求めています。
あるベテランの先生は、「通級担当の人事は、かつてないほど危機的だ。しかしそれでも種をまき続ける(研修を進める)しかない」と述べています。また、全道のこれまでの研究成果を新しい先生のために、何らかの形でまとめ、伝承していく必要性を指摘しています。
某県では「1年目」の先生への研修や、ベテランの先生の指導を見学するために出かけることが、管理職の理解も得て公務として認められています。2,3年目の先生へのケアにも取り組み始めています。
当管内では、「新しい先生のための旅費措置事業」により、ベテランの先生の指導を見学したり、教えてもらいに行く、来てもらうための旅費措置をしています。また、札幌の「言難ABC」への旅費補助もしています。積極的な活用を進めることが期待されます。

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個別の指導計画

個別の指導計画の策定をしています。
作成することも大事ですが、策定の過程で、スタッフ同士が議論すること自体が大事だと思っています。
たとえば、

1 限られた通級指導時間に比べて、指導目標が大きすぎないか?
2 学級担任などからの情報収集や検査なども含め、子どもの教育的ニーズに合った指導目標か?
3 評価が可能な指導目標か?

などが問われます。

たとえば、「5W1Hで話すことができる」という従来の指導目標に対して、子ども理解に基づく指導目標の設定になっているのか、議論の中で徹底的に掘り下げています。

本当に、文法構成の問題なのか?
むしろ語用論の問題ではないか?
たとえば、
「僕はリンゴを食べました」という文法的には正しい発話の場合に。

1)兄弟も食べたけど、自分も食べられたという意味か?
2)リンゴは普段嫌いだったけど、ついにリンゴを食べることができた、という意味か?
3)リンゴが大好きだということが言いたかったのか?
4)給食でリンゴが出たのは珍しいと言いたかったのか?
5)朝食はいつも食べてこないけど、今日は何か口にしたと言いたかったのか?

同じことばでも、「背景の意味」「経緯」によって、そのことばの表面的な意味あいは、全く違ってきます。
会話のずれというのは、本当はそこにあるのではないか。
お互いに、話し手のことばの語用論的な解釈のすれ違いが生じているのではないか?

そうなると、単なる「言語」の問題ではありません。
文法を鍛えればよいという話ではありません。

会話のずれの具体的なエピソードを聴く中で、そのことは明らかになります。

ことばを「直す」のでなく、子どもが受け止められたと感じられるよう話せる対応が第一優先ではないのか。

そんなことを議論しています。

従来の慣習や見立てを白紙に戻して、徹底的な子ども理解、発達の学術的根拠に基づく指導を磨き合っています。
ちょっとつらいかもしれませんが、生きた研修になるはずです。




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個別の指導計画、教育相談実施報告書、アセスメント情報は金庫に保管するのでなく

日々の指導で生き詰まった時に、読み返すためにあります。

某学校の経営要項を読むと、「金庫にしまう」ことを内規にしているところがありました。
確かに個人情報だから大事ですが、ぱっと見返すことができなければ、せっかくのアセスメントが意味をなしません。


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構音障害は単なる「滑舌の問題」ではない

構音障害について、正しいのはどれか。

1 発音は成長とともに改善するのだから、指導は必要ない。
2 舌の筋肉を鍛えれば、構音は改善する。
3 発音がうまくできない子には、原則として構音指導を優先する。
4 障害は、環境とのかけ算であるから、構音指導よりも、周りへの理解啓発があれば良い。
5 聴覚的弁別(語音を聞き分ける)能力を高める指導だけで、構音が改善する場合がある。


***

構音障害は、成長とともに改善する場合もあれば、自然には改善しない場合もあります。
専門的な検査と判断が必要です。
子どもの場合は特に、知的発達や情緒面なども含め、総合的に判断する必要があります。
その子にとっての指導の優先順位は、予後の推定を含めて判断しなければなりません。

機能性構音障害は、他の障害とは違って、適切な指導によって「改善」するものです。
周りへの理解啓発を求めるのはもちろん大切ですが、指導によって改善ができるものを放置してはいけません。


たとえば、ラ行ダ行の相互の置き換えなど、聴覚的な弁別能力が背景にあって、発語器官に問題がない場合、「耳を育てる」だけで改善する場合があります。
構音障害だから、口を鍛える、滑舌を直す、という単純なものではありません。



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あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ

