ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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3:4-3:7 | 2語文の復唱 |
4:0-4:3 | 文章の復唱(2/3)「きれいな花がさいています」 |
4:8-4:11 | ・文章の復唱(2/3) |
「子供が2人ブランコに乗っています」 | |
・4数詞の復唱 | |
4歳後半 | 音韻分解、語頭音、語尾音の抽出 |
5歳前後 | 語中音の抽出 例)「もやし」のまん中は? |
5歳後半 | しりとり、2モーラ語の逆唱 例)うし→しう |
6歳前半 | 逆唱(3モーラ語) 例)あたま→またあ |
モーラ削除(2~3モーラ) 例)あたま→あま |
子どもの日が近づいているので、
男の子には、こいのぼりの折り紙をすることがあります。
アニメを見ながら折れる『おりがみくらぶ』
母の日も近いので、お母さんへのプレゼントを
紙工作することもあります。
はさみを入れる練習や、書字の練習にもなります。
もちろん、通い始めた子の能力的な評価にもなります。
母子関係の改善?にも。
http://contents.kids.yahoo.co.jp/papercraft/
「こんなに使えない!」
今日のグループウェア研修会での感想です。
グループウェアは、市町村内の学校の教職員用パソコンを
一台一台全て回線でつなぎ、データをやりとりするものです。
このメリット。
他校通級の児童の学級担任との情報交換が格段にやりやすくなります。
これまでは、通級票に挟んだ教材を担任の先生に、子どもを通じて見せたり、
FAXを通じてやりとりする場合がありましたが、
グループ内メールを使うことで、瞬時に指導の様子を伝えることができます。
相手がパソコンを開く先生ならの話なので、事前の協議と合意が必要でしょうし、
「実際に会って交流する」ことがないがしろになってはまずいですが。
使えるのはそれぐらい。
他はアナログの方がずっと合理的だと思いました。
全児童の出席状況を整理する機能もあるようですが、
職員室に板書するのと、
パソコンを開いて電源を入れ直して、
グループウエアにアクセスしてインプットするのと、
どちらが速いでしょうか?
校内で出欠状況が把握できるというメリットがうたわれますが、
そんな数字、一日の中で何回必要でしょうか?
「今日の全校児童の欠席数は?」
「ええと、ちょっとまってください。今アクセスしますから」
「ちょっとまってください」の数秒間が、
学校現場でいかに致命的な時間的ロスであることか。
職員室の板書なら、見たらすぐわかります。
それに、欠席数データ化してしまったら、
ADHDの子に「欠席数を職員室に行って書いてきて」
の指示ネタがなくなってしまいますね。
学年打ち合わせで、顔を合わせながらスケジュール調整するのと、
週のスケジュールを一つ一つインプットして、バッティングを画面で
確認し、バッティングしたら、やっぱりミーティングして調整するのと、
どちらが合理的でしょうか?
打ち合わせ後にインプットするとしても、
打ち合わせ時にメモしますよね。
またインプットし直す時間と手間は、学校現場には致命的なロスです。
体育館に移動するたびに、事前に「今体育館にいます」とメッセージを残すことを
いちいちできるでしょうか?
「子どもと向き合う時間を確保するために(パソコンの導入が良い)」
とうたわれています。
全く逆ですね。
画面に向き合う時間は確実に増えるでしょうが。
今ほとんどの人は携帯を持っていますが、
その機能を全部使っている人はあまりいないですよね。
技術はあっても、それが現場でどれくらい使えるかは別。
「使われる」のでなく、「使う」こと。
与えられた機能を全部使わなければ、という強迫観念を
まじめな学校教員は持ってしまいがちです。
手段の見た目の美しさ、便利さに心が奪われ、
結局手間が増えたり、目的がずれていくということを
このことに限らず、色々見てきました。
特別支援教育も最近、そうした風潮を感じることがあって、
何とか本質に立ち返って欲しいと切に願っています。
文字が半角ずれているのを直す暇があったら、
様式を整える暇があったら、
学級や職員室へ足を運んで、対面することの方がいかに大切でしょうか。
通級指導教室に必要であるが、なかなかできない研修形態があります。
「OJT」
つまり「実務の中で仕事を覚える」
です。
通級担当教員の研修形態は一般に、ケースレポートをまとめて発表するのが主です。
ただ、ペーパーのレポートは、指導者のバイアスが往々にして入ってしまい、
子どもの実像に迫りにくい場合があります。
そこで指導場面のビデオ映像を併用したりするのですが。
もっともOJTに近い研修形態は、
「実際の指導の様子を見せ合う」
ことではないでしょうか。
担当一人の教室では難しいし、複数教室でも同じ時間に
全員が指導に入っていることが多いので難しい面はありますが、
定期的にでも行うことが
「生きた研修」
「本当に足下からの研修」
になるのだと思います。
関係者にも、文字で伝えるのもいいですが
実際に指導を見てもらうことが本筋と思います。
マジックミラーはそのためについているのですから。
でも、うちの教室のマジックミラーは小さくて見にくいのです・・・。
(写真ぐらいの大きさだと、かなり見やすいのですが)
町内会班長の仕事がまた舞い込んできました。
訃報の連絡とお手伝いの依頼の電話をしています。
この町内会は、高齢化率がトップクラスで、
長い歴史があります。
一つ一つのやり方について、「不文律」「慣習」
のようなものとぶつかりそうになったり、
ぶつかってしまったりします。
そのたびに謝ったり、慌てて修正したりするのですが。
客観的には不合理と感じることであっても、
地域にとっては、長い時間を掛けて醸成してきたものであり、
そこに歴史的な経緯、深い意味を見いだすこともできます。
それぞれの場所、地域のやり方を尊重し、その中に光を見いだしていくこと、
決して前例を崩してはならないということではなく、
過去から積み上げてきた先人達の想いに尊敬の念を持つこと、
新しいことは、その土台の上に築かれなければならない、
それはどの分野のどの仕事においても言えることだと思います。
マザーテレサはカトリック教徒でしたが、
お世話をして亡くなった方々には、
それぞれの方の宗教に合わせて葬儀をしたそうですね。
尊重する、尊敬する、共感する。
この軸がぶれていないか、時々振り返ること。
ぶれているときは、本当の目的が見失われているとき。
そう思っています。