ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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「生きていても仕方がない」
とまで追い詰められる成人の当事者の証言は、涙なしには見られませんでした。
単に「かわいそう」ということでなく、共感ができるからです。
現に他校通級している男の子の「(笑われて)くやしかった」との涙の証言の映像も、見るのが痛々しく感じました。
でも、自ら吃音があり、医師をされている「吃音ドクター」の菊池さんと出会って以来、自信がついてきたというお話は感動でした。
当事者同士で顔を合わせることが、いかに勇気につながるかということ。
そうした場を今の場に作りたい、と数年来温めてきました。
現に通級してる親子や、教育相談でお会いした方々に打診したところ、そうした場を願っている方々が少なくありません。
今年、それが実現に向けて動き出しました。
やったことがないので、諸先輩のアドバイスや、あるいは直接的にお願いできないか調整しています。
言友会の方々ともコンタクトをとって、うまくことが運ぶことを願っています。
私が初めてことばの教室を担当した時、4月が始まってからすぐに担当を決めたり、基本的な知識についてのお話を先輩から頂きました。時間はゆったりと流れ、初めて担当した者でもゆっくりと考える時間があったように記憶しています。
そして今の学校。
通級担当は入学式、始業式の準備に忙殺され、教室で全員が顔をそろえることはできませんでした。
担当者全員が初めて教室に集まったのは始業式が終わった後の日でした。それまで教室の運営は全て後回しになり、気づいたらもう指導の開始直前です。伝えたい情報、知識、教室運営をじっくり検討したり、親御さんとじっくり話したりする時間はとれません。
煮え切らない思いです。
確かに学級担任は忙しいです。
それを支えるのが担任外の役目だと言われれば、ある程度それは言えるでしょう。
ただ、だからといって、担任外の本拠地をないがしろにして良いわけがありません。
通級担当は学級担任ではありませんが、通級児童を担当しているのです。
それぞれの持ち場のあり方を尊重する、違いを含めるという学校経営でなければ、どうして子ども達一人一人の違いに合わせた支援などできるでしょうか。
今、私に必要なのは睡眠であることを実感しています。
よく眠れると、難聴がありながらも、周りの声を拾う能力があがったようです。
これまでは声をかけられたり、独り言のように遠回しにお願いされたことなどは、頭に入らず、無視したように思われたこともあるでしょう。
***
「同時処理と継次処理」
「言語性と動作性」
「ワーキングメモリ」と「結晶性知能」
それぞれ確かに典型的な事例があることも事実です。
しかし、睡眠、食事、心理などの「土台」をよく調べることなしに、「同時処理が優位ですね」などとするのは的を射ていません。
「土台」が整うことで、認知心理学的な偏りは目立たない程度になる事例もあります。
たしかに、LDは、定義上、環境要因ではなく、中枢神経系の問題と推定されています。
しかし実際には、純粋に神経心理学的な問題だけという事例は少なく、様々な要因が絡んでいることの方が多いのです。
夜更かしして、朝食もとらずに登校する子が多くいます。
本当の力を発揮できるはずがありません。
通常学級に補欠授業に入ったときに、寝た時間を尋ねたことがあります。
みんなとても遅い。私より遅い子が大勢いました。
しかし、就寝時間が遅くなるのは、日中の生活が充実していないとか、家族関係がぎくしゃくしていて、そうでもしないとストレスが解消されないとか、これまた様々な背景を見なくてはいけません。
テレビの視聴時間が長いのも、もしかしたら人間関係などのストレスを抱えているからかもしれません。
トータルな子ども理解なくして、指導の手立てはありえないのです。
片側性難聴と耳鳴りが伴うと、一層聞き分けが難しくなるのを実感しています。
つまり少しでも雑音があったり、同時に複数の人が話すと、人のことばを聞き分けるのが難しくなります。
また、環境音にしても、語音にしても、音がインプットされた段階で、耳鳴りの「ボリューム」?が大きくなり、聞き分けの困難さに拍車をかけます。
時によっては、その声がどの方角から聞こえたかわかりません。
後ろで話しているらしいのに、壁に反射した前方からメインに聞こえたりします。
片側が聞こえていれば問題ない、というがいかに誤解であるかを実感しています。
成人の片側性難聴の方もそのようにおっしゃっていました。
きっと天は、もっと当事者の気持ちによりそいなさい、と呼びかけてくださっているのだろうと思います。
私の人生、ずっといろいろなことでそうでしたから。
*
同僚には「私にとって都合の悪いことは聞こえません」と冗談を言って、余裕があるフリをしていますが。(^_^;)
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北海道教育大釧路校の二宮 信一先生は、『児童心理2006年12月臨時増刊』(2006、金子書房)でこう述べています。
(以下、引用)―――――――――――
ここ数年の動きを見ると、「理解本」よりも、発達障害のある子どもとの関わりに重きを置いた「実践本」が多く目に見られるようになってきている。(中略) 「教材」や「指導方法」のみに関心が行ってしまうと「実践本」は「マニュアル」となってしまい、「マニュアル通りの関わり」という問題が起きてしまうように思う。(中略)子どもと関わるのは、決してマニュアル化されたプログラムではなく、親であり、教師自身なのだと思うのである。
――――――――――――(引用終わり)
