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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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【教材紹介】ちょっとした工夫で、練習はとてもおもしろくなる。百均のおみくじ



かわりばんこに引いていくと、どれか2本、
おみくじが爆発するのがあります。

爆発したら負けにしてもいいのですが、
糸が底につながっているので、引っ張った瞬間に
わかってしまい、別のを引く子がいます。
だから、負けではなく「当たり」にした方が。

・構音練習に
 10回練習するたびに、子どもと先生が一本ずつ引く。
 知らない間に、たくさん練習していることになります。
 特に摩擦音系の練習では、過呼吸で頭がクラクラにならないよう、 
 一回の練習回数を少なくした方が。
 
・感覚統合に
 そっと引かないと、糸がつながっているかがわからないので。
 「そっと動かす」のが苦手な子に。
 舌をそっと動かす練習だけでなく、体をそっと動かせるということが大事。
 
・ゲームの順番決めに
 じゃんけんでもいいですが、味付けに良い。

他にも工夫次第でいろいろ使えそうです。


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全国学力テスト 中止

学テが中止になったと報道がありました。

導入までにも、導入後にもいろいろ議論がありましたが、
個人的には弊害の方が大きいなあと感じています。

順位への過度な執着。

「学力が低下している」という幻想が大々的にキャンペーン展開され、
その結果、お勉強偏重の世論ができてしまったなあと思っています。

通級時に、授業を抜けさせたくないという保護者が増えているのも、
そうした背景があるのではと思っています。

いいですか。

就職して、途中で退職してしまう人の多くの理由は、
読み書き能力ではなくて、コミュニケーションの問題なのです。

計算ができなくたって、自動化されたレジの担当はできる時代です。
すぐ忘れたって、ネットで調べれば何でも出てくる時代です。
暗記力よりも、情報を適切に取捨選択する能力の方がはるかに大事な時代。



「『差異あるときは確認せよ』
の意味がわからないために機械が操作できなかった。
それは「ゆとり教育」によって漢字が読めない子どもが増えたからだ・・・。
だから、うちの職場では、毎朝漢字のドリルをやっている・・・」



機械が操作できなかったのは、
漢字が読めるかどうかではなくて、わからないときに
先輩に尋ねられるかどうかというコミュニケーション能力の問題ではなかったのか?

とある番組を見て思いました。

小さい子にまで分刻みで勉強させ、ぼうっとしている時間を作らせない家庭・・・。
ぼうっとしている時間は無駄どころか、精神保健上とても大事な時間なわけですが。
あるハウツーものの本には、生活の隙間の時間に取り組みことで能力アップだとか・・・。

どうしてそんなに先を急ぐのですか?

何のために生きている、という中心軸なしに、
ただ読み書きができたってだめでしょう、って思うのですよね。
それは土台のぐらついたのっぽビルです。

上にいくら積み上げても、情緒という土台がもろかったら、
土台から崩れますよ。

学校は確かに、学力を伸ばすということが大事だけど、
学力を支える「屋台骨」はどうなのですか?

ある特別支援学級では、お勉強ばかりで、
自立活動を全くしないという例があると聞きます。
保護者の希望を尊重するということもあるので、
必ずしも間違いとは言えないかもしれませんが。

でも「学力」は、その子の理解のレベルに合わせなければ単なる拷問に過ぎません。
本人にとって、その学習内容をどう感じるのかという視点を絶対に見失ってはいけない。

つまりそれは「自立活動」。
文字の読み書きの前に、「伝える」ことの喜びは体験できているのですか?
書きたい、書いて欲しい相手、読んで欲しい、読みたい相手がいるから書くのでしょう?

「本人の気持ちを内側から理解する」
ことが目的の「LDの心理的疑似体験プログラム」

時々体験し直してみることが必要なのでは。

ソーシャルスキル指導だって同じ。
接し方、話し方の技術を教える前に、
自分自身の理解、他人の理解、場面の理解など、
理解がまず大事でしょって思うのです。

そして理解のさらに根本として、
関わることが楽しい、うれしい、という気持ちは体験できているの?
「共感」は保障されているの?

どうも形だけ、見た目だけ、に走ってしまいがちなのかなあと。

皆さん原点に返りましょうよ。

パソコンの画面を見つめるだけでは、本質に近づけませんよ。(^_^)


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【研修報告】「教育研修センター講座 言語障害教育Ⅰ」(2011.5.9)

 ことばの教室担当の先生方を主な対象とした講座「言語障害教育Ⅰ」が開かれ、講師を含め19名の参加がありました。

 講師は、私を含め3名でした。

 講座「読み書きの評価と指導」では、「短期記憶」や「ワーキングメモリ」、「文脈の理解」、「選択的注意」など、読み書き困難の背景にある能力について、疑似体験を交えながら説明、一人一人の違いを丁寧に見取ることの大切さを強調していました。
 
 講座「構音障害の評価と指導」では、構音障害やの構音の仕組みを細かく説明し、ロングエスに代わる新しい発音記号など、最近の動向についても触れました。
 
 午後は事例交流が3班に分かれて開かれ、「学級担任からの情報収集」の大切さなどが話題にあがりました。
 

 今回の講座の応用編として位置づけている講座「言語障害教育Ⅱ」が、8月24日(水)に開かれます。講師は同じ3名です。ある事例について、子ども理解、問題の仮説、指導仮説、個別の指導計画や自主教材作成までを各班で話し合いながら進める実習版です。関心のある方、都合のつく方の多数の参加をセンター、及び講師陣は期待しています。
 