特別支援教育というと、発達障害ばかりがクローズアップされていますが。
心理面、情緒障害も対象であるということを忘れていませんか?
と思うことがあります。
「読み書き」ばかりが議論になっていますが。

「あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ」
将来親子がこの境地に達することができるようにおつきあいをさせて頂く。

特別支援教育の本質は、そんなところにあるのでは、と思うのです。

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ことばの教室担当教員の「本務」と「校務分掌」

この問題は古くて新しいのですが。

通級担当の本務、校務分掌の仕事との関係については、
「通級学級に関する調査研究協力者会議」(平成5年3月31日、文部省諮問機関。山口薫座長)が答申しています。

つまり、通級担当の勤務体系は特殊であるために、校務分掌などについて配慮すべきと明示しています。

この答申を受けて、文部省は通級制度を開始したという歴史を振り返る必要があります。

校務分掌の仕事のために、週1回の指導を休みにするということは、
通常学級での授業を一週間休むのと同じです。

構音が改善途中にあるのに、1回休むことで、汎化が難しい子は元に戻ってしまいます。
心理的な支援が必要なお子さんには、週1回の場を奪われることで、事態が深刻化する場合もあります。

校務分掌の仕事のために、通常学級の授業を休むことがないでしょう?
ことばの担当が補欠に入ることを求められるが、逆に通常学級の先生が、ことばの教室に補欠に入って頂けるのですか?
構音指導の進め方についての補欠指導案を書いておくので、その通りにしてください。
できないでしょ?
それぞれの部署での専門性、事情を配慮しない学校は、組織体とは言えません。
指導を休みにすることは、通級している子の「学習権」を侵害しており、教育の機会均等、合理的配慮違反です。

かつてことばの担当のための大学の専攻課程がありましたが、今は北海道にはなくなりました。
だから現職についてからの研修が必須です。
そのための時間も必要です。

と、たとえ話で、私はお話ししています。


ことばの担当は、どうしても、職員の中ではマイナーです。
数が少ないからです。
相談相手も校内に居ません。

だから、横のつながり、組織が大切です。
親の会が大切です。
通っている親、当事者の声を校長、行政に届ける必要があります。

ことばの教室は親の会の運動によって設置されてきました。

だから、親の会を軽視してはいけないのです。

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各種検査法  ことばの教室担当者 問題集

検査法の組み合わせで、正しいのはどれか。


1. 田中ビネー知能検査V ―――― 個人内差の把握
2. WISC-Ⅳ ――――――――――  言語性IQと動作性IQ
3. ことばのテスト絵本 ――――― 選別検査
4. PVT-R(絵画語い発達検査)――― 全般的な言語能力
5. 就学時健診の一斉知能検査――― 知的障害の有無の最終判断

***

個人間差・・・他の子と比較してどのくらいの位置にあるか。
個人内差・・・その子の中で、強い力、弱い力の差

WISCー4では、「言語性IQ」「動作性IQ」は廃止されました。
WISC-3には存在していますが、検査自体が古くなりました。万が一使用する場合でも、言語性IQ、動作性IQよりも、4つの群指数(言語理解、知覚統合、注意記憶、処理速度)の方が有用です。
ただし、「注意記憶」の下位検査に「算数」が含まれてよいのか、そもそも「注意記憶」という概念自体どうなのかなど、様々な問題点が指摘されているため、古い検査の弱点はしっかりおさえる必要があります。原則として最新版を使うことが必要です。

選別検査は、障害の疑いがあるかどうかを「ふるいわけ」する検査であり、それだけをもって、知的障害などの判断の根拠にはなりにくいものです。

PVT-Rは全般的な言語能力ではなく、語いを見るテストです。

検査のやり方の研修も大事ですが、その前に、まずそれぞれの検査法の位置づけ、理論をしっかり学習した方がよいでしょう。




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研修しても、人が替わるから無駄だという主張もあるが

新しい先生のための研修講座を年度の中で計画的に実施すべきと主張しているのですが。
それよりも、道言協レポートの検討の方が大事だからと、縮小しようとする動きがあります。

確かに発表レポートも大事なのですが、新しい先生への支援の方が喫緊の課題です。
構音指導をどう進めて良いかわからず、悩まれている先生。
一生懸命やろうとしているのだけれど、失敗体験を積んでしまいます。
そうした先生にこそ研修支援は必要であり、成功体験に結びつくよう支援することで、長く担当して頂ける先生が増えるはずです。