北海道のある学園の心理士は、講演で以下のような主旨を話されています。
「運動会のピストルの音を怖がる子に、音に慣れさせる訓練をしていた事例がありました。ピストルの音に慣れないと、学校に上がってから運動会に参加できないだろうと。しかし、その子は生涯、ピストルの音を何回聞くでしょうか。本当に必要な指導でしょうか」
指導技術、指導方法を学ぶことは大切です。子どもへの熱き想いがあっても、その子に合わせた「技法」がなければ、子どもに「届かない」からです。
しかし、どんなにすばらしい指導方法でも、目の前の子にフィットしなければ、時間の無駄ということになります。ある指導方法を別の指導者が別の子に取り入れても、的はずれになることが多いものです。
既製品を使うとしても、その子に合わせてアレンジすることが大切なのでしょう。
「その子への指導方法はどこか遠くにあるのではなく、本の中にあるのでもなく、その子自身の中にある」
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言語聴覚士関連の研修会の案内を頂いたので、聴いてきました。
発達性読み書き障害を中心とした症例と指導法のお話でした。
音韻意識をはじめとした、音韻性の読み書き障害と、視知覚などの視覚性の読み書き障害の典型例でした。
読み書きに困難があると、みんな「ディスレキシア」と呼んでしまう現場の混乱がありますが、知的な遅れがないことがディスレキシアの前提です。また、状態像等の横の情報と、生育歴などのタテの情報、そして諸検査などから、初めてディスレキシアと呼べるわけです。
今回の発表は、WISCやRCPM(レーブン色彩マトリクス検査)などから、知的な遅れがない子をピックアップしていて、PDDのある子などは研究から除外しているそうです。だから典型例ばかりだったわけですが、教育現場の人間としては、むしろ典型例の方が少ないと感じていました。
つまり、聴覚情報処理とか視覚情報処理や短期記憶の問題だけで,LDを説明しようとすること自体が、現場からは乖離しているわけです。神経心理学だけで、しかもその一部の概念だけで、LDの説明はできないのであります。
今回の発表では、典型例だけを扱っているということもあり、知的障害やPDDがないことが前提なので、「読解」「言語概念」「語彙学習」、そして「意欲」の問題はどちらかというと軽視されている印象でした。
療育関係のSTも、実際には様々な要因が重なっている、という実感を持っているようです。
子どものLDと、成人後の脳損傷後の失語症とは違う、という最大の点は、子どもは発達していくという部分なので、よりトータルに子どもの力を理解する必要があると普段感じています。それもあって、ますます典型例というのは少ないです。
「LDは、失語症のひとつである失読失書と同じでしょうか?」という質問が参加者から出ていましたが、LDにも様々なサブタイプがあり、子どもの発達と、脳損傷とはイコールではない、と思ってしまいましたが、講師も同様の見解のようでした。この点、異論のある方はいないと思います。
ワーキングメモリがLDの原因ではとの質問もありましたが、ワーキングメモリはあらゆる機序を含めてしまう便利な用語であって、LDだけでなく発達障害全体に言えるので、それ自体は説明や支援につながらない、という指摘もある程度その通りと思いました。そればかりか、結晶性知能、心内辞書など、ワーキングメモリ以外のことも検討する必要があるのでは、と思いました。
○○くんは、○○障害→○○障害の原因は、△△→△△を克服するには、××の指導法
とやってしまいがちになりますが、そうではなくて、
○○君→○○くんの特性の理解→○○くんへの指導法
でなければならないのだと思います。
映画『英国王のスピーチ』
http://kingsspeech.gaga.ne.jp/
は、吃音についての支援者にはぜひお薦めの映画です。
レンタルビデオ店にもう置いてあるのですね。しかもかなり前から。知りませんでした。
DVDが出たら観たい、という方もいらしたので、ぜひ紹介しようと思っています。
姉妹品として、
『英国王のスピーチの真実』
というDVDもレンタル店に置いてありました。
http://www.gaga.co.jp/cinema_items/detail/530/lineup
『イラスト 子ども川柳』 熊田 松雄編、なかにしけいこ絵、1995、汐文社
残念ながら絶版になったようですが、川柳の内容がおもしろいので、別の指導にも使えそうです。
音読と会話とでは、発声までの機序が違うので、リズムのある文の音読によって、会話での流ちょう性にただちに改善があるわけではないとの指摘もあります。
しかし、リズムの音読時に流ちょう性が見られるのであれば、音声表出の流ちょう性への自信というメンタル面での支援にはつながる可能性があると思います。
もっと言えば、来室時に症状が見られたのが、音読後は症状が短期的にでもおさまったケースもあります。
これは日常会話への般化のとっかかりになる可能性を秘めていると感じます。
予期不安の軽減との関係も考えています。
流ちょうに発声できるという経験を短時間でも積み重ねられるということが重要と思います。
このほか、歌うときには吃音が出ない方がいるところから、音楽を用いた指導もあるようですが、『英国王のスピーチ』関連の映像でも指摘があるように、会話ではいつも歌うことはできず、かえって不自然なリズムで話さなければならないわけです。
ただ、メンタル面での支援につながる事例は実際にあるだろうと思われます。
某巨大掲示板の吃音の話題を見ると、音楽で流ちょう性を獲得(確認?)したあとに、徐々に音階やリズムを消去して日常の会話の調子にまで般化を図るという事例もあるようです。