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この記事は、当言語障害教育団体の記事を先取りして掲載したものです。

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【研修報告】「発達がい(ADHD・LD・ASD)への理解と支援 これまでの10年・これからの10年」(2011.5.7)

 オホーツクADHD&LD懇話会が10周年を迎え、記念行事が開かれました。

 日本のLDの教育研究では第一人者の竹田契一さん(大阪医科大学LDセンター顧問)は、特別支援教育が始まって5年目を迎える今年の現状と課題を具体例を交え指摘していました。

 この中で竹田さんは、「先生と相性が合わなければ、どんなに良い教材を作っても効果が上がらない。『また先生と会いたい』と思われることが大切」、「『3年生だから自分の名前が書けて当然』と何度写し書きせてもできないのを子どものせいにしてはいけない。子どもに合った教材を」と話していました。

 ADHD当事者で、当事者団体「えじそんくらぶ」の代表 高山恵子さんも、ADHDに関する最新情報や、特別支援教育の動向について話していました。

 この中で高山さんは、「特別支援教育は難しいことではなく、がんばっているのにできないという価値観を持てるかどうかの話だ」と述べていました。

 北海道教育大学の二宮信一さんは、パネルディスカッションの結びの講話で、専門家に過度に依存する施設中心型のサービスではなく、各地域がチームで現状に合わせたサービスを展開する「CBR」について説明していました。最後に「支援をすることによって、支援する必要がなくなるための支援」ということばが印象的でした。

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この記事は、当言語障害教育団体の記事を先取りして掲載したものです。

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【教材】それ、捨てるならください!3

DSCF1870.jpg











つりざお。
昔、一年生がザリガニ釣りに本当に使っていたそうです。
ところが最近は釣れないので、用務員さんのお部屋に置かれ、
いずれ処分されるはずでした。

でも、一年生向けとあって、安全に作られていますし、
竿のしなり方が本格的です。

釣り糸を短くすれば、指導室でも使えます。

魚釣りゲーム。
運動面を育てるのはもちろんのこと、
魚に数字をかけば、釣った数字の足し算になり、
カテゴライズする問題にすれば、
当てはまるものだけ釣るなど、言語概念の育成にもなり、
文字を書けば読みの練習になるなど、
汎用性が高い教材です。


DSCF1872.jpg











幼児向けのすべり台なので、小学生にはどうかとも思いましたが、
ぴったりの子がいるのは確かです。
本格的なすべり台だと恐怖心が先に出ますが、
これぐらいだとちょうどいいのです。


DSCF1871.jpg











スピーカ。
ほとんど傷なし、完動品です。
これは掘り出し物でした。

ICレコーダーに録音した構音を
付属の小さなスピーカで再生しても、
ほとんどわかりません。

こうした外部スピーカーにつないで再生するのが基本です。

昔は、オープンリールで録音し、部屋に大きくドカンと置く
ステレオで聴いたものです。

ICレコーダーなどは、技術的にせっかく進んでいるのに、
使い手が上手に使わないと、せっかくの技術が泣きます。

このスピーカ、欲しい教室があるはずです。

管内で困っているあの教室に寄付しようかなと。
(寄付行為は可能か、ということはありますが)

***

子どもは一人一人違いますから、指導者は支援の引き出しをたくさんもっている必要があります。
支援の引き出しを多く持つということは、教材を多く持つということです。

私の指導室がいつも片付かないのは、支援の引き出しがたくさんあるからです。

つまり、ちらかり具合と、支援のフィット度は、比例している、
つまり良き指導者なのです。(笑)

これを「三段論法」といいます。(^_^;)

怪しげな三段論法のプロパガンダを、支援の場で見聞きします。
それを皆で見抜いていれば問題はないのですが。

蛇足でした。

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【教材】それ、捨てるならください!2

P1000406.jpg












バインダー。
破損してない部品同士を組み合わせると、また使えるようになりました。

通常学級ではみんな同じ物を持っていなければならない、
という不文律がありますから、いくつか壊れるともう使えないかもしれません。
でも個別指導には使えるのです。

書くことを伴う、グループのゲームには最適。

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【教材】それ、捨てるならください!