今、ここ、で優先順位が高いのは何なのか。

子どもを見立てるセンスのある先生は、社会状況の見立てにもセンスがあります。

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家庭でできるきこえの検査

さっぽろ子どもの聞こえ相談ネットワークを作る会 編

幹事は学校の先生です。
医療関係者と連携すると、こんなに質の高いビデオも作れてしまうのですね。

3歳時健診でこれだけきちんとした検査を各家庭で行えるかということがありますから、このDVDはグッドアイデアです。


一方、就学時健診で、きこえや視力の検査を行わず、家庭任せにしている自治体もあります。
学校保健安全法違反であり、違法です。




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通級制度の始まりの頃の先輩方の苦労

通級している子どもの「実態調査」は国でも道でも行われていなかったが、道言協がまず先に始めた。
当時幼児担当の先生が地域の子どもの実態調査を始めたのがきっかけで、全道を調べるようになった。
行政も子どもの実態を把握していなかったので、議会対応では、教育委員会が、道言協の作った資料を使っていた。
当時の道言協は情報収集能力、組織力は強かった。

そのほか、いろいろな「舞台裏」のはなしをうかがいました。

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吃音 ことばの教室担当者 問題集

 小学2年生の吃音のある男児。もっとも適切な指導はどれか。


1. どもった時は、「緊張するからどもるんだよ」と声がけをする。
2. ことばがつまって困っていたら、本人の代わりにすぐに言ってあげる。
3. 苦手な言葉の言い換えを勧める。
4. 構音障害の合併例でも、構音指導を実施しない。
5. 本人が吃音について触れたくないようすの時は、無理して話題にしない。




***

1 
緊張するからどもるのではなく、どもるから緊張します。
別に緊張していなくても、吃音は生じます。

2 
せっかく本人ががんばって言おうとしているところを、他人が代弁してしまうと、自分がいいたかったのに、など、挫折感や無力感を持つでしょう。

3 
そのことばを言いたかったのに、という本人の話したい気持ちに沿わないことになります。
別のことばに言い換えるという選択肢は最終的にあり得るとしても、選択するかどうかは本人の意思です。

4 
構音障害の改善により、吃音にも一定の改善効果が見られることがあります。
構音障害により流ちょう性に影響している、と見立てられる場合は、構音指導は選択肢としてありえます。


本人が正面から向き合おうとしていないときに、ダイレクトに話すのは、他の障害も同じようにややデリカシーを欠いた対応ではないでしょうか。
そのことで、通級を嫌になったという事例も出ています。
一般に、直接的に吃音について本人と話す方が良いのはその通りですし、昔のように、一切話題にしないというのは極端です。
しかし、本人がいやがるのを無理に、というのも極端ではないでしょうか。


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構音指導の進め方 ことばの教室担当者問題集

 正しいのはどれか。


1.「お口の体操」は、構音障害のある子には必ず行った方が良い。
2.無意味音節では正音でも、単語レベルで誤音の場合は、語内位置弁別(単語の中のどの位置にその音があるかを判断すること)がどうかを確かめる。
3.どの音でも、正しい音を繰り返し聞かせて練習すれば、発音は改善する。
4. 「イ」の歪み音の改善のために、歯磨きさせながら言わせると良い。
5. 「カクケコ」→「タツテト」の置き換えの場合、前歯のかみ合わせが重要。


***

1 お口の体操が必ずしも必要でないケースなのに、そればかり行って一年たってしまったという事例が見られます。お口の体操が必要か否かの判断は、新しい先生には難しいかもしれません。
めやすは、「構音類似運動」です。
たとえば、カ行がタ行に置き換わるのは、奥舌が挙上して、軟口蓋に接して破裂させることができないからです。奥舌を挙上させ、軟口蓋に接し、その際、舌先は下げたままで、「んーー」と言えるかどうかが判断材料の一つになります。

また、「全体的不明瞭」な場合、発語器官の筋力が弱い場合や、舌などの微細運動が苦手なことが要因である場合があり、その際は、お口の体操もよいかもしれません。
ただ、そもそも、自分が発した言葉をリアルタイムで自分で聞き取ったり、相手に伝わったかどうかを確かめながら話すことの苦手さが要因である場合には、お口の体操は時間の無駄と言えます。