また、運動リズムに関しては大脳基底核の関与が指摘されているようですが、脳科学のモデル通りに指導すれば良いというものでもないと感じています。そのほか様々な指導法が出ていますが、同じ吃音でも一人一人本当に違います。そのサブタイプに合わせることの重要性を思います。
初めてyoutubeにアップロードをしてみました。
http://www.youtube.com/watch?v=e9lYwP_T-ys
http://www.youtube.com/watch?v=4unKQQilZRs
また、初めて流氷砕氷船に乗りました。
この日は、気温が5度程度で暖かく、船の外で氷がダイナミックに割れるのを観察で
きました。
時々、ドリルが氷を砕く衝撃音と船の揺れがおもしろかったです。
流氷は日によって接岸したり、沖に遠ざかったりします。
この日は、岸から15分のところで、氷で一面が埋め尽くされました。
船長のアナウンスで、左前方を見てみると、アザラシが氷の上で動き回っていました
。
1時間の走行でしたが、あっという間でした。
ちなみに、流氷の接岸状況は、こちらで確認できます。
「流氷サイト」
http://www.noah.ne.jp/ice/
道の駅の展示室(小中学生までは無料!)には、大量のクリオネが。
聞いた話では、こちらの地方のある小学校では、金魚の代わりにクリオネを飼ってい
るのだとか。
飼い方は難しくないのでしょうか。
吃音は言語障害のひとつで、構音障害、言語発達遅滞など、ことばの教室が本来対象にする障害の一つです。
「ぼぼぼぼくは」と出だしの音を繰り返すのを「連発」と言います。
「ぼーーーくは」と、出だしの音を伸ばすのを「伸発」と言います。
「・・・・・・・ぼくは」と、出だしの音が詰まることを「難発」と言います。
一般に、連発よりも伸発、伸発よりも難発の方が、症状が重いとされます。
また、手を振ってリズムをとってから発話するなどの「随伴動作」が見られることもあります。
目立たないように、手指をわずかに動かしてから発話する子もおり、検査時に見逃されることもあるでしょう。
吃音は発症してから3年以内に指導を開始した方が効果的ですから、ある程度症状が見られるのに、「様子を見ましょう」と何年もアプローチせずにいるのはいかがなものでしょうか。
また、検査場面ではそれほど症状が見られなかったから、様子を見ましょうというのも危険な判断です。
日常がどうなのかという情報は不可欠です。場面や状況によって、症状の重さや状態は変わる可能性もあり、時期によっても軽重の波があるからです。
また、昔は、症状については一切触れずに、環境調整をしていけば良いという実践が多かったように思いますが、最近は、「楽にどもる」方法を子どもと一緒に模索する、完全には「治らない」かもしれないが、より楽に、という方向に変わってきています。もちろん、幼児期の場合は環境調整も大事ですが、就学後では、もう一つプラスアルファーが必要です。
原因論については、昔言われた、「左利きを矯正したから」、などというのは科学的根拠がないことがわかっています。現在では、「もともとのなりやすさ」に、誘発要因が重なったときに出る、という多重モデルが採用されています。これは習癖と同じですね。また、吃音が出る子は運動が苦手だから、眼球運動だとか、身体全体の運動を鍛えることで症状が改善するという方もいますが、運動が不器用でない子も多いですし、そもそも、吃音には様々なサブタイプがあるのであって、運動をしたから症状が改善する、というとらえ方は単純にすぎる、と言えます。
さて、吃音の指導をさせて頂いて改めて感じることは、
1)吃音のメインテーマは「予期不安」であるということ。どもるかもしれない、という不安や緊張によって、余計な力が加わり、症状を誘発しているということ。先進的な研究をされている方も、「予期不安」こそは、とおっしゃっていて、納得です。
2)流ちょう性促進技法によって、「楽に言える、読める」体験を重ねること自体が自信につながり、予期不安の軽減にもつながっている。
3)特定のプログラムに固執するのではなく、子どもの反応を見ながら柔軟に対応することの大切さ。(これはどの障害、どの子に対しても言えることですね。指導するのはプログラムそのものではなく、”人”なのですから)
4)子どもと相談しながら、子どもの気持ちを尊重しながら指導することの大切さ。(同上)
5)子どもによって、「コーラス効果」(吃音のない人が一緒に音読、発話してあげると症状が改善する)が効果的な場合と、リズム法が効果的な場合とがある。
かつてDAF(聴覚的遅延装置)をパソコンのフリーソフトで擬似的に作って指導したことがありますが、そもそもDAFは「般化」に難があると聞いています。つまり、装置をつけているときは流ちょうでも、はずしたら・・・、ということです。
アメリカでは、DAFを補聴器のように持ち歩いて、人に見られても全然問題なく、ということのようですが、お国柄ですね。最近は、DAFにピッチを変える機能もつけて、自分の話したことばが、別人のピッチ音でフィードバックするので、「コーラス効果」により症状が抑えられるのだとか。しかし我が国ではまだそうした状況にはなく、私の指導の選択肢からは、はずれていきました。
リズム法では、「かーかーからすのかんざぶろう」という音読教材を使っています。
前任校で手に入れたのですが、出典がわかりません。
もうひとつ、図書館で子ども向けの川柳についての本を借りてきました。リズム法として使えるのではないかと思案中です。
【目的】
1 音韻抽出の練習をすることで、発音や文字の読みの定着に必要な音韻分析能力を高める。
【指導目標】
1 単語の中の特定の音の有無を素早く判断できるようにする。
2 考えてから手を動かすという衝動性のコントロール力の向上を図る。
【やり方】
