ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
■メールはこちら
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
1
『英国王のスピーチ』公式サイト
http://kingsspeech.gaga.ne.jp/
英国王の吃音をめぐっての実話(少し脚色したという情報もありますが)だそうです。
残念ながら、私の居住地では上映されませんが、見た方、ご感想をコメントに頂けるとうれしいです。
北海道言友会も推奨しているそうです。
http://www.geocities.jp/hokkaido_genyukai/
言友会推奨なら、まちがいないでしょう!
2
『ホクは吃音ドクターです』
菊池良和/著、2011, 毎日新聞社
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1103028058/subno/1
紹介してくれた方の感想です
「吃音を持っている著者が、子ども時代どんなふうに感じ悩んでいたか、医師になって吃音を研究する立場から、最新の吃音の情報も一般の方にもわかりやすく書かれていてとても良かったです。
吃音のあるお子さん、保護者、担当者皆さんにぜひ読んでほしい本だと思いました。」
しばらく記事の投稿ができませんでしたが、やっと少し時間ができました。
先日、とても元気になる講演を聴く機会がありました。
北海道の中小企業の管理職の方で、その方の生育歴は、まさにタイトルの通りとのことです。
みんながラジオ体操をしている時に、一人で砂遊びをしていたり、
ほかの兄弟が一緒に遊んでいるときに、本人は一人で砂場の砂をふるいにかけ続け、
一週間がんばって、海岸の砂と同じ手触りになるようにした、とのこと。
学校の先生には「どうせ無理」と言われ続け、
「それでは食べていけない」とみんなに言われ続けていた・・・。
だから学校は大嫌いだったそうです。
それが今、この会社で作った製品は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)でも採用され、
新たな飛行機の開発は、アメリカの企業と手を組んで進めているとのこと。
彼のすばらしいところは、技術をマニアックに磨いてこられたということだけでなく、
自分の生育歴をおそらくは正確に振り返るとともに、
今、そして将来自分は何をしようとしているのか、何をしなければならないかを
客観的に掘り下げながら人生を送っておられる、ということではないかと思いました。
だからこそ、彼の話には強い説得力を感じました。
たとえば、(以下、私のメモなので、正確ではないかもしれません)
「勉強は、
いい企業に就職するためにするのではない。
社会の問題を解決するためにする」
今の日本人は、「どーせ無理」とあきらめてしまう。
自殺者の増加につながっている。
学校の先生も子どもたちに言っている。
子どもたちから夢を奪っておきながら、
「自信を持て」などと矛盾したことを言っている。
大学の講義では、外国人は熱心に参加し、
日本人の学生は携帯をいじっているか、寝ているだけだ。
将来何をしたいかという夢もない。
大学卒の就職の採用が減っているのは、そうしたことが背景にある。
赤ちゃんが初めてつかまり立ちした時、
「危ないから、どうせ無理だからやめなさい」とは言わない。
周りの危険な物をよけておきながらも、「すごいね」とほめて、
応援するはず。
いつから「どーせできない」と言うようになったのか。
みんなから浮かないように、「普通」であることを追い求めている。
みんな「特別」「一人一人違う」存在だ。
将来どうしたいのかというビジョンが全くない。
「してもらう」ことばかり考えて、
自分から何をするということがない。
アメリカには人口比以上に、多様な趣味がある。
海に行けば、得体のしれない物が動いていたりする。
飛行機の開発で手を組むことになったアメリカ人に会ったとき、
「これまでの日本人は趣味を持たない人ばかりだった。
初めて趣味を持つ人と会った」と言われた。
会社では、定期的に社員の趣味の発表会をやっている。
趣味のない日本人が多い。
社員に「普通の人」はいらない。
飛行機やロケットが大好きな人であればいい。
子どもたちのやりたいことを奪ってはいけない。
私はロケットの開発をしているがそれが一番の目的ではない。
やればできるということを日本人に復活させるのが最大の目的。
etc.
講演が終わっての感想。
私は通級指導で、やれ読み書きの指導だ、運動面の指導だ、
コミュニケーションの指導だと言っていますが、
とてもスケールが小さいような気がしてきました。
子どもたちの好きなこと、趣味をもっと生かす。
そしてそれは、単に教科学習を促進する手段というだけではなくて、
趣味に打ち込む、そのこと自体が将来への大きな学びなのではないか、ということ。
「学力向上」とか、「体力向上」とか、順位がどうしたとか、
そうした見方とは、もしかすると違っているのかもしれませんが、
しかし教育の本質、人生の根本を問われたような気がしたのでした。
内閣府と文部科学省の議論とを見ています。
・内閣府
障害者制度改革の推進のための第二次意見(案)(第二次意見(素案2)の修正版)
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_29/
「本人・保護者が望む場合に加えて、最も適切な言語やコミュニケーションを習得するために特別支援学校・学級を選択できるようにすること。」
→以前からちょっとニュアンスが変わったように感じます。
「加えて」以下が。
気になる点もあるけど、特に、
「障害のある子どもが障害のない子どもと共に教育を受けるという障害者権利条約のインクルーシブ教育システム構築の理念」
→障害のある子、ない子、とまず分けた上で、共に、というのは、本当に正確な表現なのでしょうか?
