ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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ということがあちこちで言われていますが。
基本的には、新しいバージョンの検査は、古い検査の問題点を改善していること、そして標準化するためのサンプルが古いものだと、正確に測れないこと。
以上から、新しい検査に早く移行することが望まれます。(器具購入の予算がネックですが)
何十年も前に標準化された検査を使うというのは、倫理に反する、と指摘されています。WISC-3は、何十年も前ではありませんが。
WISC-4の事例集がまだ出ていないので、新しい方へ移行しにくいとの意見もあります。
確かにその面はありますが、しかし、WISC-3をちゃんと理解できていれば、WISC-4も解釈ができるでしょう。
3→4で、下位検査はかなり変わった部分もあり、群指数→指標得点に変わったりもしましたが、基本がわかっていれば、4もわかるはずです。
逆に言えば、3の時の事例集では、群指数のグラフの形を見ただけでタイプ分類して、解釈してしまう、安易な解釈と出会うこともありました。
下位検査に著しいばらつきがあれば、群指数の解釈には慎重でなければならない、これは4においても同様です。
解釈本に頼るよりも、マニュアルを精読して、その検査や数値の意味を正確に理解することが大事だと思います。
そして検査中の行動観察が極めて重要です。
ところで、検査結果の数値だけを見て、「朝の会で気をつけることを考えましょう」などという研修をしている機関があるようですが。
検査の前に、困り感、主訴は何か、そして行動観察ということが、まずなければならないはずです。
検査結果だけで教育の手立てが出てくるわけではありません。
逆に、発達検査の実施や解釈も行わずに、「LD」「ディスレキシア」などと、学術的な用語を用いての教育的判断をしている事例に出会うこともありますが、これも倫理違反でしょう。
また話しが変わって、WISC-4では資格にうるさくなったので、学校の先生が触っていいものか、という話しがありますが。
でも、それは3の時だって資格は必要だったはずです。本当は。
無資格の学校の先生が測って、その結果を他機関で使えるかどうかという問題はあるものの、検査そのものは、見て触って、どんなものかを知ることは、特別支援教育に携わる上で重要のはずです。
心理士が国家資格化したら、特別支援教育士は検査ができなくなるのではないかとの懸念がありますが、仮にそうなったとしても、検査に精通しておく重要性に変わりはないはずです。
(現状では、医療関係者や他の職種の人よりも、学校の先生で特別支援教育士の資格を持つ方が正確な解釈ができている、と思えることがあります)
よって、学校の先生も、WISC-4の研修を受けることは大事です。
というわけで、1月9日にWISC-4の実技研修をすることになりました。
現在8名の参加予定です。この中には学校の先生以外の専門職の人も含まれます。
「自主研修会」改め「臨床研修会」は、職種にまたがって広がりを見せています。
「あなたとは違いますから!」
とは、某元総理大臣の記者会見での発言・・・。
以下は、それとは主旨が違う話ですが。
「あの人はこういう人。私とは違う」
という論調があります。
怒りっぽい人をみて、私とは違う。
悲観的な人を見て、私とは違う。
はたして、そうでしょうか。
誰にだって、怒りたくなるときがある。
誰にだって、泣きたいときがある。
誰にだって、絶望に落ちるときがある。
だからこそ支援者は、その本人の苦しみを自分のこととして感じ取り、共感するのでなければなりません。
たいてい、他人の問題を指摘する人は、自分にも当てはまることに気づいていません。
彼の、彼女の問題は、自分自身の中にもある、と支援者は見抜かなければならないのです。
しかし、支援者自身も、自分に余裕がなくなると、他人の気持ちに共感することが難しくなります。
そうした時は、少し休むことが必要ですし、
自分の出番ではないと、きっぱり他人に任せることも必要でしょう。
それができるのが支援者なのでしょう。
ちなみに、私の病気は、静養と運動の両方が必要です。
ゆっくり寝ているかと思えば、急にウォーキングを始めたりするので、
家族でも理解が難しいかもしれません。
昼間は活動的に仕事をしているように見えても、寝る時間が一時間狂うと、
翌日ぐったりしてしまいますし、耳鳴りや、聴覚補充現象がひどくなってしまいます。
周りに理解されにくい障害や病気があるのだということ。
メニエール病は、誤解されやすい、理解されにくい病気の代表のひとつです。
レッテル貼りがはやっているから、と単純にとらえられるものではないのです。
誤解されやすい障害、まさに私たちが扱っている領域ですが、
それは病気にもあります。
一昔前までは、「LD児なんていない」と言われていましたね。
「自閉症で、感情のコントロールが難しい子にどう指導したら」
という相談を受けることがあります。
「自閉症だから」という前に、自分自身にも、感情のコントロールができない
時はなかったか、と問えば、そこに答えがあるように思うのです。
もちろん、自閉症の特性をとらえての対応は必要ですが、
やれ「アンガーマネジメント」だの、すぐ方法論に行ってしまうところに、
「共感」の二文字が入る余地はあるのでしょうか?