1 じゃんけんをして、勝った人から、絵カードを一枚めくって場に置く。
2 めくった絵カードに特定の音が入っていれば、そのカードの上にすばやく手を載せる。(たとえば、「さ」がテーマなら、「はさみ」は取る。「つくえ」は取らない)
音が入っていなければ、次の人が、次の絵カードをめくってその上に重ねて置く。
3 早く取った人は、それまで積み上げたカードを全部もらえる。たくさんカードをもらった人が勝ち。
【適用できない例】
1 事前に絵カードを呼称してみて、呼称できない場合。(絵の名前が言えない)
2 単音節でも、特定の音との比較、照合ができない場合。(レベルを下げる必要)
3 勝負へのこだわりが極めて強い場合(わざと負けてあげるなら可能)
【コメント】
特定の音の有無の判断は、会話レベルでの構音の定着には欠かせない能力です。複数音節レベル以上の文字を流ちょうに読む場合にも必要な力でしょう。このゲームはトランプを参考にしていますが、トランプをアレンジしてまだまだ作れそうです。
子どもとの出会いの中に正確な気づきがあれば、検査に頼らなくていいのです。
保護者や担任とのコミュニケーションなくして、検査をしたり、指導計画を立てても、それは絵に描いた餅にすぎないのでした。
検査するとしても、「選ぶ」ことが大事ですね。
特別支援教育士 倫理基準
3.S.E.N.S、S.E.N.S-SVは、アセスメント技法が対象者の心身に著しく負担をかける場合や、そのアセスメント
技法が対象者のその後の援助に結びつかない場合には、その実施はしてはならない。
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今年も40ケース以上の就学相談に関わらせて頂きました。(このあとも来るので、今年度は50ケース弱になるかと思います)
ゴールは、親子が安心して学校に通えるようになることだと思います。どのような意味においても。
そのためには関係者間で望ましい関係がつくれるように、いつもゴールを心の中に置いておく必要があります。
親子にとって、関係者間のぎくしゃくというのは、不安を強めこそすれ、緩和することはありません。
・長い時間をかけて積み上げたものが、関係者の何気ない一言で、信頼関係も崩れる。
・理想と現実とのかみ合わせを検討することなく、片方の論理だけで突き進む。
・公衆の面前で、近くの関係者を名指しで批判する。
こうしたことは、厳に慎まなければならないこと。
ゴールを見据えたとき、それらはコースをはずれているということを感じます。
関係者こそが、「他者視点」に立つ範を示したいものです。
特別支援教育士倫理綱領には以下のことが書かれています。
<他の専門職との関係>
第8条 S.E.N.S、S.E.N.S-SVは、他の専門職の使命、権利、技術を尊重し、相互の連携に配慮するとともに、その業務の遂行 に支障を及ぼさないように心がけなければならない。
私自身も、この綱領を改めて肝に銘じたいと思います。
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今年度も巡回相談に関わらせて頂きました。また会議に行かなくてはいけません。
初めてであってから数ヶ月も経っての専門家チーム会議。出席前に、改めて情報収集しておく必要を感じています。忙しくて電話する暇もないのですが。(^_^;)
巡回相談時は、ちょっと授業を見せて頂いただけで、よく「どのように指導したら良いでしょうか」と尋ねられますが、すぐには回答しません。
かつて本に書いてあることをすぐに回答したことがあって、結果としてヒットしないことが多かったからです。
指導の手立てを示させて頂く前に、子どもについての深い理解と哲学の共有が先だと思うようになりました。
だからまずお子さんのことを詳しく尋ね、子ども観を整理して、その上で、考えられる指導を例として、哲学を乗せて提示させて頂くようにしています。またその指導例は、一つではなくて、いくつかを組み合わせる形が良いと考えています。
ヒットしたと感じるのは、ケース会議で多くの方がうなずいてくださったとき。それは子ども理解がかなり深いところで共有された時でもありました。子どもの学校生活だけではなく、起きてから寝るまで、生まれてから今までの子どもの「思い」を共有できたとき、「やっぱりそうだった」と関係者が思える瞬間が本物。それは従来の生徒指導、教育相談の考え方とも符号する瞬間であり、ベテランの先生にも理解頂けた瞬間です。
「指導方法」をどこか天竺に取りに行くイメージだと、うまくいきません。目の前の子どもからどれだけのことを感じるか、この原点をはずしたら、どんな理論もむなしいのです。
本に書いてある「指導方法」には、必ず背景理論があります。その背景理論の理解なくして、方法論に飛びつくこと。それは「チルドレンファースト」ではないのでしょう。支援者の自己満足に過ぎません。(^_^)
・一見楽しく学校生活を送っているように見える子ども。しかし、絵を描かせると、真っ黒な登場人物を描きました。背景情報から、強い自己否定の感情が見えてきました。
・とても仲良さそうに関わっている親子。しかし、それは親から虐待されないために、必至に「かわいい子」を演じて身を守ろうとしているに過ぎませんでした。
・精神・神経科を訪れた女性。「だいぶ元気になりました」との笑顔の挨拶が、最後でした・・・。
・工作に全く手をつけない子。多動もあるので、意欲が全くないのだろうと思っていました。しかし、支援員に尋ねると、構成を必至に考えても思いつかず、一生懸命やろうとしているのに、ずっとつらい思いで過ごしていたことが、あとでわかりました。
***
一つの事象だけで、子どもの状態像を評価するのは極めて危険です。様々な背景情報と組み合わせる。これはアセスメントの基本。
