ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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徒競走で一番遅く走っていても、みんなが「がんばれー」「がんばったねー」と拍手しながら応援している・・・。
それが特別支援教育なのだと思います。
体格も育ちも一人一人違うのに、個人差を無視して、みんなと同じ速さで走りなさいということが、果たして教育なのでしょうか?
「子どもの気持ちを理解する」、ということは、どこへ飛んで行ってしまったのですか?
映画『英国王のスピーチ』では、吃音のある国王の演説を傍らでリズムをとってあげたり、じっと温かな表情で見守る、言語聴覚士の姿がありました。
「よりそう」ということばが、まさにこのシーンのためにあるとさえ思えました。
それまでは、「ちゃんとしゃべりなさい」と発破をかけられ続け、精神的に崩れていった国王の生育歴がありました。
某学力向上プランには、「全員が○○できるようにする」と書いてありました。
これを教師に置き換えて考えると。
私は教師です。ピアノはバイエルの85番しか弾けませんが、何か?
私は教師です。人物像を描くと、ゲジゲジみたいになってしまいますが、何か?
私は教師です。書字は下手ですが、何か?
「適材適所」によって、その先生の能力が発揮できればよいのでは。
全ての先生が、全て同じことができなければならないことが大事なのか。
それぞれの先生の長所が生かされる学校が、子ども達にとっていいのか。
子ども達だって、
みんながみんな、同じように「標準的に」できるようにすることが、教育なのでしょうか?
できなければ、その子は「だめ」なのでしょうか?
他人との比較ではなくて、その子自身の伸びをこそを見るべきではないでしょうか。
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言語聴覚士で、子どもの発達支援を考えるSTの会の中川信子先生は、
『ことばの遅れの全てがわかる本』講談社 のまえがきで、次のように述べています。
「丁寧な配慮や働きかけは、子ども自身が生き生きと、自分らしく生きていくために必要なのであって、標準に近づかせるためではありません」
検査などを行うと、標準よりこれだけ落ちているから、この部分を伸ばそうと、思いがちですが。
確かにそうしたボトムアップも大事ですが、それが誰のためなのか、本当に子どものQOLや自立のために必要なことなのか、子ども本人の側に立って想像力を発揮することが、支援者に求められているように感じています。
あるカウンセラーは、「『教師』ということばはあるが、『育師』ということばはない。教師は教えることに重点が置かれるが、子どもが育つという視点に立つのがカウンセラーだ」という主旨をおっしゃっています。
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だんだん、凝ってきました。
迷路に凝りました。
もう徹底的に凝りましょう。
ビー玉を2つ、3つにすると、さらにおもしろい。
目と手の協応、眼球運動、運動の制止や力加減の調整機能のトレーニングに。
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http://www.nhk.or.jp/touron/
途中でこの番組を発見し、しかも携帯ワンセグ録画のため、
時々内容が切れてしまう状態で見ました。
したがって、内容の全体像を把握しているわけではありませんが。
印象に残った発言
・「(社会は)自立と依存のバランスを考えることを怠ってきた」
・「シングルマザー平均年収170万 80%就労は先進国1位」
・「格差と貧困は別。規制緩和以降の多様化により格差が生じた。
しかし、貧困はシステムの不備」
・共同体をどう再設計するか
・男女賃金格差 広がっている
・ソーシャルスキルの指導は、
ソサイエティ(社会)自体が安全でないとできない
・「社会のために役立ちたいか」という質問に、
30年前は、「役立ちたい」 45%
現在 「役立ちたい」 65%
に増えているという明るい話題も。
(母集団と、アンケート手法は聞き取れませんでした)
(感想)
ソーシャルスキルの話題は、社会をよく知らずに
世の中に出る若者が増えている、という議論の中で出てきました。
家庭や学校の安心が保障されていないと、
教科書的な「ソーシャルスキル」を指導する段階ではないですね。
そして保護者支援にあっては、「お父さんの陰が薄い」とか、
「お母さんがもう少し、子育てに関心を持って欲しい」
なんて、そんなことは気軽には言えないです。
実態を知れば知るほど。
むしろそうした親御さんを支えるシステムの問題。
私自身も、そのシステムの一部を担っているという事実。
そこからスタートしない限り、親御さんの不安を受けとめる、
なんてできるはずはないと思うのでした。
私は今、生まれ育った町に勤務しているので、
うん十年前と比較できます。
