ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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ことばの教室担当の先生方を主な対象とした講座「言語障害教育Ⅰ」が開かれ、講師を含め19名の参加がありました。
講師は、私を含め3名でした。
講座「読み書きの評価と指導」では、「短期記憶」や「ワーキングメモリ」、「文脈の理解」、「選択的注意」など、読み書き困難の背景にある能力について、疑似体験を交えながら説明、一人一人の違いを丁寧に見取ることの大切さを強調していました。
講座「構音障害の評価と指導」では、構音障害やの構音の仕組みを細かく説明し、ロングエスに代わる新しい発音記号など、最近の動向についても触れました。
午後は事例交流が3班に分かれて開かれ、「学級担任からの情報収集」の大切さなどが話題にあがりました。
今回の講座の応用編として位置づけている講座「言語障害教育Ⅱ」が、8月24日(水)に開かれます。講師は同じ3名です。ある事例について、子ども理解、問題の仮説、指導仮説、個別の指導計画や自主教材作成までを各班で話し合いながら進める実習版です。関心のある方、都合のつく方の多数の参加をセンター、及び講師陣は期待しています。
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この記事は、当言語障害教育団体の記事を先取りして掲載したものです。
オホーツクADHD&LD懇話会が10周年を迎え、記念行事が開かれました。
日本のLDの教育研究では第一人者の竹田契一さん(大阪医科大学LDセンター顧問)は、特別支援教育が始まって5年目を迎える今年の現状と課題を具体例を交え指摘していました。
この中で竹田さんは、「先生と相性が合わなければ、どんなに良い教材を作っても効果が上がらない。『また先生と会いたい』と思われることが大切」、「『3年生だから自分の名前が書けて当然』と何度写し書きせてもできないのを子どものせいにしてはいけない。子どもに合った教材を」と話していました。
ADHD当事者で、当事者団体「えじそんくらぶ」の代表 高山恵子さんも、ADHDに関する最新情報や、特別支援教育の動向について話していました。
この中で高山さんは、「特別支援教育は難しいことではなく、がんばっているのにできないという価値観を持てるかどうかの話だ」と述べていました。
北海道教育大学の二宮信一さんは、パネルディスカッションの結びの講話で、専門家に過度に依存する施設中心型のサービスではなく、各地域がチームで現状に合わせたサービスを展開する「CBR」について説明していました。最後に「支援をすることによって、支援する必要がなくなるための支援」ということばが印象的でした。
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この記事は、当言語障害教育団体の記事を先取りして掲載したものです。
つりざお。
昔、一年生がザリガニ釣りに本当に使っていたそうです。
ところが最近は釣れないので、用務員さんのお部屋に置かれ、
いずれ処分されるはずでした。
でも、一年生向けとあって、安全に作られていますし、
竿のしなり方が本格的です。
釣り糸を短くすれば、指導室でも使えます。
魚釣りゲーム。
運動面を育てるのはもちろんのこと、
魚に数字をかけば、釣った数字の足し算になり、
カテゴライズする問題にすれば、
当てはまるものだけ釣るなど、言語概念の育成にもなり、
文字を書けば読みの練習になるなど、
汎用性が高い教材です。
幼児向けのすべり台なので、小学生にはどうかとも思いましたが、
ぴったりの子がいるのは確かです。
本格的なすべり台だと恐怖心が先に出ますが、
これぐらいだとちょうどいいのです。
スピーカ。
ほとんど傷なし、完動品です。
これは掘り出し物でした。
ICレコーダーに録音した構音を
付属の小さなスピーカで再生しても、
ほとんどわかりません。
こうした外部スピーカーにつないで再生するのが基本です。
昔は、オープンリールで録音し、部屋に大きくドカンと置く
ステレオで聴いたものです。
ICレコーダーなどは、技術的にせっかく進んでいるのに、
使い手が上手に使わないと、せっかくの技術が泣きます。
このスピーカ、欲しい教室があるはずです。
管内で困っているあの教室に寄付しようかなと。
(寄付行為は可能か、ということはありますが)
***
子どもは一人一人違いますから、指導者は支援の引き出しをたくさんもっている必要があります。
支援の引き出しを多く持つということは、教材を多く持つということです。
私の指導室がいつも片付かないのは、支援の引き出しがたくさんあるからです。
つまり、ちらかり具合と、支援のフィット度は、比例している、
つまり良き指導者なのです。(笑)
これを「三段論法」といいます。(^_^;)
怪しげな三段論法のプロパガンダを、支援の場で見聞きします。
それを皆で見抜いていれば問題はないのですが。
蛇足でした。
NHK 大人の発達障害 シリーズの録画をやっと見終わりました。
悩んでいる当事者へ、別の当事者がコメントしています。
そのコメントは、とても説得力があります。
そして、その内容は、他の人にも参考になることだと思いました。
1
自分が発達障害者であるという境遇をどう受け入れたか
→「周りの人と同じになりたいと思うことは、
逆に自分を追い詰めることになる。
みんなと同じになろうとするのでなく、
自分の個性を大切にして、世の中で活躍できることを見つけること。」
全くその通りですね。
そして支援者である側も、子ども達を周りの子と同じくできるように
しようとしてはいないでしょうか?