物理学では、物をどんなに必至に動かそうとしても、動かなければ、運動エネルギーは0でよいのでしょう。
しかし、その物にどんな外力が加わっているかは、見た目だけでは判断できません。
周辺の環境をよく検討したり(環境との相互作用)、外力を測定する機械(各種検査)が必要でしょう。
一つの事象を「意味づける」のではなくて、「意味(本人の思い)を感じ取る」ということ。両者には雲泥の差があります。
そして大切なのは、「情報量」ではなくて、「情報の種類の量」です。情報をいくら仕入れても、その観点がシングルフォーカスならば、何もわかりません。
アセスメントレベルがずれていれば、指導仮説から評価まで、すべてがずれることになります。それは「多様性」とは違います。
「見る」と「観る」の違いでもありましょう。
それはまた、「あるがままの自分」をあるがままに見つめると言うことでしょう。しかも温かく。
自分の誤りは誤りとして、失敗は失敗として、ごまかすのではなくあるがままに温かく受け止める。それが、正確で深い子ども理解につながるのだと思います。
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(昨年の実習生から【コメント】でメッセージを頂いたのですが、個人情報満載のため、そのまま公開せず、お返事のみ、ブログ記事に掲載します)
本当にお久しぶりですね。
この時期は学校の卒業試験、そして国家試験と忙しい季節ですね。
私のところに来た実習生はみんな国家試験に合格しているという事実を励みにがんばってくださいね。それがプレッシャーだともかつておっしゃってはいましたが(笑)
小児施設の内定、おめでとうございます。
特に小児は就職が難しいと聞いていたので、とてもよかったです。
これまでの資格や経験も生きますね。子ども相手がとても上手な実習生でしたから、担任の視点と専門家の視点と両方からアプローチできる、貴重な人材です。
それでは2月の国家試験、がんばってくださいね。
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・自閉症スペクトラム障害(ASD)との関連が指摘される、ある遺伝子変化は、自閉症スペクトラム障害の集団の1%程度とのこと。
・でも報告された遺伝子変化を全て合わせれば、ASD集団の約10%の人に既知の遺伝子変化がある。
→とのこと。まだまだこれからのようですね。ただ、ASDは広い概念ですし、環境との相互作用によって、障害がめだたない場合もあるでしょうから、遺伝子だけで説明することは本当にできるのだろうか、という思いも。遺伝的ではあるのでしょうが。
・発達障害という視点は、ユング派の分析家たちの間にはない。むしろ人格障害的なとらえ方がなされている。
→発達障害とパーソナリティー障害との関係はよく話題に出ることですが。
認知障害を単なる性格の問題ととらえるのはどうかと思いますが、他者との関係でパーソナリティーという視点で見なければならないこともある、ということも事実であるような。どちらのとらえ方にせよ、本人や関係者を責める概念として使われないで、支援の方策を立てるための概念であるということが大事でしょう。
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今日は冬休み明けの直前の日だったにもかかわらず、8名の方の参加がありました。中には、3回ともフル出席の方もいて、その熱心さに頭が下がる思いです。
今日がお誕生日の方もいて、事前に聞いておけばもう一つ演出ができたのに、とお詫びしたら、来年も同じ日にやりましょうと応えてくださいました。もう来年の日程も決まりです(笑)。
年齢のことを言えば、今回の参加者では私が一番年上であることに、みんなとのお食事中に気づいてしまいました。皆さん、年齢を「四捨五入」する話題は止めましょう(笑)。
さて、今日の自主研修会も、とても良い点がたくさんありました。
1 子どもの行動の表面的な意味だけでなく、その背景を読み取ろうとする討議が多くみられた。
→クリティカル・シンキングに基づいた質問がたくさん出され、子どもの行動の背景、子どもの思いに迫ることができました。これは自主研修会の中でも、今回がもっともすばらしかったと思いました。行動の背景を理解するという通級の、いや教育の一番大事なところが注目されるようになってきたのは、とてもすばらしいことです。
単に良い悪いという価値判断ではなくて、その行動の背景(周囲の環境の問題だけではなくて、それに至る過去からの経緯や、「思い」)を理解しようとすることが大事ですね。
2 学級担任からの情報が充実してきた
→多視点でインタビューし、そこから問題の仮説を設定するつながりがとても充実してきました。今日出されたレポートは全て指定の様式が用いられていたこともありますが、学級担任との連携そのものが充実してきた現れかなとも思いました。
3 子どもの表面的な能力だけでなく、それを支える土台の力についてのアセスメントが充実してきた
→読み書きが苦手だから読み書き指導ではなく、会話の様子やコミュニケーション、社会性、精神発達という土台をよく理解して、指導仮説を立てようとした議論がありました。
とかく目に見える成果に着目しがちですが、目に見えないことほど大事だなあと思うのです。それが目に見える形に表れたりもするのですが、そこが最初ではない、ということ。
***
今日NHKの「あさいち」で、「ワーキングメモリ」の特集をしているのを出張中の車の中で、音声だけ聞きながら運転していました。
スロージョギングを半年した結果、家事の物忘れや判断ミスがなくなった等の報告を聞いていると、体と頭はつながっているのだあなと改めて思いました。また、家で回転式のシートの上を歩くより、外で景色を見ながら歩いた方が刺激になってワーキングメモリを育てることになる。テレビゲームのシューティングより囲碁将棋を、などという話も納得でした。