言わんとすることはわかりますが。
過渡期なのでしょうね・・・。
・文部科学省中央教育審議会初等中等教育分科会
特別支援教育の在り方に関する特別委員会論点整理に関する意見募集の実施についてhttp://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/12/1300850.htm
→現行の特別支援教育は、「インクルーシブ教育」に「漸次的に」進んでいることを認めた上で、さらに進めていく内容。「共同、交流学習」や「認定就学制度」、「保護者の意見聴取の義務づけ」など少しずつ進んでいるわけです。
特別支援学校や特別支援学級も、通級も、インクルーシブの理念からは必ずしも矛盾しないことを指摘しています。
ただ、それらにもっと連続性を持たさなければならない、ということも指摘していて、上野一彦先生も同内容をブログに書いていますね。
特別支援学校の分室を普通学校に設置している例も紹介されていて、道内にも例があるので、いい動きだと思いました。通級指導の「巡回による指導」も。
両者とも一定の条件がなければできませんが、財政も含めて、その条件を満たすよう注文もしています。
親元を離れて、遠くの寄宿舎に住まわせて、という状況をなんとか改善して欲しいです。
ただ、通級の「巡回による指導」は、私の知っているところでは取りやめたそうです。
保護者と疎遠になる、指導内容がフィットしないなど、デメリットの方が大きいので。
むしろ、全ての学校に通級を設置すべきでしょうね。
内閣府も文部科学省も、理想をしっかりもちつつ、事実をしっかり見つめた上での制度改革の動きを期待しています。
今日は、希望する先生と田中ビネー知能検査Vの
実技研修をしました。
全般的な知能水準を測るには、田中ビネー。
認知特性のバランスをみるなら、WISCや、K-ABC、DN-CASなどが妥当です。
検査というと、数値の一人歩きという批判が必ず出てきます。
その指摘は、全くその通りです。
だからこそ、検査の主旨や内容を正確に理解することが大切だと思います。
検査の数値だけでなく、日常の行動観察、情報と付け合わせて検討するのが
前提です。
検査の内容を見ていくと、子どもの力を測る観点の学習になります。
IQよりも、そのことの方が大事だったりします。
そんなことを議論しながらの研修でした。
理想は、全ての学校で検査を含めたアセスメントの力量を身につけ、
自立していくことだと思っているのですが、なかなか。
まず学校にカンファレンスの文化を、ですね。
『言語障害教育における指導の内容・方法・評価に関する研究』
(国立特別支援教育総合研究所、2010)
http://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_b/b-250.pdf
が発行され、過日、うちの教室にも届きました。
そして、
『きこえとことば研修テキスト』
(全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会)
http://www2.plala.or.jp/nangen/sub4.htm
は、改訂作業を行っている、と聞きます。
この2つの文献が、初めてことばの教室を担当した先生に
まずお奨めできるものになりそうです。
言語障害特別支援学級の新設を予定している学校から、
必要な教材教具等の問い合わせがありました。
物も大事ですが、担当の先生の専門性はもっと大事。
担当になってからの研修保障について、具体的に挙げて、
校内の先生の理解が得られるように、はじめが肝心、
と提案させて頂きました。
我流に流されることは危険、やはりベーシックな知識、見識を
きちんと学習した上で、自分のオリジナルを作っていかなければならない、
ということを痛切に感じています。
かつて日本の多くの学校では、食事の際、「三角食べ」
つまり、一つの料理を「ばっかり食べ」しないで
少しずつ順繰り食べるということをしつけられましたが。
外国では、メインディッシュを頂いて、次に、が常識ですよね。
私は給食指導でも、家庭でも、どういう順番に食べるかということは
ほとんど言いません。
国によって常識が違うだけでなく、
栄養学的には、どういう順番で食べようと
あまり関係がないらしいですから。
食事でまず一番大切な目標は「楽しめること」だと思うのです。
好き嫌いの多い子に、食べる順番の指導なんて、ナンセンス、
だと思うのです。
そこれそ、指導の「順番」が違うでしょ、と。
外国語も、まず読み書きの前に、コミュニケーションの楽しさが
大事だと思いますし、今回の学習指導要領の改定でも、
そのことがうたわれています。
今年4月から、小学校でも「外国語活動」が必修となり、
5,6年生は週1時間相当が時間割に組み込まれます。
今、先生方で分担して、授業内容を組み立てているところで、
私は5年生の「クイズ大会 What's this?」を担当しています。
通級指導の経験が長い私にとっては、
通常学級での指導を組み立てるというのは、結構ハードルが高いです。
子どもの状態像を見立てて、よりフィットする教材を開発して、
というよりも、5年生一般の発達レベルに合わせて、取りあえず作ってみる、
という要素の方が強いです。
そして、教材一つにしても、学級の人数分、
またはグループ分作成しなければならない、ということもあります。
そうした学級担任の先生の苦労を知ると言う意味でも、有意義ではありますが、
通級指導のノウハウを動員したり、逆に通級指導にも流用できそうな内容が
含まれていることが改めて分かってきました。
一方、中学校での外国語の学習指導要領では、
***
***
これらは、実はコミュニケーションの苦手な子への
ソーシャルスキル指導と重なる部分が多いと思っています。
たとえば「約束」では、相手に一方的に伝えることが「約束」だと思っていて、
「約束の時間に来なかった」ということが起こりがちな子がいます。
また、人を誉めると相手の気持ちが良い、ということを体験的に学ぶ機会や
実際の誉めことばのボキャブラリーが少なかったりします。
まさに、発達障害のある子にとって、それらは外国語を学ぶのと同じ
感覚なのかもしれません。
そして一番大切なのは、スキルそのものというより、
「コミュニケーションが楽しいという経験の保障」なのでしょう。
参考までに、
小学校学習指導要領
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/
第4章 外国語活動
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/gai.htm
小学校学習指導要領解説
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syokaisetsu/index.htm
中学校学習指導要領
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/index.htm
第9節 外国語
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/chu/gai.htm