過去の記憶なので正確だと断定はできないかもしれませんが、
人と人とのつながりは、今よりもっと濃密だったように思います。
地域の行事というと、ほとんどの家族が集まっていました。
そしてやはり、昔から、子どもを強くたたいたり、
見ているだけでかわいそうになる子どもの家族、
という姿も見ていました。
思い出すのですが、そうした親御さんのところには、
他の家族が次々と、その家族のところに訪れて、
食べ物をあげたり、雑談をしていました。
そして地域の大人達は、どこの子はどうだということを
よく炉辺談話で話しているのを聞いていました。
地域で子どもを育てる環境があったし、
危険性のある家庭のことは、
地域で情報共有されていたように思います。
子どもの私にさえ、情報が流れてきていましたから。
児童虐待防止は、そうした、社会と個とか、
個人情報のこととか、労働とは何かとか、
哲学的、本質的な枠組み自体の見直しの中で、
構築されなければならないのかな、と思いました。
北海道のある自治体では「待機児童0」の取り組みにより、
出生率があがったとか。
少子化は、子どもを後回しにしてきた世の中のツケでしょう。
『発達障害とことばの相談 子どもの育ちを支える言語聴覚士のアプローチ』
中川信子/著、2009、小学館
***(以下、紹介文より)***
子どもの「ことば」の不安が解消される本。ことばの専門家による定期的な相談・指導を受けるようになった親ごさんの多くは「ほっとした」「この子なりの成長を見守っていきたい」とおっしゃるようになり、望ましい親子関係が作られてゆくことが多いのです。(本文より)
第1級の言語聴覚士が、発達障害や何かの心配がある子どもの「ことば」を育てる暮らしをていねいに紹介。子どもの「特性」を生かしてよく育てるために大切なこと、が明らかになります。
***(引用終わり)
「なんとか法」を用いて子どもを「治す」といった治療モデル的アプローチが流行している中で、中川先生の本は、子どもをもっと長い目で見ていく大切さを具体的ないくつかの事例をもとに語っています。
必要な支援や配慮は、何のために必要なのかという本質的な問いかけをしてくださっています。
言語聴覚士向けのようなタイトルですが、ことばの教室の先生のほか、親御さんもぜひ。
中川先生の本は、読みやすく、わかりやすいです。
ことばの発達については、4つの側面から見ていく必要があります。すなわち、
・意味論
・統語論
・音韻論
・語用論
ことばには、ことばそのものの意味理解、文法、発音や音韻認識、言外の意味理解の各側面があります。
「りんご」は、単純に「りんご」という命名的な意味があります。そして、「りんご」は、誰が持ってきたのか、食べて良いのか、などの文脈の意味理解も必要ですし、聞き手に伝わるように「りんご」と発音できたり、「りんご」が語音として聞き分けられること、そして食べたいのかなどの意思表示を文で伝えたり、伝えられたりということが必要になります。
この4つの側面のどれも欠かせません。
【教材名】「ました」ゲーム
【指導目標】
1「シ」音が2語文中でも正音が出せるようになる。
2 助詞を上手に活用することができるようになる。
【やり方】
1 シャッフルした絵カードを裏にして場に積み上げ、一枚を表にして置く。
2 「○○しました」と書かれた文字カード(以下、ましたカード)を箱の中に入れておく。
3 じゃんけんして、順番を決める。
4 ましたカードを一枚取り出す。
5 ましたカードと絵カードを組み合わせて文を作り、発表する。相手は文の内容が通る意味かどうか判定する。
例)「かがみを」「のみました」→ありえないので×
「かがみを」「わたしました」→文として成り立つので○
6 文が通じた場合は、その絵カードをゲットし、通じない場合は、相手の番になる。
7 9枚先にゲットしたら勝ち。
【適用できない例】
1 文字の読みがとても苦手。
2 文の判断が難しい場合。
3 シ音が単語、2語文復唱レベルまで安定していない場合。
【コメント】
単語レベル、2語文の復習では意識しているので「シ音」が正音だが、意識が少し他に向くと、油断から誤音になる子がいます。このゲームでは、注意が他にそれても正音が出せることを目標にしています。特に「ました」の「し」は油断しやすいです。いろいろな組み合わせがあるので結構おもしろいです。
聴覚的認知が苦手なお子さんの場合、聴力検査を行って、聴力が正常域であるかを確かめることが必要なことがあります。私が通級を担当して以来、通級指導時の聴力検査で初めて聴力に問題があることがわかった子が数名いました。
また、聴力(きこえ)と聴覚は、まったく別物です。
きこえがよくても、語音の認識能力に苦手さがある場合もあります。それがLDにつながるわけですが、聴力を確かめずにLDと判断してしまうケースがあるのでないかと危惧します。
小学校低学年であれば、1年生の聴力検査以降に、中耳炎による聴力障害が見つかることもあるし、高学年でも耳垢がたまってきこえが低下している場合もあります。除外するために、少しでも疑ったら検査した方がよいでしょう。