幼児教室が移転するにあたって、
小学校に譲るか、捨てるかの問い合わせを頂きました。
是非、置いていってくださいとお願いした一品。

身体図式を描くなどの感覚統合にいい教材ですよね。
目に見えない背中などの部分は、
子どもによっては認識が難しいですから。

中に入っているときに、揺らしてあげたりすることも。


P1000412.jpg
















これは幼児教室ではなく、うちの学校のゴミ箱にあったもの。

まねして作るなど、視空間認知、構成能力を育てるのにいいのでは。
大きめのですから、できるようになったら、
ブロックなど小さめのものにしていきます。

学校のゴミ捨て場は、個別指導にとっては教材の宝庫です。(笑)
特に年度替わりには。

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【教材紹介】風車を使ってサスセソシの摩擦音のモトを作る

DSCF1784.jpg













風車を吹いて摩擦音を作るということをやっています。

その前にまず、「舌平ら」(舌お皿)をしっかり作れるようにします。
舌平らは、どれでしょう?
WS000016.JPG













そして、舌平らができるようになったら、
舌と上顎前歯との間にストローをはさんで、
空気を出すようにします。

そのとき活躍しているのが、風車です。

DSCF1822.jpg

















即席の「風車回し機」を子どもに渡して宿題にしました。
ストローから呼気を出すと、風車が回る仕組み。

ストローの空気の出口は、はさみで切り広げた方が回るようです。

また羽根は画用紙を使いましたが、普通の西洋紙の方が軽くて
よく回ります。作る前に気づけばよかったのですが。

以下、作り方です。


DSCF1823.JPG













実線をはさみで切ります。

え?この紙が欲しいと?
仕方ないですねえ。(笑)
ダウンロード(pdf)

西洋紙に印刷してください。
もう少し小さいサイズの方がいいかもしれませんが。

DSCF1824.JPG













切ったら、このように貼り合わせます。


DSCF1825.JPG













まだ貼り合わせいないもう一方の羽根を
先ほどの羽根と交叉させるように貼り合わせます。
そのとき、初めに貼り合わせたのより手前側で貼り合わせます。
向こう側で貼り合わせてもいいですが、3本とも統一してください。
一本でも違う貼り合わせ方のがあると、回りません。

また、向こう側に貼り合わせるか、こちら側にするかで
回転の向きが変わります。いずれにせよ3本とも統一を。


DSCF1826.JPG













3本とも真ん中に千枚通しなどで穴を開けた後、
このように組み合わせてみます。

写真では、緑の羽根の中に黄色の羽根を入れ込み、
さらにその中に赤を入れています。


DSCF1827.jpg
















羽根に竹串とストローを通します。
ストローは、羽根の中と、羽根の後ろの二カ所に通します。
余った紙などをのり付けして竹串の後端につけて、
羽根が外れないようにします。
割り箸と羽根の後ろのストローをセロハンテープで固定します。

できあがり。

DSCF1785.jpg













凝り性の私は、1セットずつキットにして、
必要な方に分けることにしました。

ほとんどが廃品利用です。

竹串はどのように入手したかというと、

DSCF1782.JPG













うちのこわれた巻きすでした。

風車は回りやすくしないと、ハードブローイングになって、
余計な力が入ってしまいます。
よく回るように工夫を。

もっとも、この風車自体はよく回りますが。

さらに専門的に作りたい方は、
「よく回る風車」で検索してみてください。いろいろ出てきました。

***

練習は楽しくないと、ですね。
怒られながらやる学習では、将来全く学習しない子になっちゃいます。


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書きまつがい

親の会の会合で、様式を眺めていた会員の方が
見つけました。

「○○小学校ことばの教室」と書くところを

「○○小学校とばの教室」

んんん、口腔機能が鍛えられそうな教室ですね。

(鮭とばが好き)


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「みんなと同じになろうとするのでなく、自分の個性を大切にして、世の中で活躍できることを見つける」

NHK 大人の発達障害 シリーズの録画をやっと見終わりました。

悩んでいる当事者へ、別の当事者がコメントしています。
そのコメントは、とても説得力があります。
そして、その内容は、他の人にも参考になることだと思いました。



自分が発達障害者であるという境遇をどう受け入れたか

→「周りの人と同じになりたいと思うことは、
逆に自分を追い詰めることになる。
みんなと同じになろうとするのでなく、
自分の個性を大切にして、世の中で活躍できることを見つけること。」

全くその通りですね。
そして支援者である側も、子ども達を周りの子と同じくできるように
しようとしてはいないでしょうか?

それは、本当に支援になるのか?
と我が身を振り返りたくなりました。
また、テンプル・グランディンは、

「自分の役割を見つけてかわった。仕事に打ち込むことで乗り越えた」

とおっしゃっています。

特別支援教育に関する民間を含めた活動に熱心な関係者の中には、
こうした方も決して少なくないのでは、と時々感じているところです。
自分を含めて。



「家族から理解されない」悩みについて

→親と距離をおく
「人生の主役とは、『親がなってほしい人間』ではなく、『自分がなりたい人間』になること」

→「夫婦関係では、わかってほしいという思いを捨てて、
気にしないようにしていたら、逆にうまくいく」


これもとてもよくわかります。
家族とは多くの時間を過ごすので、コミュニケーション等で日常生活に
様々な困難、苦しみが生じます。
でも、わかって欲しいとか、なおしてやろう、見返してやろうなどと思っていると、
ますますうまくいかなくなります。

ここは、セルフヘルプグループに通うなどして、
自分が元気にくらしていき、
家族を気にしないようにしておけば、
逆にうまくいく、ということです。

あるお医者さんが、「家族は、良い意味でのあきらめが大切」
とおっしゃっていたのを思い出しました。



「人づきあいの悩み」

→「好きな美術や歌を一生懸命練習して、人付き合いもそこに集中するのがよい」

→「好きなことは、息抜きのために重要。
これからの人生、発達障害者はストレスをためやすいということもある」


好きなことに打ち込む、障害の有無にかかわらず大事ですね。


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下司昌一先生ご逝去

下司先生には、2年前に札幌市で開かれた、特別支援教育士養成セミナーで、
「学校における支援体制Ⅰ:通常の学級における支援」のご講義を受けたのが
私にとって最後になりました。