3 正しい音を聴かせれば、正音が発音できるというのを「聴覚刺激法」と言います。
前回記事で触れたように、聴覚刺激法は、被刺激性(正音を聞かせると、正音が出せる)がある時には有効ですが、被刺激性がないのに、この練習を繰り返すのは無意味です。

4 側音化構音の場合、舌の脱力が重要です。歯磨きをさせてイ段の音を出すというやり方は、両口唇を引くことで「イ段」を導こうとしたのかもしれません。
しかしそれでは、舌の状況が観察できませんし、発語器官の余計な動き、緊張を誘発する危険性が高いため、歪み音の指導としては、きわめて不適切です。
この手法は、某文献で、知的障害のある子への指導例として載っていました。

そしてその手法は、「指導の体系化冊子」という、寄せ集めの「テキスト」で引用されたわけです。しかしこの冊子の執筆者は、経験年数の短い先生方が多く、文献の引用や学術的根拠などについて、誤った内容、偏った内容が多々見られます。数年前、全道大会で発表されたものですが、持っている方は、すぐ破棄することをお勧めします。

5 カ行は、構音の位置が奥舌と軟口蓋ですから、前歯のかみ合わせは関係ありません。
一音、一音について、口の中のどの位置で音を産生しているのか、仕組みを十分理解してから、指導を進めることが大切です。





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側音化構音の指導 ことばの教室担当者 問題集

6歳児。「シ」が単音節レベルの側音化構音への初期の指導で、最も適切なのはどれか。


1. ろうそくの火を吹き消したり、風車を吹いて回す。
2. 顎が左に偏位するので、右に戻す練習
3. 何度も「シ」の正音を聞かせて、繰り返し発音させる
4. 舌の脱力を練習する
5. 正音と歪み音との弁別(聞き分け練習)を行う。


***

側音化構音の評価のポイントは、舌先が左右どちらかに向いているかとか、顎が左右に偏位しているか、とかではありません。
舌背が挙上して、呼気が正中から出るのをブロックしていること自体が問題なのです。

したがって、ろうそくの火を吹き消したり、風車を回すなどの練習は、舌背が挙上して、呼気が舌縁から漏出しているならば、意味のない指導です。
口唇で呼気がまっすぐになっても、口の中では呼気が横から漏出しているならば、かえって側音化を強化するだけです。何年通っても改善しません。

また、側音化構音は、指導者の耳が慣れて、「少しよくなった」と感じることがあります。
しかし、側音化構音の場合は、「少しよくなった」はありえません。
正音が出せるようになると、「全く違う音が作られた」と感じられるはずなのです。
ほとんどの場合、指導者の錯覚です。

音の渡りの関係で、歪みは顕在化するでしょう。

一般家庭ではできない指導です。

正しい音を聞かせて、まねして言わせる指導を「聴覚刺激法」と言います。
側音化構音の場合、被刺激性(正音を聞かせると音が改善する)がない場合がほとんどですから、無効です。
聴覚刺激法で改善するぐらいなら、ことばの教室の先生は不要です。

特に低学年の場合、正音と歪み音との聞き分けは難しいです。
何年もかけて子どもが大きくなってしまって、卒業、という事例がありました。
時間の無駄です。
その時間を使って、構音練習をした方がはるかに効率的です。
正音が出るようになってから、正誤弁別を行えばよいのです。





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在宅介護論と特別支援教育コーディネート

在宅介護の際、本人の日常生活動作(ADL)の能力や、家族の介護能力を専門的に評価しなければなりません。
しかし、それだけではなく、家族が在宅介護にどんな想いを持っているのかも含めて評価しなければなりません。
「これぐらいはできるから、介護できるはずだ」ではなく、家族が「できるだろうか」という不安や「できそうだ」という見通しを持っているかなど、心理的な状況も見る必要があります。

***

特別支援教育の際、児童生徒の能力や、指導に当たるスタッフ、家族の状況も専門的に評価しなければなりません。
しかしそれだけではなく、スタッフ、家族がその子への教育にどんな想いを持っているのかも含めて評価しなければなりません。
「これぐらいはできるから、指導できるはずだ」ではなく、スタッフの教育や家族の子育てへの心理的状況も含めて、ベターな提案をする必要があります。



