ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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学校の給食で、あるものをいっぱいかけて食べる子ども。
単純には「親がかけさせているから」、「好き嫌いを容認しているから」となりますか。
しかし、そこには経緯がありました。
子どもの認知特性の他、お母さんの子育てのとてもつらかった悩みの経緯。
というお話しは納得でした。
私たちは、今の現象だけを見て判断してしまいます。
今だけを見て、経緯をよく調べないということでは、
単純な因果で「推測」してしまいやすいものです。
「ことばが遅いのは、お母さんが声かけをしなかったから」
など。
研究団体の資料にも書いてありましたが、
「生育歴」は、単に「一語文が1歳」というような数値だけを
意味するのではありません。
親子が、周りが、どんな過去の経緯の積み重ねで今があるのか、
どんな思いで生活していらしたのか、
経緯を知っているのと居ないのとでは、指導のあり方、優先順位や保護者支援のあり方に大きな違いが生じる場合があります。
かつて研究団体は「問題発生要因の仮説」を立てることを大切にしていました。
つまり「何が原因か」。
「○○が原因で、今の△△の状態があるのではないか」
ということ。
しかし今は、「問題発生要因の仮説」が、「問題の仮説」に変わりました。
つまり、その子にとって、関係者にとって、「問題」は何か。
同じ構音障害であっても、AくんとBさんとでは、
様々な条件を検討したときに、「問題」の焦点が違うということ。
同じ状態でも、一人一人教育的ニーズが違う、ということですね。
この時点で、「生育歴」をなぜ調べる必要があるか、
その意味が180度変わった、と私は思っています。
少なくとも、単純な因果律でとらえるのではなくて、
物事は因果の複雑な連鎖、部分と全体、過去現在未来の響き合いの中に存在しているということを観じつつ、一つ一つの臨床に丁寧に関わっていきたいと思うのです。
経緯を理解することは、誰かを犯人扱いするためではなくて、むしろ未来に向かうための礎となるのです。
通級すれば学力が劇的に上がるとか、行動がめざましく改善する、
というように思ってしまいがちですが。
もともと通級は、週1~3回の指導にフィットするお子さんを対象にしていました。
通級対象が拡大し、LD,ADHD等も可能となり、
ケースによっては月1回の指導でもよいことになりました。
しかしそれは、関係者が緊密な連携がとれる場合に限るべきでしょう。
基本は自校通級でしょう。
「他校通級」は、あくまでも、通級制度の過渡期です。
通級担当教員が全ての学校に配置されるまでの仮の姿です。
学校が別だと、連携が物理的にも時間的にも難しく、
子どもの実態と指導内容がどんどんずれていきます。
(実証済み)
従来の構音指導など、週1~3回にフィットすれば、
病院モデルである「他校通級」も意義があるでしょう。
しかし、たとえば読み書き困難の指導などでは、
本来は週の7~8時間など、相当時間を指導時間に充てなければ
効果が難しい、ということは学会でも発表されています。
巡回指導が全国的に普及しない、あるいは下火になっているのは、
予算措置や勤務の問題、巡回しても、指導が子どもにフィットしない。
そして最も致命的なのは、保護者との連携がとりづらいことです。
その学校の子がその学校の先生方の手で支援を受けられる、
そのためには、教員配置、研修養成制度の確立。
そのためにお手伝いできることがあればと思っています。
「自己中心的」とか、
「傷つきやすい」とか、
「自分に甘く、他人に厳しい」とか、
人のパーソナリティーを表現することがありますが、
発達障害とパーソナリティー障害、
そしてPTSDとの関連を考察する講義を
ある小児科の医師から受けました。
この分野の研究はあまり進んでいないそうですが、
当事者、関係者にとっては関心の高い事柄ではないでしょうか。
「どこまでが障害で、どこからが・・・」というような。
一つ間違えると誤解を生みかねませんが、
今回の講義はレベルが高くて、久しぶりに知的好奇心が
高まりました。
当事者にとって「パーソナリティーを」というのは難しいのでは、
と思いながらも、
でも活動後の「振り返り」など、SSTの分野で行われていることの中には、
パーソナリティーという視点とつながる部分も少なくないのでは、
と思っています。
夫婦の関係がよくなくて、子育ても苦労している保護者には、
「夫(妻)をあきらめなさい」ということを先生は話すことがあるそうです。
「あきらめる」ことで、気持ちが軽くなり、
そのことで相手が変わり、
やがて子育てにも参加するようになる。
「夫(妻)はこうでなければならない」
と考えるほど、苦しくなりますね。
「良い意味でのあきらめは大事」
とても納得でした(^_^) 。
以下のことは、生きやすさにつながるようです。
支援者にとっても大切な視点ですね。
「生きやすいパーソナリティーとは」
・自己の受容→自分の不完全さを認める
・自分の行動への責任感→自分の役割を遂行する
・他者への信頼感→他者の行動に受容的である
・集団への所属感→他者と協力しようとする
・貢献感→他者の役に立ちたいと願う
「かさ かっぱ ながぐつ サングラス」
違うのはどれ?