 講座の最後に先生がおっしゃっていたことが印象に残っています。
 つまり、
「昨今はめまぐるしく学校教育を変えようとしている。
しかし、教育は長い歴史をの中で積み上げていくものだ」
という意味のことをおっしゃっていました。

その時示された「長い歴史の中で築かれてきた建造物」
のパワーポイントの写真が、今でも目に残っています。

私が日本LD学会に出席するようになってから、
一番印象に残っていた先生のお一人でしたので、
とても残念です。

しかし、先生の功績を、残された私たちが継いでいかなければなりませんね。


訃報に接したときに、必ず思い出し、自分自身に問うことばがあります。

「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかで決まるのではなく、
彼が生きていたとき、なにを為そうとしたかである」 山本周五郎

地位欲、名誉欲など自己保身のためなのか、
それとも本当に他人を大切にしようと思ってなのか、
いつもこの視点を大切にしたいと思っています。

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子ども総合支援センター完成! 我がことばの教室と目と鼻の先なのは、連携のため

 
  障害のある子どもへの療育だけでなく、広く
子育て一般を支援していこうという理念のもと、
子ども総合支援センターが遂に完成しました!

 この日は来賓が集まって完成式典が開かれていました。
たまたま外勤の帰りに通りかかったところ、撮影できました。

 その翌日、長年同じ屋根の下で仕事をご一緒してきた我がことばの教室の
幼児部門もこの施設の2階に移転したのでした。
 移転先は目と鼻の先です。我が教室との連携を密にするために、
この土地が選ばれました。

 お引っ越しのお手伝いがてら、施設の見学をさせて頂きました。
 
Dscf1776.jpg

 玄関を入るとなんと、太陽光発電の説明が掲示されていました。
 施設内の照明の一部はLEDを使うなど、エコが意識されています。
 LEDは何個もの球が束ねられていたので、かなり明るく感じました。

  
DSCF1716.jpg








 

 初めに入った部屋はとても広い!
すべり台がありました。デザインは、某木の遊具施設と同じです。
地元の木材業者の名前がところどころに見られました。
木材自体も、地元のものをふんだんに使うという行政上の
方針もあり、建物全体に鉄骨を使用していないのも特徴です。

DSCF1717.jpg

 

 












 早速職員がすべっています。


P1000438.JPG
 ここは、小集団指導のお部屋らしいです。

  
DSCF1723.jpg
屋内プールです。設置には職員の意見が反映されたそうです。

 
DSCF1731.jpg

感覚統合室です。
 2トンの重さまで耐えるそうで、早速見学中の職員が載りましたが、
問題ありませんでした。
 最近、感覚統合療法のエビデンスはどうよ、という論調が出てきていますが、
楽しい、関われる、ということが一番大事ではないかなあと。
 脳の部位がどうしたとなると、エビデンスはどうなのだろうという意見は
あるでしょう。
 でも。眼球運動の稚拙さが、文字の読み書きに影響している場合はある、
ということは、私にとっては実感的です。
 
DSCF1756.jpg
 
2階の聴覚言語指導室の保護者控えスペース。
指導室への通り抜け方式にしたそうです。
 通り抜けにすることで、保護者同士の交流にも
つながりやすいかもしれないですね。
 
 
DSCF1744.jpg
 
 COR(条件詮索反応聴力検査)のあるお部屋。
CORの実物を見たのは、実は初めてです。


 反対側の廊下を歩くと・・・。

「なんということでしょう!」(劇的ビフォーアフター風)
 
P1000440.JPG
巨大な遊び部屋が現れたではありませんか。
  
 
P1000439.JPG
 まだ袋を開けてないボールプール。

 保健師が常駐して、保護者の子育ての悩みに
気軽に相談できる場所なのだそうです。

 そしてさらになんと、
 DSCF1761.jpg
テーブルといすがたくさん。
 なんと、100人規模の集会ができるのです。
 特別支援関係の研修会を費用負担を最小限にして開けます。

 
 
DSCF1732.jpg
 いくつかあるトイレコーナーでは、それぞれの
ニーズに応じた形のものが設置されていました。 

***

 物が壊れていくニュースをたくさん見てきた最近、
久しぶりに「創造」の希望を見いだす思いがしました。

 そして、こんなにきれいで楽しそうなところなら、
是非通いたい!と思わせるのでした。
 子ども達の歓声が聞こえてきそうです。
 特別の支援を受けることは、決して後ろめたいことではない。
 そればかりか、こんなに楽しい!
 他児がうらやましがる!
 そんな療育、教育をしていきたいものです。
 この施設から、そんな願いが感じられるようです。
 
 「楽しさ、安心感があってこそ、能力は伸びる」

 また、今回の新築にあたり、ST,OT、保健師がそれぞれ一名ずつ
常勤雇用されました。
 自治体の意気込みが感じられて、うれしい限りです。


 一方、幼児の先生方が職場からいなくなって、
ポッカリ穴が開いた気持ちもあります。
 異職種の人が学校にいるということは、
学校の体制にどれだけプラスになっているのか、
ということを今更ながら感じるのでした。
だからこそ、今まで以上の連携を、と思います。
 

  
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初めてことばの教室を担当した先生へ(再掲)