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教育相談 初回検査の選択 ことばの教室担当者 問題集

6歳の男児。主訴は「サカナがシャカナになる」。まず行うべき検査はどれか。


a.構音検査
b.純音聴力検査
c.言語発達の検査
d.視知覚認知検査
e.読解力の検査


1. a、b、c
2. a、b、e
3. a、d、e
4. b、c、d
5. c、d、e

***

視知覚とは、単純に言うと、形を見分ける力のことです。(実際にはもっと複雑で深いですが)
構音が主訴なので、「まず行う検査」にはなりません。

読解力の検査で、言語発達の様子などの一部を見ることはできるかもしれませんが、読解力=言語発達ではありません。

言語発達の遅れに伴って、構音の発達が遅滞しているのかもしれません。
サ行は、構音の発達で、最後に獲得する音です。小学校低学年までもちこすことがあります。
言語発達に比例した構音発達ならば、まず指導すべきは構音なのだろうか、という支援の方向性を判断するためにも、必要な検査です。

純音聴力検査の「純音」とは、聴力検査の「ピー」音のことです。
構音障害の背景に、聴覚障害があるかもしれません。除外するためには必要な検査です。
「サ行」の置き換えの疑いであれば、周波数の高い音の聞き分けが注目されます。

構音が主訴ですから、構音の検査は必須です。
また、検査には専門的な知識、技術が必要です。
会話時にたまたま置き換わっているだけのものを拾っても、評価できません。
単音節、無意味音節、単語、短文、会話の各レベルでの評価が必要です。

また、構音類似運動検査により、発語器官の音産生の基本的な運動能力があるかどうかを評価することも重要です。




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場面緘黙  ことばの教室担当者 問題集

 情緒障害(場面緘黙)
 家では話せるが、学校で話せない小2女児。もっとも適切な指導はどれか。


1. 話せるようになるまで、学級の前で発表の訓練を行う。
2. 学級で順番に当てるとき、本児の順序は抜かすようにする。
3. ことばを先取りしてきた親の対応が原因なので、甘やかさないお願いをする。
4. 本人が安心できる人、場所、活動内容を保障し、徐々に難易度を上げる。
5. 「家では話せるのに、どうして学校では話せないのかな」と本人に質問してみる。


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家では話せるので、話す能力に問題があるわけではありません。
よって、「訓練」によって「改善」しようとするのは、原則として適切とは言えません。
ただし、決まった発表内容だと話しやすい子もいるので、全く誤りとは言えないかもしれません。
いずれにせよ、本人の気持ちを第一優先にすべきではないでしょうか。


順番を抜かすというのは、本人にとっても、周りにとっても不自然だし、傷つくのではないでしょうか。当てられたら、指さしなど非言語的な手段で答えられるような発問にする、発表が難しい場合は先生に合図する約束を予め本人と話し合って決めておく、などの工夫が考えられます。


場面緘黙は、親が甘やかしたことが原因ではありません。
そもそもそうなりやすさ、素因があるのです。

5 
本人に聞いてもわかるはずがありません。
余計な心理的な負担を与える質問は、しない方がいいでしょう。





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ことばの教室担当者 問題集

教育相談の進め方で、適切なのはどれか。


1.構音障害が主訴の場合は、乳幼児期などの生育歴情報は必ずしも必要ない。

2.保護者の心配が過剰な場合は、「心配ありません」と否定して終わる。

3.調査票で「こだわりが強い」に○がついているときは、「それはたとえばどのようなことですか?」と掘り下げて質問してみる。

4.時間的、物理的に通級が不可能であっても、まずは通級を勧める。

5.検査が終わっていなくても、保護者にはとりあえず具体的な教材名を伝える。


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1 
構音の評価も大事ですが、言語発達の経緯、家族環境、幼稚園・保育園での様子、各種健診時のようすなどの情報も収集し、子どもにもっとも望ましい支援の方向性を検討することが大切です。その結果、子どもの発達状況から、発音の指導の時期ではない可能性もあります。


過剰に心配しているので、「心配ない」と励ましたくなるところですが、保護者は心配な気持ちをを否定されたように感じます。今後とも一緒におつきあいさせて頂きたいと応じるのが適切。
もちろん、客観的に支援の必要まではないことは説明した上で。


こだわりは、どんな内容で、いつ、どこで、どのように生じるのか、その際の周りや本人の対応は、などを掘り下げていかないと、何も見えてきません。


バスを乗り継いで、あるいは、保護者が仕事を休んで通級させることでの家計の圧迫など、様々な状況をとらえた上で、より望ましい支援のあり方を相談することが大切。


アセスメントが全部終わっていない段階で、面接時の印象だけで、支援の方向性を話すことは禁忌です。情報を総合した際に、それまでわからなかったことがわかることもあります。