また、子どもには訓練というより遊びの中で、というのも本当だなあと。かつて科学的に証明が難しかった「子どもは遊びの中で育つ」ということが科学的に説明され始めているのだと思いました。
お料理をするときもワーキングメモリを鍛えるようですし、今まで使ったことのない器具を使うと一層刺激になる、慣れたことをするときはそうでもないが、初めてのことをするときには鍛えることになるらしいです。
今日出された事例の中にもワーキングメモリに関わると思われる話題があったので、早速この話を紹介しました。
さて寒いですが、私もウォーキングを続けたいと思います。
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今日は7名の参加。特別支援学級担当の先生も集まってくれました。
・問題行動へのアプローチには、行動分析的な視点も大事ですが、そのような行動に至った背景、認知発達の土台、心理を理解するということも大事です。両方の視点が大事ですね。認知も行動も大事です。社会ルールの獲得のためには、その前提として、遊びや身近な日常生活の中でルールの意味や意義を理解していき、それが社会という大きな枠組みの理解につながるわけです。その土台を抜きにして、世の中に出たら通用しない、というアプローチはなかなか染みないかもしれません。
・感情の起伏が激しいお子さんの場合、1)感情のコントロールが難しい、2)出来事や人に対して、誤解や一場面を切り取った理解などから被害的な解釈となりやすい。と言った観点も必要ですし、実は睡眠障害、摂食障害がないかどうかを見た上で、うつ病などの精神疾患という観点でも気をつけてみる必要が学校の先生にもあるように思います。食欲が減退し、眠れず、午前調子が悪くて午後から良くなるという日内変動があるのは、うつ病の典型例ですが、それ以外に、その形に当てはまらない「非定型うつ病」もあります。食欲は普通だけど、非常に他罰的だったり、ことばが鋭かったりするが、好きなことをしていると調子がよい、というように。子どもなので、発達とともに克服していく場合もありますから、すぐにお薬とはならない場合も多いかと思われますが、ケースバイケースでしょうし、それらの判断も含めて、医療の支援が必要な場合があるように思います。
・通常学級か、特別支援学級かの就学の判断は、子どもの心情の内側からの理解にその答えがあるのでしょう。線を引いて、ここからが特別支援学級ということでなく。もちろん国が定めている「線」は存在しています(学校教育法施行令、施行規則、就学指導資料、就学指導資料(補遺)など)が、ケースバイケースです。予想される事態の客観的な評価も大事ですが、子どもがどう感じるかが一番大事ですね。
・通級時のコミュニケーションの指導をどのように通常学級での生活に般化するかは、他児の協力、その協力の知恵を学級全体で共有する、ということともタイアップさせながら進めることが大切なのでしょうね。
・吃音の指導では、かつては環境調整をすることが主で、症状へ直接アプローチするのはよくないとされていましたが、「通ったのに、吃音の話がなにもないまま終わってしまった」という当事者の声があるように、実は症状について話し合ったり、場合によっては「楽にどもる」練習が必要な場合もあります。どのような指導をどのように組むかは、子ども理解の中に答えはあるので、そのための手段を先にしてはいけないのでしょうね。それはどの障害種でも同じです。
※ケース会議でよく、「他の教室ではどのように指導していますか?」という質問が出ますが、ケース会議では話題となっている子に絞らないと、子ども理解が抜けて、手段先行の発想に陥ることになるのでしょう。
※レポートの様式は、予め指定した様式で書いてきてくれた方は、必要な観点が漏れなく入っていますが、オリジナルだとやはり情報が抜けてしまいます。研究の歴史や最新の研究に基づく多角的な観点でまとめることで、まとめること自体が子ども理解につながる、ということです。 たとえば、学級担任からの情報といっても、そこにはいくつかの必要な観点が存在します。漠然と情報収集すればよいわけではありません。
著明な先生を迎えての座談会でした。
各参加者から日頃の実践上の悩みの相談や、座長からは講話もありました。
講話の内容について、今回、yaがメモした内容を転載してみます。
・就労にあたっては、「やりたい仕事」、「やれる仕事」、「やらせてもらえる仕事」の3つの重なり部分を検討することが大切。
・小学校中学年までに、衣食住の基本的な生活スキルを育てること。たとえば、ショッピングバッグを冷蔵庫の前に置いて、冷蔵室、冷凍室、野菜室にそれぞれ分けて入れるスキル、足の指の爪を切るスキルなど。意外とできていないことが多い。
・14歳までに現実検討する力(自己対象化)を育てること。自分は何が得意で何が苦手かなど。中2までに育てることで、その後の進路につながる。
・一人でも信頼できる大人がいることで、不適切な行動は軽減できる。
・ある教科書出版会社の編集に、授業のユニバーサルデザインが専門の方が入って関わっている。教科書のユニバーサルデザイン化は今後進むだろう。特別支援学級担当の先生は、もう一度、通常学級の国語算数ぐらいは、1~6年生までの教科の内容を見直す必要がある。教科指導に個別の視点だけでなく、ユニバーサルデザインの視点を入れられるようにすべきだ。
・ある地域の学校の保護者は、漁業、水産加工業だけで60%を占める学校がある。そうした学校では、子ども達が他職種の仕事に触れる機会がない。昔の子どもは、地域で働く人々を目にする機会が多かったが、今は第3次産業の仕事しか目に入る機会がない。学校で習っている内容と、現実(リアリティー)を結びつける必要がある。