3年前に書いた記事です。

http://kotobaroom.blog.shinobi.jp/Entry/59/

今でも改訂の必要を感じません。

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NHK 大人の発達障害「自分は世の中からいなくなればいい」

発達障害から、鬱などの精神疾患に至る例は少なくありません。

「この世からいなくなればいい」
とか、
「あらゆる刺激に鈍麻になりたい、と薬を増量してもらった」
などの気持ちは、とてもよくわかります。

そして、診断を受け、適切な支援を受けられるようになるまでに、
9年とか10年以上とか、病院を転々としてやっとたどりついた
という話。
もっと早くわかっていれば、という話を聴くたびに、
私たちの仕事はまだまだたくさんあるなと思うのです。

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自閉症当事者 テンプル・グランディン

今日のNHK「大人の発達障害」では、テンプル・グランディンさんの
紹介がありました。

私が通級担当になって、初めて読んだ自閉症関連の図書が、
テンプル・グランディンさんの『自閉症の才能開発』でした。

自閉症のある人が、自分で本が書けるの?
と初めは疑問だったのですが、読んでみてその疑問は解けました。

当事者の本は、信頼性がどうか、という議論もありますが、
私には、少なくとも彼女の本は本当のことを書いていると思いました。

なぜなら、自分にも当てはまるところがあるからです。

自閉症の理解のためには、研究者の文献もよいですが、
本人の証言を読むのがとてもよいと思います。

***

自閉症のコミュニケーションのつまずきや、こだわりなどは、
「わがまま」、と誤解されがちです。

ただ、小、中、高校と、「わがまま」と言われ続けることで、
本人も自分のことを「わがまま」だと思い込むことがあるのでは、と。

それは単なるわがままではなくて、他人の視点を持ちにくいことから
来ている、脳の問題なのだということを本人自身が理解することの
大切さを思います。

そうした概念自体を理解するのも簡単ではない場合もあるかもしれませんが。

単に性格の問題だと指摘され続けることで、
自己否定が他者否定につながります。
そして他人のせいにしておくことで、
精神的な安定を過剰に図ろうとするようになっていきます。

その考え方が、世間一般から見てどれだけはずれていても、
世間一般と自分の考え方の比較ということがまず困難です。

こうしたことは、コミュニケーション面だけでなく、行動面でも言えます。

食事中に離席したために怒られる、というマイナスの声かけを
続けられることで、自信をなくしていく。
食事自体が嫌いになる、という二次的な障害に
陥らないように、ほめることを中心した関わり、
小さいうちからの配慮が必要と思います。

大人になってから、二次的な障害を改善していくというのは
とても大変なことです。
ちょっと指摘されただけで、学生時代にいじめられた体験がフラッシュバックし、
過剰に感情的になったり、攻撃的になりやすい大人になっていきます。

能力的にできる、できない、よりも、心理的な安定、自己肯定が
いかに大切かを思うのです。


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***


NHK シリーズ 大人の発達障害


「シリーズ 大人の発達障害」
http://www.nhk.or.jp/heart-net/fnet/


なんで家族とうまくいかないのだろう、
でも診断を受けてわかった、という当事者のお話を聞くと、
人を理解することは、自分も他人も救うことになるのだなあと。

物の位置を変えられると怒りたくなったり、
話し合いで物事を進めるのが苦手で、
実は周りの人にとって、彼、彼女の言動は、
「上から目線」に感じていることに気づけない。

家庭内不和の要因の一つに、
大人の発達障害という視点は大事だなあと思うのです。

わかることで、お互いに、トラブルを回避できたり、
工夫したりできるのですから。

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***


「○○できる、できない」の視点だけでなく、本人の気持ちを大事にすること。・・・10年たって思うこと

世の中も身の周りも、最近いろいろなことがありすぎて、
ブログを書く余裕と体力がありませんでした。
ご心配をおかけしましたが、やっと回復してきています。
今後ともよろしくお願いします。

さて、関わらせている多職種団体が設立10周年を迎えました。
記念誌を発行するということで、原稿を書きました。


***

懇話会と私のこれまでと、これから
            某公立学校ことばの教室 ya
 
 2000年、私は前任校のことばの教室に勤務していました。
 通級児童の保護者の中に、田中康雄先生(当時、十勝ADHD&LD懇話会代表)
のもとに通院し、また活動に積極的な保護者がいらっしゃいました。
 懇話会設立準備会へつながったきっかけの一つでした。
自分自身の特性を知りたいという思いもありました。
 毎月の準備会には、大学の先生や病院の先生、小中学校、幼稚園、
療育の先生、そして保護者など、二十数名の方が集まっていました。
 用意された資料には、「LD」、「ADHD」、「感覚統合」、「脳生理学」の
研究などが載っていました。普段あまり目にしない、当時としては
最新の研究に触れることに新鮮さを感じたものでした。
 日本LD学会に参加するようになっていたのも、
最新の研究を子どもたちに、という気持ちからでした。
 先輩である十勝の懇話会にも出席し、参加規模の大きさと、
保護者、関係者のパワーに圧倒されたものでした。

