ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
■メールはこちら
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
早いところでは、内示が出た頃ではないでしょうか。
残念な話し、寂しい話しもありますが、
うれしい話し、期待できる話しもあります。
通級担当を含め、担任は全て一年で交替することを
決めている学校もあれば、
これからそのことも含めて話し合うという学校もあります。
ある先生に尋ねられました。
「ことばの教室の先生は、一年で替わってもいいのですか?」
含みのある質問でした。
私は、通ってくる子ども達、親御さん達の立場に立って
考えて頂けるとうれしい、とお話しさせて頂きました。
これから教室が形になっていく学校だけに、
初めが肝心だと思いました。
聞いてくださった先生は、とても責任感のある先生です。
話しが良い方向に行くことを祈っています。
1年、2年の経験では、まだまだ何もわからない状態です。
私自身振りかえってみると。
今日、全国公立学校難聴言語障害教育研究協議会の資料に
目を通しました。
どこの地域でも、担当の専門性が課題になっているようです。
STの免許を教員も取れるように、との意見もありましたが、
STのカリキュラムは、どちらかというと医療系に重点が
置かれています。
学校教育に参考になる部分もありますが、
(アセスメントとか評価とか、エビデンス・ベーストの厳しさなど)
ナトリウムイオンがどうしたとか、外胚葉由来だとかの知識は、
教育にはすぐには必要ではないでしょう。
基本的に、私たちの分野は教育です。
学級担任と連携しながら、教科書を横目で見ながら、
「育てる」のが仕事です。
構音指導だって、医療行為と言うよりは、育てる行為でしょう。
「治すものではなく、育てるもの」
であれば、教育の専門免許状を作った方がいいと思うのです。
文部科学省は早く、通級担当の専門免許制度を作って下さい!
と叫びたくなります。
通級担当が一年で替わることが当たり前のように語られたとき、
とても落胆した表情をされていたのは、ケース会議に出席されていた
医療関係者でした。
昨日まで皮膚科だった先生が、
今日から小児科を標榜するようなものですね。
毎年担当科を順繰り回す総合病院に、
あなたは病気を診てもらいたいですか?
医療と教育は違いますが、
分野の専門性という部分では同じです。
こちらにいらっしゃる「他校通級」だけでは足りないので、
自校のリソースと平行で支援を行う体制を組ませて頂きました。
具体的には、言語特別支援学級へ週1~数回「自校通級」し、
週1回、こちらにいらっしゃる「他校通級」との併用です。
先方の学校のコンセンサスを得るのに苦労されたようですが、
試行的な位置づけとして、まずは認めてくださったようです。
先方の先生は、センスややる気がすばらしく、
このケースに限っては、私の指導記録をそのまま送信しても良いと
判断しました。
親御さんも快く了承してくださいました。
先方からも指導記録が送信されてきて、電話でのやりとりもできて、
きわめて良好な連携が取れています。
子どもの見立てや指導の手立てはすばらしい。
私が初期から関わらせて頂いた先生なのです。
実は、臨時採用の先生です。
子どもの状態像がみるみる変わっているのです。
通級の基本は自校通級だということを改めて実感しました。
指導記録には、専門用語を使うのが原則です。
発音の記録は、発音記号で。
構音指導は、発音記号でアセスメントし、発音記号で指導計画を立て、
発音記号で指導するからです。
日本語の「あいうえお」の体系では、構音指導はできないのです。
たとえ日本語にある音の指導であっても。
それは国語の指導とは全く異なるものです。
初任者には、発音記号がわかりにくいからわかりやすく、
という議論もありますが、
それは通級担当のめまぐるしい人事異動の問題であって、
指導記録の書き方の問題ではありません。
医者のカルテが専門用語なので、素人にわかりにくい、
と文句を言う人がいないとの同様です。
素人にわかりやすく書いたら、
カルテは一回の診察で何十ページにもなるでしょう。
それでは、患者と向き合う時間が犠牲になりますね。
教員は医者とは確かに違います。
しかし、通級担当の専門性は、今の教員養成カリキュラムでは
とてもとても、足りないのです。
特別支援学校の免許だけでは足りないのです。
特別支援学校の専門性と、普通学校の通級指導教室の専門性は、
確かに共通部分もありますが、全く同一視はできません。
お手紙は指導記録とは別に作るものです。
なぜなら、指導記録とお手紙とは、その目的が全く異なるからです。
指導記録は、科学的、客観的、クリティカル・シンキングが前提です。
(もちろん、関係論など、「客観性」そのものに本質的な
問いかけをする学問領域があることを否定するつもりはありませんし、
それも一つの学説であると思っています)
一方でお手紙は、先方の苦労をねぎらい、
通級時の子どもの様子をお伝えして、共通で取り組めることを
一緒に考えることが目的です。
ならば、手紙だけでは不十分で、やはり双方向のやりとりが重要です。
しかし、この先生に限っては、センスと熱心さがすばらしく、
指導記録をそのままやりとりしているのです。
こんなことは、過去にも、これからもあまり例がないでしょう。
文部科学省1178号通知
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/06050817.htm
ア 自閉症者
自閉症又はそれに類するもので、通常の学級での学習におおむね参加でき、一部特別な指導を必要とする程度のもの
イ 情緒障害者
主として心理的な要因による選択性かん黙等があるもので、通常の学級での学習におおむね参加でき、一部特別な指導を必要とする程度のもの
ウ 学習障害者
全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示すもので、一部特別な指導を必要とする程度のもの
エ 注意欠陥多動性障害者
年齢又は発達に不釣り合いな注意力、又は衝動性・多動性が認められ、社会的な活動や学業の機能に支障をきたすもので、一部特別な指導を必要とする程度のもの