本校でも一斉型の知能検査と学力検査を行っています。
アンダーアチーバー(知能に比較して学力が低い)、オーバーアチーバー(その逆)がわかったりします。
本校が採用している検査の場合、保護者、本人向けの結果のレポートも添付されてきます。
学級担任としては、その後の指導に生かすためということもありますが、各検査の意味を正確に理解するということは結構難しいかもしれません。おおまかな偏差値は出ますが、それがどんな意味合いを持つのかは、私が学級担任を持っているときは、全くわかりませんでした。「低いなあ、高いなあ」程度です。でもその程度なら、日常の学習指導の中で、だいたいつかめているのですが。
一斉型の知能検査を眺めていて、感じたこと。
1 標準偏差はいくつなのかがわからないと、数値の意味もわからない。
→標準偏差が10の場合、33と36とでは、実は意味のある差ではない)
2 出題内容との関連
→国語の学力検査では、長文を読解しないと解けない問題ばかり。
つまり、文字が読めることはもちろん、長文から必要な情報を整理したり、推理したりする力が前提であること。
回答用紙は別紙なので、解いた問題の番号を回答用紙から探すなどの処理速度も、子どもによっては強く関与するなど。
LDのお子さんの場合、ペーパー上の問題を解くことに特化、しかも問題は音声言語で読んでくれないとなると、潜在的な?国語力は測れていないことになる。
確かに問題の中には、問題文をCDで聞かせて答えさせるようになっているものもあるが、回答は筆記である。
大学入試で特別な支援を必要とする生徒への配慮がなされるようになり、学校の知能検査も、さらなるモデルチェンジの必要性はないのか。
まあ、制約された条件下での結果という意味では、それなりの意味はあるのだろうが、必要な支援の手立ては見えにくい。
「読めないなら読んであげる」支援員的な対応が、必要とする全ての児童に行き渡るほど人員はなく、全く足りないから、むしろ条件制約下での検査結果を出す以外にない、それ以上の支援の手立てを検討したいなら、個別の心理検査で、ということにしかならないというのが、もどかしい現実ではある。
3 2との関連で、児童が個別の心理検査を受けている場合は、学校の検査データとの間に著しい乖離がある場合がある。その理由を問題の内容や、統計学との関連で読み解く必要がある。
一斉型の学力検査の結果の解釈について、学級担任の先生が、数値だけを見て一喜一憂することがあるならば、神経心理学的アセスメント(生育歴情報、行動観察、標準化された心理検査を用いて行われる。・・・Yeates & Taylor,2001)に基づいて、わかりやすく説明することが必要と思われたのでした。
付け加えると、学力検査の数値が上がったとか下がったとか、それが学校の指導力の問題だとかのとらえ方は、単純に過ぎると思うのです。
『WISC-IVの臨床的利用と解釈』日本文化科学社、2012
http://www.nichibun.co.jp/book/detail/?id=1
高くて、難しめの本ですが、買って良かったと思っています。
WISC-4は「インテグレーテッド版」もあるそうですが、日本語版はありません。
「インテグレーテッド版」の下位検査との比較についての論述を読むことで、
WISC-4の下位検査の意味するところの理解がさらに深まりつつあります。
たとえば単語は、単語そのものの意味を知らないのか、
それとも意味は知っているけれども、その知識へのアクセスが難しいのか、
言語的に表現することが難しいのかは、インテグレーテッドとの比較で検討できます。
このことはたとえば、WISC-4の「単語」と、PVT-R(絵画語い発達検査)との比較も
重要であることを日常感じていることと、関連しているでしょう。
そんなマニアックな解釈は、日常の学習指導にどう関連するのかという疑問が出されそうですが。
ずばり関連しています。
自発的に説明する課題にするか、選択課題にするかなど、教材化の段階で、かなりの違いが出てきます。
説明や日常会話などでも、子どもの言語理解の力に合わせた対応が可能になります。
やはり検査は、そのやり方だけでなく、その検査の意味するところを深く理解することが大事です。
どなたかがおっしゃっているように、特別支援教育で大事なことは、「ハウツー」ではなく、「ホワイ」を追究することなのでしょう。つまり、指導の仕方を追究する前に、なぜこの子はこのような状態を示すのか、その理由、背景を深く訪ねること。その中に、答えはある。
私はずっとそのことを言い続けてきましたが、検査の意味を本当に理解している方は、そのこともよく理解されている、と感じています。
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「障害とは、理解と支援を必要とする個性」
「楽しさ、安心感があってこそ、能力は伸びる」
「遠くの専門家より、近くの子ども理解者」
自らが難病と障害を背負った今、当事者の気持ちに寄りそう特別支援教育の臨床を一層めざしたいと思います。
本年もよろしくお願い致します。