 今思うと、当時は、「LD,ADHD」の診断名を重視する傾向は
あったかもしれません。
 しかし、「育て方が原因ではなく、生来の特性」という考え方は、
従来の学校教育の文化では、必ずしも理解されにくい部分でした。
 育て方でなく、一人一人の違いなのだという「コペルニクス的転回」のためには、
診断名重視の傾向は、当時としては必要な過程だったのだと思います。
 そして、2001年、懇話会が発足しました。
 「もっと愛情を与えなさい。しつけもしなさい」と、周りに言われ続けました。
 愛情もしつけもいっぱいしてきました。これ以上、
何をすればいいと言うのでしょうか? 
『親の育て方が悪い』と斬り捨てていいんでしょうか?」
 この保護者のことばが、活動の一つの原点なのだろうと思います。
 そして誰かを責めたくなるその方自身も、実は悩んでいたということ。
 支援者が当事者を支援するという図式ではなく、共に支え合うということ
なのだろうと、活動を通して気づかせていただきました。
 「障害はお互い様」なのだと。
 
 さて、特別支援教育の今後の課題として感じていることがあります。
1)担当教員の専門性を確保すること。
2)逆に、コチコチの専門性だけでなく、子どもの日常を含めた
トータルな理解と支援、つまりジェネラリストの視点を大切にすること。
3)「○○できる、できない」の視点だけでなく、本人の気持ちを大事にすること。
4)検査やアセスメントの趣旨と限界の「正確な」理解に向かうこと。
5)子どもや関係者、そして自分自身を長い目で見つめること。
6)「支援方法」は、本に載っているのでなく、子どもの深い理解の中にあること。

 これまで関わらせて頂いたことに感謝の気持ちを述べ、
課題解決のため、これからも関わらせて頂ければと思います。

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人は変わり得るものと信じる・・・長い目で見て

子どもを長い目で見て、とか、
背景を理解して、というのは当然ですが、
実は大人に対しても、とりわけ、支援者と言われる方に対しても、
同じように長い目で見ることが大事だと思うのです。

人間が人間を教育するわけですから、完璧にはいきません。

いいところを見つけて尊重し、尊敬する。

「楽しさ、安心感」が大事なのは、子どもはもちろん、
関わる大人にも言えるのでは。

どちらが正しいか、間違っているかという視点ではなくて、
あの先生はだめ教師だ、だめ親だ、と決めつけるのでもなく、
両者の関係をどう調整し、お互いに幸せになれるようにするのか、
一致点を見いだすのか、がコーディネートなのでしょう。

そういう私も腹の立つことはありますが、
時を待つことで解決することも少なくありません。

何か知識や情報を伝えることで変わるのではなく、
尊重、尊敬をもって関わらせていただくことの積み上げの中に、
関係の変容があるのでは、と思うのです。

最近、紙面だけで情報を関係者に伝えるリスクが目立ってきているようです。

関わりとは双方向であり、変容も一方だけではなく、お互いに、なのでしょう。

他人の気になるところは、実は自分自身の中にもある。
という気づきを得たとき、「あの人は」ではなく、「私たちは」に変わるのだと思います。

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子どもの感情を否定しないで、まずは受け止める

子ども「いたいー、いたいー」
おとな「そんなの痛くない、痛くない、我慢しなさい」

子ども「怖いよー」
大人「怖くない、怖くない。何でもないでしょう?」

ついつい、言ってしまいますね。

「そのぐらいのこと」
「そんな小さいこと」
でも、子どもにとっては、とても重大なこと。

大人から見たら、そうでもないことでも、
子どもにとっては、少なくとも、そう感じていることは事実。

感情を否定され続けると、
そうした感情自体を持ってはいけないとか、
表現してはいけない、と思うようになり、
自己否定、そして他者の感情の否定につながるのでしょう。

「痛かったね-、痛かったね-。ここにぶつけたんだね。血は出なかったね」
とまずは受け止めて、その後事実を見せていくという方が。

子どもが少し大きくなったときも。

子ども「ああ、もうだめだ」
大人「そのぐらいのことで、いちいち落ち込んでいたら
世の中でやっていけないでしょ」

こう言われると、「どうせ俺は、世の中でやっていけないんだ」
という自己否定を強めていって、ますま落ち込みます。
片方では、落ち込んではいけないと自分でもわかっている、
わかっているけどできない、という葛藤で苦しんでいる人には、
正攻法での話しかけは、葛藤を強めるだけです。

落ち込んでいる人には、お説教は全く無効です。
その気持ちをよく受け止めつつ、
認知、行動、身体感覚のどれか変えやすいものを変えてみるという方が
効果的ですね。

いずれにせよ、病気や障害の有無にかかわらず、
自分の気持ちを受け止めてもらえるということは大切ですね。

受け止めるかどうかということと、その後の行動をどう適正化するか、
ということとは、分けて考える必要があります。

そして支援者に「将来のため」という焦りがあると、
双方ともに余裕がなくなってきます。

「今、ここ」の楽しさ、安心感があってこそ、
次へつながるということを確認したいのです。


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通級の指導目標を検討する 6

「楽しく遊ぶことができる」

この目標には、いろいろと検討すべき内容が含まれています。

まず、楽しく遊ぶこと自体は、通級でもっとも大切なことです。
(通級に限らず、学びが楽しいということは、教育の基本なのでしょう)