→通級の判断には、障害についての正確な理解が必要です。
たとえば単に落ちつきがないから通級ではなく、
社会的な活動や学業の機能に支障を来していなければなりません。
「イ 通級による指導を行うに際しては、必要に応じ、校長、教頭、特別支援教育コーディネーター、担任教員、その他必要と思われる者で構成する校内委員会において、その必要性を検討するとともに、文部科学省の委嘱事業である特別支援教育体制推進事業等により各都道府県教育委員会等に設けられた専門家チームや巡回相談等を活用すること。」
→つまり、通級の判断は、1対1の検査場面だけでしてはいけないということでしょう。
様々な関係者の意見を聞いて判断すること。
校内委員会まで開くかどうかは柔軟性が必要でしょうが、
通級を始める時も、続けるときも、終わるときも、
学級担任の先生や保護者の意見も、そして可能なら本人の意見も、
最低、聞かなければならないでしょう。
「エ 学習障害又は注意欠陥多動性障害の児童生徒については、通級による指導の対象とするまでもなく、通常の学級における教員の適切な配慮やティーム・ティーチングの活用、学習内容の習熟の程度に応じた指導の工夫等により、対応することが適切である者も多くみられることに十分留意すること。」
→つまり、障害があるから、心配だからただちに通級、ではありません。
基本は通常学級での支援であり、
それだけでは対応できない場合に、初めて通級は選択肢に入ります。
限られた時間の通級の効果と限界、担当者自身の力量も含めた
総合的判断でなければなりません。
通級指導担当は、自分の力量を正確に評価できる「メタ認知」が
大事なあと日頃感じています。
KAZ先生のEdu Blog
http://edublog.jp/kaz1229/
では、特別支援学級と通級指導教室の連続性について触れています。
http://edublog.jp/kaz1229/archive/80
http://edublog.jp/kaz1229/archive/46
アメリカでは、制度上、学級と通級の区分けはなされていますが、
事実上、連続性を持たせています。
日本ではどうでしょうか。
「学級」は、週9時間以上、子どもがその学級で学ぶことが前提で、
「通級」は、週1~8時間と規定されています。
「学級」の先生の配置は法律で定められていますが、
「通級」の先生の配置は、あくまでも「過員配置」
つまり、先生を配置するための法的な根拠はなく、
あくまで「上回る数」として特別に措置していますよ
という扱いなのです。
したがって、通級担当の先生は簡単には配置されにくい現状です。
週8時間までの通級指導がフィットすると考えられる児童生徒がいても、
その学校に通級指導の先生が配置されないという状況があちこちに
見られます。
したがって、特別支援学級を設置して対応しようとするのですが、
ここで「学級は週9時間以上」の規定が問題になります。
最近、「週9時間以上の縛り」が厳しくなっていると聞きます。
しかし、平成18年に特別支援教育の法律が国会で通ったとき、
参議院の文教科学委員会の附帯決議では、
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/06072108/002.htm
「特別支援教室にできるだけ早く移行するよう十分に検討を行うこと」
としています。
つまり、特別支援学級と通級指導教室との間に連続性を持たせるべきだと
いうことです。
「週9時間以上のしばり」は、この理念と逆行する動きではないでしょうか。
「交流及び共同学習」をうたうことで、連続性を持たせようとしていますが、
本質的にはそれは連続性ではなく、既存の制度の中でできる範囲という限定付きです。
平成5年に「通級による指導」が制度化して以来、
通級担当教員の「加配」がされてきましたが、
まだ不十分な段階で加配の増員は打ち切られました。
その後、名前を変えて(「LD対応加配」等)、282名とか、
300名とか微増はしているものの、
通級制度に移行できない特別支援学級扱いの教室は、
未だに制度の狭間に苦しんでいるのが現状です。
通級制度の先生の配置はままならないので、
特別支援学級として配置しようという動きは、
目の前の子ども達を何とかしようという願いのもとでは、ある意味必然と言えます。
これは学校現場の問題ではなくて、主として教育行政の問題であるという
おさえが最近ぐらついているのではないかと感じています。
制度と行政との間のねじれ現象によって、一番不利益を被っているのは
だれでしょうか。
そんな中でも、工夫によって何とか対応しようとしている学校現場の
状況を理解して欲しいな、と思っています。
念のため書き添えますが、「特別支援教室」が制度化して連続性を持たせたとしても、
「機能としての特別支援学級」は存続すべきだと私は思っています。
特別支援学級の廃止には反対です。
というか、国も廃止するとは言っていない、と思っています。
「特別支援教室A」
「特別支援教室B」
「特別支援教室C」
そして、それらの中間型などと列挙して、
在籍は全員通常学級になるが、従来の特殊学級の機能は存続する、
と言っていたはずだからです。
今年も就学指導委員として保護者面接をして、一番つらかったのは、
「特別支援学級か通常学級か」という二者択一を保護者に迫らなければ
ならなかったことです。
就学指導委員会の総会でも、もめた部分があったのは、
実はこの制度上の問題が根本原因なのです。
二者択一の制度にフィットしない子ども達の存在をどうしていくか、
私も努力したいと思います。
***
http://wwwsoc.nii.ac.jp/sens/aboutsens06.html
第7条
S.E.N.S、S.E.N.S-SVは、一般の人々に対してLD・ADHD等や特別支援教育に関する知識又は専門的意見を公開する場合には、公開内容について誇張がないように、公正を期さなければならない。
2.S.E.N.S、S.E.N.S-SVは、前項の内容が、商業的、宣伝的、広告の場合は、社会的影響について責任がもてるようにしなければならない。
***
「公正」
大事ですね。