・親が育つということは、自分の子どもの親としてだけでなく、地域の市民の一人となることである。
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6名の参加でした。小学校の先生のほか、幼児ことばの教室のSTの参加も頂きました。
1 以前に比べると、学級担任の先生からの情報収集がなされるようになってきたのは、参加者の前向きな姿勢の現れと思います。さらに「支援を必要としている」とか「友達とはうまくいっている(いっていない)」という情報があった場合は、もう少し掘り下げた情報があると良いのでしょう。
「支援を必要としている」というのは、どんなことに対して、だれが、どのようにという情報が不可欠ですし、友達とは、特に休み時間に何をどのように遊んでいるのか、一見仲良く遊んでいるように見えて、ということもあります。
指導に生かすためには、あるいは通級妥当の判断をするためには、より具体的な情報が必要でしょう。
学級担任からは、どのような情報を収集したら良いかという質問を頂きました。また、通級担当からは医療機関にどのような情報を提供したら良いかという質問も頂きました。実はこの2つとも、答えは同じなのかなと思っています。
つまり、学習面、コミュニケーション面、行動面、情緒面、運動面、基本的生活習慣、得意なこと、苦手なこと、現在の校内支援体制など。
そして、医療的診断や、教育的判断のためには、生育歴情報や相談歴、療育歴、各種検査情報も必要になります。生育歴をたどらずに、今の状態像だけで「自閉症」「LD」などと判断するのは極めて危険です。レッテル貼りの最たるものですね。
2 教育相談の進め方も話題になりました。検査は、どのようなものを使ったらよいかなど。標準化されていても、いなくても、検査結果は、日常の学級担任等の情報と付け合わせて解釈しなければならず、その検査だけで判断してはいけない、ということを改めて確認できたように思います。標準化していないならなおさらです。
どうも、保護者面接や検査時の様子だけで判断してしまう風潮がまだ残っているように思います。当教室では、教育相談までの情報収集を大切にしています。一回会っただけではわからないことがたくさんあります。情報は指導に直結出来るような内容でなければなりません。
そして、検査結果の数値自体の読み方も正確さが必要です。PVT-Rの評価点は、6と5とでは変わりはありません。上がった下がったの関係ではない。統計的に差があるわけではないです。1標準偏差は3ですから、WISC―3の評価点の見方と同じですね。
3 「会話のずれ」というのは、どのように生じているのか、文法的にか、意味的にか、音韻的にか、語用論的にか、ソーシャルスキル的にか、情緒的にか、人間関係的にか、などなどを理解するために、具体的な会話の内容の情報があると良い。
4 他の障害を合わせ有する言語障害のあるお子さんへの支援をどうしたらよいか、非常に難しい問題です。簡単に答えは出ませんね。やはりその子の生活全体を理解した上で、困り感を受け止めた上で、優先順位を決めるしかないのでしょう。
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この冬休みも、3回にわたって自主研修会を開くことになりました。
そのうち2回はいつものケース会議で、あとの1回は、ある事例を元に、
問題の仮説の設定から、指導仮説、教材作成までの一連の流れを実習するスタイルにしました。
「指導方法、教材を紹介して欲しい」という要望を受けてのことですが、
「子ども理解なくして、指導なし」という理念のもと、あくまでも子ども理解をベースにして、
子ども理解に基づく教材作成のあり方を学ぶことこそ重要と考えたのでした。
ところで、昨今の会計検査院の指摘により、管理職も勤務対応を厳しくしており、
今回の自主研修会の案内についても、「個人で開催する研修会への参加を研修扱いにできない」
とした学校や、勤務対応について他の学校はどうなっているか、
問い合わせの電話も頂きました。
ちょっと教育行政、やり過ぎですよ、と言いたくなります。
長期休業中の校外研修は、法律が認めているところですし、教育公務員は、絶えず
研究と修養に努めなければならないという法律の理念に逆行しているのでは、と思います。
通級担当の専門性を保障する教員免許制度を国がまだ整備していない現状の中で、
現場の先生が手弁当で学んで、少しでも専門性を高め、子どもたちのために、
とがんばっているのに、これに対してブレーキをかける方策をとっているわけです。
なんとも言えませんね。
ただ、時代の流れに合わせることも必要なのだろうなと。
いよいよ組織を立ち上げるか、既存の組織内に位置づけるか、選択を迫られています。
頭数はそろっています。
発起人の募集、会則の策定、行政との設立交渉など、色々考えています。
『構音の指導研修DVD』の頒布を受けた方には、無料で、「ことばの教室ビギナーズ交流館」というパスワード付きの掲示板にご招待しています。今回は、その掲示板でのやりとりから、一部引用します。
【Q】
相談させて下さい。
今度通級予定の1年男児です。就学時健診の時に「ジドウシャ」を「ジドウサ」と言っていたので後日掘り下げ検査をしてみると、かなりの頻度でシャ行→サ行、ジャ行→ザ行に置き換わっていました。
「シ」「ジ」は正音で、他者弁別はほぼ正答できました。
また正しい表記の方を選ぶこともできました。(例:自動車の絵を見て「じどうしゃ」と「じどうさ」、どちらが正しいか、わかっている)
サ行がシャ行になるような幼児語の子どもは担当したことがあるのですが…