今日はマイナス30度近くの厳寒の地もあったようですが、
他人の問題を自分のこととして受け止める人が増えれば、
もっと世の中は温かくなるだろうと思うのです。
語ることばの中に、"You" とか、 ”He” とか、She” とかではなく、
"We" を増やしていきたいと思うのです。
「障害はお互い様」の地平に、支援者は立たなければならないのです。
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失語症の病状と学習障害・発達性の言語障害とは同一視できません。
失語症は、既に獲得した言語能力が、脳損傷により失われるために発症するものであり、これから育っていく子どもの臨床と同一視はできません。
しかし、失語症の知識を持つことで、子どもの発達障害の見立て、鑑別に役立つことがあります。
以下、失語症の基本的な用語を紹介してみます。
***
・ 理解障害→語音認知の障害(聴力正常でも、音声のことばを聞きわけられない)、語義理解の障害(音声言語として聞き取れても、その意味が理解できない)、聴覚的短期記憶の障害(一度に覚えられるものが少ない)。
・ 喚語困難(語想起障害)→言葉が思い出せない状態をいうが、語頭音のヒントがあると出てくることもある。
・ プロソディー→韻律。リズム、抑揚、音色のこと。自閉症スペクトラム障害のお子さんの中には、不自然にキーの高い声だったり、抑揚が平板な場合がありますね。全ての子がそうではありませんが、プロソディーが不自然な場合は、さらにその子について深い理解を必要とするというサインではあるでしょう。
・ 錯語→「音韻性錯語」(「字性錯語」とも言う。「りんご→ごりん」など。構音障害と鑑別を誤らないように)。「語性錯語」(「りんご→みかん」と誤るなど、同じカテゴリー内の語に誤る。まったく無関連の語に誤るものもある)。「錯書」は、書くときに誤るもの.
・ 新造語→「きもわく」など、もとの言葉がわからないほど音が異なったもの。音自体は日本語の音で、歪みなどはみられない。
・ ジャルゴン:意味をなさない文レベルの発話。発話が音韻性中心のものは音韻性ジャルゴン、新造語が多くて意味がわかりにくいのは意味性ジャルゴン(例 「これ、きもわくが たいへん」)、同じ音や語の繰り返し(ex. ととと)は再帰性発話・残語とされる。(吃音とまちがえないように)
・ 迂回表現→その単語が言えず、それを説明するように話すもの。(例:「りんご」という名前が言えないが、「赤くてね、食べ物でね」と、属性などを説明すること)
・ 失文法→電文体発話(助詞が抜けるもの)や活用語の産出が困難。「弟 私 言った」
・ 錯文法→助詞の使用や活用、文の構造が不適切。
・ 保続→一度言ったことばが何度も繰り返しでてくること.たとえば、ある問題の回答を言った後に、次の問題でも前の回答を言ってしまうなど。
このほか、復唱、自発話、呼称、読解、音読、流ちょう性、エコラリアなど、様々な観点から評価していきます。
(ちなみに、エコラリアと復唱、模倣とは、似て非なるものです。)
これらから、失語症の場合
「ブローカ失語」、「ウェルニッケ失語」、「伝導失語」、「健忘失語(失名詞失語)」、「全失語」、「超皮質性運動失語」、「超皮質性感覚失語」、「混合型超皮質性失語(言語野孤立症候群)」、「皮質下性失語」、「純粋型障害」(純粋語亜、純粋語聾、純粋失読、純粋失書、純粋失読)
などにタイプ分類します。(詳細は、機会があれば書きます。検索したら色々出てくると思いますが)
それぞれの失語には、脳のある部分の疾患と対応関係にある、というのが古典的なとらえ方ですが、実際にはそうでもなかったり、複雑に絡み合っているので、いちがいに、この失語はこの脳部位とは言えないのです。
学習障害では、脳の左角回とか、補足運動野とか言われていますが、「ある部分」に限局してとらえても、本当にそうかどうかは必ずしも言えない例もあるわけで、むしろ、脳は全体的にネットワークで動いているのだというダイナミズム的な理解が必要でしょう。
吃音の一部に大脳基底核の関与が示唆されていますが、それも吃音の一部に過ぎない上に、まだ研究途上であるという条件を受け止める必要があるでしょう。
今、脳科学と教育とを結びつける研究が盛んですが、臨床家としては、脳の部位がどこであろうと、目の前の子どもにとってどんな指導が有益かについて、それまでの生育歴や、現在の状態を正確に評価した上での対応が大事だと思うのです。
「中脳は構音を司るから、構音障害のある子には中脳への対応を」
と言っても、臨床家としては何もできませんね。
それ以前に、通級対象の構音障害のお子さんの大部分は「機能性構音障害」であり、中脳などという低い位置の疾患のお子さんは居ません。
「ピアジェヘッド検査」というものをたまにすることがあります。
「○○○で○○○」などの口頭指示や模倣でできるかどうかを見ます。
・そもそも左右がわかるか。わかっていても、「ヒダリ」→おちゃわんを持つ方などと、音と方向とのマッチングができているか。