「楽しさ、安心感があってこそ、能力は伸びる」

子どもの発達支援を考えるSTの会の主催 中川信子先生のことばです。

また先生は、
「笑顔がエビデンス」
ともおっしゃっています。

指導内容、方法の「科学的根拠」はもちろん大事なことですが、
子どもの笑顔があってこそ、その内容、方法が子どもに合っているということですし、
一番大事にしなければならないこと、だと思います。

そのことを前提にした上でですが。

「楽しく遊ぶことができる」

これはたとえば、テレビゲームを一時間いっぱいやったとしても、
目標は達成ということになってしまいます。
(もちろん、そうしたアプローチが必要な子もいますが)

楽しさの中身、子どもの育ちをどのように手助けしていくかという観点を
抜いてはならないのでしょう。

・ルールを理解し、守ることで、ゲーム自体の楽しさを体験することができる。
・話し合いの中で、自分の意見と他人の意見とを理解、比較して、
折衷案を提案できる。
・負けても物をたたかず、ことばで悔しさを適切なことばで表現できる

などなど、様々な下位目標が考えられるのでしょう。



さて、何回かに分けて指導目標を検討してきました。
最後に一番大事だと思うこと。

それは、
「○○させる」とか「○○できるようにする」という表現は、大人目線だということ。
支援者が子どもに、という視点です。
「○○できる」とか「○○できるようになる」
つまり、子ども目線で目標を設定すること。

そして、「○○できる」こと自体が、子どの「人生の文脈」にとってどうなのか、
本人にとってどれだけの価値があるのか、という洞察があって初めて、
子どもを主役にした指導目標が設定できるのでしょう。

支援者はあくまでも脇役、黒子、助産師です。

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【教材紹介】幼児向けおもちゃは小学校でも使える。そのほか自作教材



おもちゃの貸し出し施設からの借用。

鏡文字を書いてしまう子、形の把握が苦手な子に、
定番の楽しいおもちゃはいかがでしょう。
形の把握以外に、左右上下の反対を認識できれば、
スポンとはまります。

2歳児。
「反対だよ」と教えてやると、持っている物ではなく、
箱の方を反対に回すところがおもしろいです。
でも「反対だよ」と言うと、上下の反対なのか、
左右の反対なのか、試行錯誤しながら入れようともしています。

DSCF1691.jpg




おもちゃの貸し出し施設も含めて、今度できる
療育施設に統合されるそうです。
ますます利用しやすくなります。
その療育施設も完成に向けて工事中です。
4月に改築記念式典を行うそうです。
楽しみです。

7c9da6ff.jpg






仮面ライダーのカード。
神経衰弱、ばば抜き、構音指導にも。
最近の仮面ライダーは、コインを使います。
3つのコインの組み合わせ方で、いろいろな仮面ライダーに変身。

コインの図柄は、似ているものがあるので、形の弁別にもいいですね。

もちろん、女の子には、最近新しくなったプリキュアカードを自作。

DSCF1628.jpg










「点つなぎ」

「左から何番目、上から何番目」という学習と平行で行うと、
この点つなぎも向上しますね。

「見る力」の発達は、眼球運動の問題だけではなくて、
概念発達と密接不可分だと思うのです。

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通級の指導目標を検討する 5 「○年生の漢字のすべてを読み書きできる」

「○年生の漢字のすべてを読み書きできる」
私自身を含めて、通級の指導目標に教科の補充指導を掲げる場合があります。

これには2つの意味があると考えます。

1 実際に通級で、漢字の読み書きの達成をねらった直接的な指導を行う
2 通常学級での教科学習を支援するための自立活動を通級で行い、
  「結果として」漢字の読み書きが一定程度できる。

週の限られた通級時間で、1を直接ねらうことはできるでしょうか?

LDの通級では、言語障害など他の障害とは違って、
自校通級の割合が多いですし、指導時間も多いです。

つまり、従来の言語障害の通級時間枠「週1~3時間」だけで、
しかも他校通級で、教科の達成を狙うことが、果たして可能でしょうか。

きわめて難しいと言わなければなりません。

通級対象が拡大したのは結構なことですが、
実質的にどれだけのことが可能なのかという地道な検討なしに
進んでいるように思えます。

日本LD学会の発表論文でも、従来の指導時間だけでは
教科の補充指導は難しい、と書かれています。

通級のまず本筋は、「教科の補充指導」ではなくて、「自立活動」のはずです。

最近届いた全国公立学校難聴・言語障害教育研究協議会の冊子にも、
「最近は、ことばの教室からまなび教室への移行が増えている。
学力向上の世論に押されて、通級もその影響を受けている」
という趣旨の意見が載っていました。
(正確な表現は忘れましたが、そんな趣旨でした)

「ゆとり教育」という造語が流行し、「学力低下」の原因はそれだと吹聴し、
基礎基本を通級でというようになってきました。
(本当に学力が低下しているのか、というクリティカルな検討なしに、
無批判に広がってしまったことに、危険性を感じています)

学力は低下するよりは向上した方がいいのでしょう。
しかし、たとえば、「高い-低い」の対概念が獲得されていない段階で、
「高」(2年生で登場する漢字)の読み書きを教えて○をつけることに、
どれだけの意味があるのでしょうか?