何が原因でそうなり、どんな指導をしていけばよいか、何かヒントがあれば教えてください。
よろしくお願いします。
【A】
確かに、サ→シャは多いですが、シャ→サは少ないですね。ただ、就学前後のお子さんには結構な頻度でいますよ。
書いていただいた情報の他に、次のようなアセスメントをすると、指導の手立てが考えられると思います。
1 被刺激性はどうか
→シャを聞かせて復唱させた時に、正音が出せるか。
2 浮動性はどうか
→「かなりの頻度」というのがポイントと思います。どういう条件なら正音が出せるのか。
たとえば、単語のはじめ、真ん中、終わり、という語内位置によって違うのか、音の渡りによって違うのか、サシャを交互に発音したらどうか、など。
3 レベルはどうか。
→単音節、無意味音節、単語、文のレベルのうち、どのレベルで正音が出せないのか。
いずれにせよ、「シ」の正音が出せて、弁別ができて、文字も読めるなら、見通しは明るいと思います。
意外と「シア」をだんだん速く言う→「シャ」、という指導だけで出せるようになる可能性もあるかと思います。
【Q2】
先日、第一回目の指導を行いました。
シアからシャを導くと上手く言えたので、単音はオッケーのようです。今後、単音を強化しながら、語頭にシャがつく単語から取り組ませていきたいと考えています。
行き詰ったら、また相談させてください。
【A2】
うまく行っているようですね。
単語の練習もそうですが、無意味音節をしっかりやるのがコツですね。
「アシャオシャカシャ」とか。
無意味音節が素早くできて安定してから、単語に入ると、単語はすぐマスターしますし、仕上がりがいいですよ。
今年の就学相談は、昨年よりもさらに30ケース増え、180ケースとなりました。スタッフの人数は、全部で50ケースの時代と変わらないので、3倍のケース数となります。土日もなく業務を行っており、日常の通級指導もできるだけ休まないで行っているため、私は心臓の鼓動がおかしくなっています。それでも、親子のために、出来る限りのことをしたいと思っています。
「誰も理解してくれなかったけど、今日は理解してくれた」と涙ながらに話された親御さんがかつていらっしゃいました。携わらせて頂いてよかったと思える瞬間です。
就学相談に関わらせて頂いて、大切と思うことを書いてみます。
1 検査結果を伝える場ではなく、検査結果があっても、それらを含め、子どものトータルな理解を共有する場であること。「○○ができないから」ではなく、「○○できるようになるために、必要な環境は」という観点で考える。
2 親御さん、子どもさんの思いに寄り添うこと。親御さんの悩み、主訴を字義通りに解釈するのでなく、その背景を様々な情報をもとに、深く理解しようと努めること。単に「場の決定」をするだけでなく、その後の親子や関係者がポジティブな流れになるように関わること。
3 面接場面だけでなく、保育園や幼稚園、学校、家庭、地域等での様子をできるだけ詳細に把握し、子ども理解に努めること。思いつきや思い過ごしではなく、きちんと事実を積み上げること。正確な情報に基づいて論考すること。
4 親御さんや関係者を責めるような関わりをしてはならないこと。関係者、関係施設もまた、「育ちの過程」にあることを受け止め、その実態の背景の理解に努めること。
そして何よりも、
5 相談員が当事者意識を持つこと。(もし自分がこの親だったら、子どもだったら、学級担任だったら)
これらは就学相談だけでなく、日常の通級指導でも大切なことと思います。何も特別な変わったことではなく、通級指導教室が親や行政と一緒に積み上げてきた財産そのものであると言えます。つまり、親御さんからむしろ教えて頂いたことです。
全部が理想通りにいくわけではないけれど、方向性は大切にしたいです。
「相談してよかった」「話し合って良かった」で終わることが大切なのは、相談だけでなく、日常の研修や会議でも言えることです。そうでなければ、やった意味がありません。否、心の傷を残すだけなら、かえってやらない方がよいでしょう。
保護者だけでなく、職員や行政の方も多く見えた研修会でした。
パネルディスカッションでは、教育局の先生から、管内での特別支援教育の取り組みについてのお話がありました。吃音のセルフヘルプグループの代表の先生からは、吃音の当事者の視点に立ったお話。そして、広域支援コーディネーターの先生からは、「ICF」(国際生活機能分類)の概略についてのお話がありました。
この中で、吃音の当事者団体の先生は、「吃音のある子どもの親は、吃音について親同士で話し合う相手もいない」、「先生から何でもないと言われると、それ以上相談できない」など、独自の悩みがあることを紹介しました。
また、「学級担任、言語担当は『吃音は治らないもの』との認識を持ち、他児と同じように対応してよいのか躊躇している」という現状の紹介。
そして、「職場の上司や同僚にとっての吃音」では、「仕事上、どうしても話すことが必要な場面でうまくいかないのは困る」などと、就労の厳しさが話されました。
次に、吃音者に対してすぐできる、しかも重要な配慮としては、「タイム・プレッシャーをかけないこと」。「吃音者が言いたいことを、話し終わるまで待つ。それだけでずいぶん助かるんです」との当事者のことばが紹介されました。
さらに、幼児、学童、中高生に対しての支援のあり方が具体的に例示されました。
学校教育でのことばの教室では、「症状に直接触れない。環境調整だけを行う」という傾向が強かったことを指摘。「卒業まで何のために通ったか、話し合わないうちに終わった」との当事者の声を紹介。症状について直接話し合ったり、話し方の直接指導も必要だと強調していました。
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