・一度に複数の要素を含む口頭指示を聴覚的に把持しながら行動ができるか。
などを見ていきます。
そして、模倣と口頭指示とで差異がないかを見ています。
できない場合、私なら、スモールステップにして「左手を挙げて下さい」ならできるかどうかを見ます。
他の場面での行動観察の結果とも合わせて、聴覚的把持(聴覚的端記憶)の問題なのか、左右の方向知覚の問題なのか、
模倣では、相手の視点に立って左右を逆転させられるかを見ていきます。
鏡のように出なく、相手の立場にたっての模倣の説明が理解できるかもみます。
お手軽な検査でいろいろなことがわかり、その後の指導に反映できます。
時間のあるうちにたくさん投稿します。
先日、幼稚園の巡回相談に行ってきました。
幼稚園の先生に対してはいつも尊敬の念を持っています。
細かいところまで目が届き、手が届きます。
「だいたいでいいんでないの?」
という私とは大違いなのです。
一般に、幼稚園の年長組の担任の先生は、進学に対してプレッシャーを感じることでしょう。
小学校であれば、6年生の担任は中学校に対して、中学校は高校に対して同様に。
先日の幼稚園、保育園の先生向け研修会でも、「小学校の先生ごめんなさい、と思って引き継いでいます」、という先生のご意見を頂きました。「ごめんなさい、という必要はなくて、ありのままを引き継いで下さい。子どもも親も先生も、育ちの過程にあるのですから。学校ではそこから始めますから」とお答えさせて頂きました。
お互いが見えないための不安を軽減するために、幼稚園と小学校とが相互に、授業、保育の様子を見学し合うのは有意義なことでしょう。
年に5回もやっているところもあるぐらいですから。
うちの学校はというと・・・、10の幼稚園、保育園から上がってくるので、全部を見るのは無理ですが・・・。
「特別支援教育」とは、やはり、どう考えても、どうひっくりかえしても、「本人の立場に立つ愛情」が原点なのでしょう。別に「特別支援教育」と呼ばなくても。障害の有無を度外視したとしても。
でも、障害についての基礎知識を得ることも、「本人の立場に立つ」ために大切なのでしょう。
そして相談員は、親子の立場に立つのは当然として、「先生の立場にも立ってみる」ことも必要なのです。
色々と原点の部分で学ばせて頂いた思いです。
「大きな古時計」
「♪ おじいーさんと いっしょに チク タク チク タク
いまはっ、もう、うごかない、おじいーさんのー おじさんー ♪ 」
(なんで、そんな遠い親戚なの?)
厚生科学審議会疾病対策部会第24回難病対策委員会 資料
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002n6ro.html
メニエール病は、10万人に30~40人と言われているので、
案のひとつにある「人口の0.1%未満」はクリアされます。
それと、年代別の難病の医療費は、子どもの時が一番高いのですね。
改めて驚きました。
今後の審議の行方に注目です。
一方、NHKでは、12月放送予定の番組に向けて、
難病や障害のある人の「働く」についてリサーチをしています。
http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/1300/136735.html
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発達障害のある子どもへの学校教育における支援の在り方に関する実際的研究
-幼児教育から後期中等教育への支援の連続性-
http://www.nise.go.jp/cms/7,7058,32,142.html
言語障害のある子どもの通常の学級における障害特性に応じた
指導・支援の内容・方法に関する研究-通常の学級と通級指導教室の連携を通して-
http://www.nise.go.jp/cms/7,7053,32,142.html
いずれも、国立特別支援教育総合研究所です。
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『薬も手術もいらない めまい・メニエール病治療』 高橋 正紘著,2012、角川SSC新書
先生のHP。
めまいメニエール病センター
http://www.meniere.jp/index.html
現在の定番の3種類の薬の処方や、安易な外科的治療を批判し、有酸素運動が有効であることを臨床データに基づいて論証しています。
現在の国内の治療法がどのように確立していったのか、国の研究班の経緯など、構造的な問題を指摘、効果のない薬を出し続ける病院のあり方を批判しています。
逆に20年来のメニーエル病で回復が困難と思われた患者が、有酸素運動で聴力の改善を見た事例も紹介、有酸素運動以外に改善の要因が見あたらないなど、かなり説得力を感じさせます。
よる7時以降の退勤だと、ウォーキングもままなりませんが、何とか早めに退勤して、毎日最低1万歩~2万歩を続けたいと思います。
薬も併用しながらですが。