まず、高い、低いの概念を育てるための遊びの関わり、
つまり自立活動が必要なのでは?
そうした自立活動ができるのは、個別指導ならではのはず。

「高い、低い」は、「大きい、小さい」とは違うし「長い、短い」とも違う。
また絶対値ではなくて、比較対象や自分の立ち位置によっても、
「高い低い」は変わる、という理解も含めて。

まずはそこでしょう。

子どもへの加重な負担になっていないか、ということもとても懸念します。

通級は、関係者の主訴をそのまま採用して指導する場ではありません。
様々な背景情報をもとに、その子にとって今一番大事な関わりは何かを検討する場です。
「学級でこの問題が解けなかったから、通級で指導してください」
などという依頼を受ける、と聞いたことがあります。

通級担当は「はい、わかりました」というのが正解でしょうか?
私なら「なぜできかったのかを一緒に考えませんか。
そして通級ではそのできなかった背景を探り、背景にアプローチをしてみたいのですが」
とお答えすると思います。

「学力低下のせいで、漢字が読めず、企業で使えない」ということばを聞きますが、
ぶっちゃけ、読めないからではなくて、読めない場合にどう対処するかという
コミュニケーションスキル、問題解決能力の方が大きいのでは、と思っています。

昔ながらの「ことばの教室」が、消えてなくならないことを祈るばかりです。

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通級の指導目標を検討する 4

 「自分の要求を人に伝えることができる」

赤ちゃんは、おっぱいが欲しいから泣くのではなく、
不快だから泣くのですね。
ところが、
泣く→おっぱいがもらえる→快感
という経験を積んでいくことで、
いつか泣くこと自体を意図的にするようになります。
要求の始まりですね。

これは、だっこでもおむつ交換でもできるようになります。

やがて泣くことの変わりに指さしやジェスチャーでの要求になり、
ことばになっていきます。

最近うちの2歳児は「モット シテー」ということばを覚えました。
便利な言葉ですね。何にでも使えますし、一生使えますね。

また、「ゴハン シタイ」(ごはんが食べたい)、
「アンパンマン シタイ」(アンパンマンを見たい)
など、「シタイ」をつけることで要求するようになりました。

赤ちゃんは、快か不快かを基準にして、要求を覚えていきますね。

でも、要求したもの、ことが、どれだけがんばってもかなわないことがあるし、
時間がたつとかなうこともある。
何かと交換条件でかなうこともあるし、
何かをしたら代わりにかなうこともある。

同じパターンでなければ、かなったことにならないと思っていたけど、
違うパターンでも、要求がかなっているのだとわかることもある。

これらは時系列や、周りの状況などから法則性を発見していく過程でもあり、
要求することで、いろいろな場面状況を理解したり、相互のコミュニケーションを
覚えていくんだなあと思うのでした。

通ってくるお子さんの中には、自分が何がしたいのかのとらえが難しかったり、
とらえられていたとしても、要求する方法がわからないという場合もあります。

そうした子には、要求を育てるという過程は大切なのでしょう。

ただ、それらは既に通過していて次の段階という場合もあります。

発達というものをよく理解し、個々の違いに着目して、
目標を設定したいものです。

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通級の指導目標を検討する 3

2 「○分間座って集中することができる」

おちつきのなさを主訴とする事例の場合、
こうした指導目標を見かけることは少なくありません。

集中して課題に取り組むことで通常学級でも同じように
「我慢させる」ことを目標としているわけです。

気持ちはとてもよくわかります。
ただ、この目標には「どんな内容、分量の時に」が
抜け落ちています。

そして、落ち着きのなさで多いケースは、

・学級では座っていられないが、ゲームなら何時間でも集中できる。
・教科によって集中に違いがあること。

つまり、集中できないのではなくて、集中のコントロールが難しいということ。

また、

・行動面の落ち着きのなさは、適切な環境であれば、
徐々に軽減されることが多いこと。
(頭の中の多動はなかなか改善しないかもしれませんが)

つまり、着席時間を長くすることそのものを目標とするのは、
あまり意味がないのでは、と私は考えています。

むしろ、座っていられない背景を看取ることの方が、はるかに大事かと。

・教科によって差があるなどは、授業の内容、方法がその子にフィットしていない可能性。
・できないことや失敗することへの不安、恐怖
・体幹の支持性など、着座姿勢を保てない体力、または感覚統合の問題
・睡眠、食事など、生活リズムの問題
(睡眠時の環境や、ねる前の食事、呼吸の問題、背骨と寝る姿勢などなど)
(寝るときの情報からもいろいろなことがわかります)
・家庭内不和、児童虐待などストレスが背景にある場合
・視機能、視知覚、聞こえの問題
・妨害刺激への抑制がもともと難しい。脳機能の問題


いろいろな背景を見ていく必要があるのでは。

座っていられる時間を長くする目標よりも、座っていられないときに
うまく回避する、離席を合法化する手続き、スキルの方が大事なのでは。

つまり、たとえば、「離席カード」があれば、3回まで離席していいよとか、
教室を脱走するならば、脱走先の場所だけは約束するとか。

また、短時間でもできる課題がこなせたらほめて、休憩時間を保障するというように、
成功体験を積むことも大事ですし。

落ち着かないから、座っていられるようにしよう、というのは、
現象面だけを見て、背景を見ていないのでは。
通級においては背景へのアプローチが役目だと思うのです。

何分間すわっていられるかよりも、
座って何をしたか、その子にとってそれがどんな意味を持つのか、
が大事なのだということです。

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