それは、本当に支援になるのか?
と我が身を振り返りたくなりました。
また、テンプル・グランディンは、
「自分の役割を見つけてかわった。仕事に打ち込むことで乗り越えた」
とおっしゃっています。
特別支援教育に関する民間を含めた活動に熱心な関係者の中には、
こうした方も決して少なくないのでは、と時々感じているところです。
自分を含めて。
2
「家族から理解されない」悩みについて
→親と距離をおく
「人生の主役とは、『親がなってほしい人間』ではなく、『自分がなりたい人間』になること」
→「夫婦関係では、わかってほしいという思いを捨てて、
気にしないようにしていたら、逆にうまくいく」
これもとてもよくわかります。
家族とは多くの時間を過ごすので、コミュニケーション等で日常生活に
様々な困難、苦しみが生じます。
でも、わかって欲しいとか、なおしてやろう、見返してやろうなどと思っていると、
ますますうまくいかなくなります。
ここは、セルフヘルプグループに通うなどして、
自分が元気にくらしていき、
家族を気にしないようにしておけば、
逆にうまくいく、ということです。
あるお医者さんが、「家族は、良い意味でのあきらめが大切」
とおっしゃっていたのを思い出しました。
3
「人づきあいの悩み」
→「好きな美術や歌を一生懸命練習して、人付き合いもそこに集中するのがよい」
→「好きなことは、息抜きのために重要。
これからの人生、発達障害者はストレスをためやすいということもある」
好きなことに打ち込む、障害の有無にかかわらず大事ですね。
「楽しく遊ぶことができる」
この目標には、いろいろと検討すべき内容が含まれています。
まず、楽しく遊ぶこと自体は、通級でもっとも大切なことです。
(通級に限らず、学びが楽しいということは、教育の基本なのでしょう)
「楽しさ、安心感があってこそ、能力は伸びる」
子どもの発達支援を考えるSTの会の主催 中川信子先生のことばです。
また先生は、
「笑顔がエビデンス」
ともおっしゃっています。
指導内容、方法の「科学的根拠」はもちろん大事なことですが、
子どもの笑顔があってこそ、その内容、方法が子どもに合っているということですし、
一番大事にしなければならないこと、だと思います。
そのことを前提にした上でですが。
「楽しく遊ぶことができる」
これはたとえば、テレビゲームを一時間いっぱいやったとしても、
目標は達成ということになってしまいます。
(もちろん、そうしたアプローチが必要な子もいますが)
楽しさの中身、子どもの育ちをどのように手助けしていくかという観点を
抜いてはならないのでしょう。
・ルールを理解し、守ることで、ゲーム自体の楽しさを体験することができる。
・話し合いの中で、自分の意見と他人の意見とを理解、比較して、
折衷案を提案できる。
・負けても物をたたかず、ことばで悔しさを適切なことばで表現できる
などなど、様々な下位目標が考えられるのでしょう。
*
さて、何回かに分けて指導目標を検討してきました。
最後に一番大事だと思うこと。
それは、
「○○させる」とか「○○できるようにする」という表現は、大人目線だということ。
支援者が子どもに、という視点です。
「○○できる」とか「○○できるようになる」
つまり、子ども目線で目標を設定すること。
そして、「○○できる」こと自体が、子どの「人生の文脈」にとってどうなのか、
本人にとってどれだけの価値があるのか、という洞察があって初めて、
子どもを主役にした指導目標が設定できるのでしょう。
支援者はあくまでも脇役、黒子、助産師です。