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私が初めてことばの教室を担当した時、4月が始まってからすぐに担当児童を決めたり、基本的な知識についてのお話を先輩から頂きました。時間はゆったりと流れ、初めて担当した者でもゆっくりと考える時間があったように記憶しています。
そして今の学校。
通級担当は入学式、始業式の準備に忙殺され、教室で全員が顔をそろえることはできませんでした。
担当者全員が初めて教室に集まったのは始業式が終わった後の日でした。それまで教室の運営は全て後回しになり、気づいたらもう指導の開始直前です。伝えたい情報、知識、教室運営をじっくり検討したり、親御さんとじっくり話したりする時間はとれません。
煮え切らない思いです。
確かに学級担任は忙しいです。
それを支えるのが担任外の役目だと言われれば、ある程度それは言えるでしょう。
ただ、だからといって、担任外の本拠地をないがしろにして良いわけがありません。
通級担当は学級担任ではありませんが、通級児童を担当しているのです。
それぞれの持ち場のあり方を尊重する、違いを含めるという学校経営でなければ、どうして子ども達一人一人の違いに合わせた支援などできるでしょうか。
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「物忘れが多い人は、将来認知症になりやすいようですよ」
ある方から頂いたお話でした。
それ以来、私はきっと老後、認知症になりやすいのだろうなと半分不安な気持ちでした。
しかし、「物忘れ外来」の権威の元で学んだ方によると、それは明らかな迷信なのだそうで、「認知症は脳の変性疾患であり、病気です。普段物忘れが多いから、認知症になるという統計はありません。そういう誤ったことを言う言語聴覚士は辞めた方がいい」とまで言い切っているそうです。
私はその話を聞いて安堵しました。(笑)
私はワーキングメモリの小ささを自認しておりますが、認知症でなくても、長谷川式なんとか検査に引っかかるのではないかと思っています。
でも、自認する人は、仮に認知症でも軽度だそうで、重度になるほど、自分の能力の判断自体が困難になるようです。
そして、脳画像なども用いて、本当に脳萎縮なのかが、かなりわかるようですし、検査のバッテリーを組んで、より診断の精度を高めているようです。また家族から色々情報を頂いたり、行動観察などの情報も合わせて総合的に診断するわけです。
先日のケース会議では、WISC-Ⅲの点数だけしかなく、そのときの行動観察などの情報がまったくないものと出会いました。
その通級担当の先生の問題というよりも、検査をした方の報告の仕方に問題があると思いました。
数値だけで判断するのは危険ですし、行動観察の情報がなければ、データとしての意味がありません。
WISC-Ⅳではその点がかなりうるさく言われているのも仕方がない、と改めて思ったのでした。
数値だけで判断するのも、行動観察だけで判断するのも、まさにニセ科学なのです。(^_^;)
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組織調査部では、通級が妥当かどうかの判断に困っている事例が紹介されました。
その教室内には、明確な判断基準がないようですが、私の前任校であるその時代には存在していました。
いつのまに、引き継がれなかったのでしょうか。
教室によっては、杓子定規になるので、明確な基準を作るべきでないとの意見もあります。
しかし、杓子定規にしないまでも、ある程度の基準は教室ごとに作っておくべきと考えます。
作ったとしても、その運用は柔軟性が必要ですし、そもそも明確な線引きはできないものです。
私の教室にも基準はありますが、数値化できるような明確な内容ではありません。
つまり「基準」というよりは、その教室のポリシーのようなものと考えてよいのでしょう。
私からは、
1)法律上の基準
2)各教室ごとの基準
そして、
3)在籍学校との関係性、役割分担を見据えた上での判断基準
という3つの側面から、通級妥当の判断基準の情報提供をさせて頂きました。
1)は、文部省「就学指導資料」、「就学指導資料補遺」、学校教育法施行規則第140条、そして文部科学省1178号通知、に明記されています。
これらの条文、通知については必ず目を通す必要があります。
2)については、各教室の整備状況や人数、担当教員の専門性などにより、一律には決められないものです。つまり各教室で作ることになります。
3)については、通級指導だけで成果をあげるというより、在籍校との役割分担ができるという見通しを持った上での判断が必要です。
LD通級については、全国調査では、圧倒的に、他校通級より自校通級が多いのはなぜか、を考える必要があります。
また通級指導そのものというよりも、通級担当が在籍学校と親子との間に入って、関係調整するという機能も考えられます。
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