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ことばの教室担当教諭 資格認定問題集

新しい先生への研修について、今回は問題集に取り組むという手法をとってみました。
「問題の意味がわからない」
「歪みと置き換えの違いって何ですか?」
という、質問が出ることは想定済みでした。

だからこそ、問題の解をグループで考えるワークにしました。
参加者は1年目から、10年経験している先生もおられたので、私が一方的に教えるよりも、参加者同士で練り上げた方が身になると、考えたのです。

問題集は、できるだけ現場で実際に起こるケースを想定して作りました。


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ことばの双方向のやりとりに困難のある小1。もっとも適切な通級指導はどれか。


 


1.語いの拡大のため、子どもの興味がなくても、絵カードを次々呼称させる。


2.聞く力が弱ければ、子どもの関心がなくても「きくきくドリル」で指導する。


3.ごっこ遊び、見立て遊びの苦手な子に、文章読解のドリルを行う。


4.音声言語の表現が苦手なので、ジェスチャーや指さしでの表現は禁止する。


5.遊びの中で、子どもの関心、文脈にそったことばがけをする。


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1は、よくありがちな指導です。
しかし、絵の名前が呼称できるということと、その絵の意味を理解したかということとは別なわけです。
「ミシン」と言えても、実際にミシンがどんな働きをするのか、何ができあがるのかなどのつながりも含めて理解して、はじめて「語彙」を獲得したことになるのではないでしょうか。


2 「きくきくドリル」はよく用いられているようですが、「双方向のコミュニケーション」にニーズのある子に、はたして第一選択になるでしょうか?  しかも子どもに「関心がない」わけです。
「聞く力」を育てるというだけでは、「双方向のコミュニケーション」の育成には必ずしも結びつきません。

3 ごっこ遊び、見立て遊びができない子に、登場人物の気持ちの読みとりは難しいでしょう。週の限られた時間の通級で、何を優先順位におくかということです。

4 むしろ、非言語のコミュニケーションを保障することが、言語の発達につながります。

5 子どもが注目していること、興味の有ることに合わせて関わる。双方向のコミュニケーションはそのことによって、生き生きと育つはずです。




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講師を断る毎日

最近、毎日のように講師依頼が来ます。

基本、夏休みにお願いしています。
夏休みでは人が集まらないというなら、家庭の事情もあるでしょうけれど、
夏休みでも集まって勉強したいという方々の集まりでないと、
遠出する意味が、私自身にもないわけです。

研修担当の先生が、毎年講師を呼んでいる流れを受けて、今年も誰かいないか、と探す事情はよくわかりますが。

ただ、私はこの道のために、たくさんの休日と、60万円の私費を投じました。
東京で2週間ホテル住まいしたり、何度も飛行機で出向きました。

自宅を研修会場にして、仲間を呼んで、ネットスクーリングの運営協力もしました。

一方では、現場の超多忙化のため、専門書の一冊も読む時間がとれない。
研修の問題の焦点は、実はそこにあるように思えます。
各自が研修で自立できない職場環境なのです。

もう一つは人事の問題。
何年か経験したら通常学級に行ってしまう。
あれだけ一生懸命研修した意味はなんだったのか。
また一からのやり直し。

もうやめにしませんか、こんなばかげた人事。
いくら研修をがんばっても、むなしい結果に。

WISCができる通常学級担任、WISCがわからない通級担当。
そんなこっけいな。

人事交流で研修になるという方もいますが、
昨日まで皮膚科だった先生が、病院の都合で今日から脳外科ですという医師に、
あなたは自分の脳手術を委ねられますか?

学校の論理でなく、教育サービスを受ける側の論理で考えて欲しい。

私は私費を投じてでも勉強したいという新しい先生には、いくらでも協力します。


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インクルーシブ教育は、分離教育に対するアンチテーゼではない

分離教育のアンチテーゼは、統合教育(インテグレーション教育)です。

インクルーシブ教育は、分離教育でも、統合教育でもない。

だから、特別支援学級や、特別支援学校の存在も、インクルーシブ教育に反するどころか、
子どもの能力を最大限にのばすための必要な環境として、用意される場合もあるということ。

一人一人の違いに合わせると言うことであって、子どもの能力を無視して、ずっとみんなと同じ席に座っていればよい、ということではない。



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