というような課題を子どもに対してすることがあります。
「サングラス 他は全部雨が降った時に使うから」
というのが模範的な解答です。
しかし、条件によっては、違った解答もあり得ます。
たとえば、かっぱだけが自分の家にはない、とか。
つまり同じ物でも、何を視点にするかによって、同じだったり、違ったりします。
視点によって、違うものでも、同じに見えるということです。
人は過去の経験というフィルターを通して、現在、未来を見ようとします。
そのときに吟味が必要なのは、そのフィルターがどんな特徴があるかを
自分で把握すること。
つまり、目の前の出来事は、過去の経験と同じではない。
一つ一つの出来事には、それぞれ独自のダイナミズムがあり、
その出来事固有の意味が託されている。
過去がこうだったから、今回もこうに違いない、というのは、
眼前の出来事のオリジナリティーを見失います。
眼前の出来事は、独自の過去と未来を結ぶ今という接点です。
独自の過去からのつながりという視点なくして、今をとらえることはできません。
とらえることができたとすれば、それはごく表面的な理解にすぎません。
人は似たような経験を結びつけて分類し、物事を法則的に
とらえようとします。
しかし、その法則、言い換えれば、物事を見るフレームワーク自体が、
どんな独自性を持っているのか、つまり「違い」について
自己検証が必要ですね。
自分のことがわかった分だけ、他人のこともわかる。
逆に言えば、人は自分自身の理解のレベルまでしか
他人を理解できないということ。
実は、これ、子どもに対面する支援者に欠かせない視点だと
思っています。
自分自身の掘り下げの範囲までしか、他人や出来事を
とらえることはできない、ということを謙虚に受けとめ、
自己のフィルターを点検すること。
新しい考え方もいいですが、
人類が数百年、数千年にわたって培ってきた智恵も大事だと思っています。
来年度にも刊行されると言われるWISC-4では、
「言語性IQ」と「動作性IQ」が廃止されます。
統計的な意味があまりないため、とされていますが、
これまでWISCの代表的な観点だっただけに、
なぜ、という思いがないわけではありません。
でも知能モデルというのは時代によって変わるし、
よりよいものにバージョンアップしていくというのは
科学的な態度としては当然ですね。
言語性IQ、動作性IQの差異が、いかに統計的に根拠の薄いものか、
下記のデータを発見。
V(言語性IQ)-P(動作性IQ)の差は、
差 母集団
13~17 23%
18~19 15%
21 10%
25 5%
27~30 2%
出典を忘れました。済みません。
つまり、13~19の差がある人が4割近くいるのですね。
そして全部足すと、55%、つまり「有意差」のある人は過半数!
どっちが多数派なのでしょう、という話し。
このことと、WISCの標準化作業で用いられた、5%、15%水準の有意差との関連は、どうなのだろうかという疑問も。
また、言語性と動作性の差が約13以上(5%水準)あれば、統計的に意味のある差とか、15以上あれば、などと言われていますが、下記の場合は慎重な解釈が必要とされます。
(1)言語理解(VC)と、注意記憶(FD)との間の差が13以上の場合
(2)知覚統合(PO)と、処理速度(PS) との間の差が13以上の場合
(3)言語性IQ、動作性IQのそれぞれの下位検査間の差が7以上の場合
常にこれらの条件を頭に入れながら、
言語性-動作性の有意差を判断してきたでしょうか?
ということで、今度WISCの講座を頼まれたので、
ここまでマニアックには話しませんが、
数字だけを頼りにすると、落ちし穴に落ちますよ
という話しはしなければ、と思っている次第です。
(かといって、検査自体が無意味だと言っているのではありません。
限界を踏まえつつ、やらなければならないという場合も、少なからずあります)
思えば、私はこの番組をウン十年前から聴いています。
十代の時から。
心の安らぎを得るためだったのでしょう。
自分自身の生育歴、境遇,、心身の状態とを重ね合わせていたのです。
昔から、吃音など言語に関する相談はありましたが、
昔と今の違いの一つは、
「発達障害と診断を受けています」
という相談がとても増えたことだと思います。
今もこの番組を聴いている理由は、
1 専門的知識や考え方学び、どんな相談が来ても対応できるように。
2 相談のあり方そのものの勉強になる
3 私自身が元気になるために。
先生方にはいろいろな方がいます。
児童精神医学に詳しい先生。
不登校やその周辺に詳しい先生
子どもの人間関係や心理に詳しい先生
など。
ただ、どの先生にも共通していることがあります。それは、
1 相談者の言うことに耳を傾けるのが主。カウンセラーは交通整理が主。
(もちろん、番組の時間制約があるので後半は少し急いでまとめる)
2 アセスメントがとても的確→主訴の整理、周辺情報、生育歴、家族状況など、必要と思われる情報をピンポイントで選び、端的に質問している。
3 特定の主義にとらわれない。
4 他の子のことを持ち出して話しがずれていくということがない。
5 小手先の方法、技法ではなく、人間としての親身な姿勢
6 やりとりの向こう側に専門的知識、豊富な経験の裏付けがある。
7 自分の実績を鼻に掛けたりしない。
8 常に子どもの側から見た世界を感じ取ろうとしている。
9 相談者のことば遣い、プロソディー、息づかいなどから様々な情報を感じ取ろうとしている。そして共感しようとしている。
たまには「子ども本人」からの相談があることもあります。
素人には、
「元気で明るい話し方なのに、なぜ」
と一瞬思えるのですが、
よく耳を澄ませれば、その息づかい、微妙な抑揚の変化、そして内容の深刻度、苦しみを先生がよくとらえていらっしゃるのでした。
もちろん、私は録音を何度か聴いて初めてそれに気づくことも少なくありません。
私のような不勉強な人間にはなかなかできませんが、彼らの声の調子を聴いただけで、励ましを得るような気がします。そして本人からの電話の声を聴いていると、悩んでいたのは私だけではなかったんだ、とこの歳になっても思えるのです。