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某公立学校ことばの教室教員。公認心理師、言語聴覚士、特別支援教育士。 『クイズで学ぶことばの教室基本の「キ」』の著者。  SINCE 2000.1.1 
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「少人数教育の推進」またも見送りに

http://blogos.com/article/79290/
「少人数教育の推進」またも見送りに

第8次定数改善計画がだめになった頃に、特別支援教育が始まりました。
「特別支援教育は教員のリストラ策だ」と反対運動が起こったのも同時期。
通級はもう増えないのかなあと思っていたのもこの時期。

来年度も通級担当教員の増員が図られることは歓迎です。
ただ、財政状況に左右されずに、定数で確保しないと、特別の支援を要する子どもへの機会均等は保障されない。
教室ができるかも、できないかも、という不安が解消される時代が来ることを願います。

通常学級の人数を減らすこともセットで。

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「記述」よりも「技術」を



なにやら最近、支援者による「記述」へのこだわりがあるようですが。
読んでも「中身」がないのでした。
「日記」とどこが違うのでしょうか。
客観的な科学的記録ではなく、指導者側がどう感じたかを「記述」する事で、子どもの姿がありありと浮かんでくる、との考え方によるもののようです。
 そして、その「記述」を回覧し、「読み手」の指摘によって、客観性の確保がなされるとの主張のようです。
でも、実際の指導場面を見ないと、指摘などしようもないわけです。
文字を媒介してしまうことで、情報は単純化、記号化し、子供の実態からかけ離れてしまう。
確かに、客観的な科学的合理主義を子ども臨床に当てはめることに異議を唱えるのには、一定のインパクトがあり、理解できるところもあります。
「課題ができる、できない」だけでなく、子どもがどう感じたか、支援者がどう感じたかを省みるのは、たいへん重要なことですし、見落としがちであることも認めます。
だから、支援者と子どもとの関係性に着目し、気持ちを省みる「記述」の試みがあるのでしょう。

しかし、指導の様子や感じたことを文字化、記号化すること自体が、客観化の営みそのものであるという自己矛盾をどう説明するのでしょうか。

大切なのは実際の指導場面をお互いに参観しあい、協議すること、経験の長い先生のスーパービジョンを得ること。経験の長い先生が減った今、実務の中で研修するOJTこそが、今の研修に求められることです。

「正しい発音ができるようになって、満面の笑みをうかべる子どもの姿を見て、私もうれしくなりました。」

これは実際の話ですが、「記述」とは、たとえばそういうことなのでしょう。
しかしこの子の場合、どんな子どもの状態像があって、構音の状態はどうで、どういう指導手順を踏んだのかという客観的な考察を軽視してはなりません。

精神論だけに走ることの危険性を想うのです。
母親の接し方が悪かったから、という結論になりがちです。
元々そうなりやすかったという個体差を無視するのですね。

きれいな「記述」に時間をかける暇があったら、技術を磨く、子どもの遊びにつきあう、同僚に相談するということが大切です。
そうでなければ、「記述」は単なる自慰行為でしかないのです。

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メニエール病2周年。本人の内側からの理解による特別支援教育を

正確には診断を受けたのは2年前の3月ですが、今ぐらいの時期から、ちょっと首を動かしただけで嘔吐感がありました。
当時は胃が弱っているためだと思っていましたが。
長い間、点滴生活と投薬、ウォーキング生活をし、発症から半年で、右耳の聴力はじわじわ、奇跡の上昇。
現在では、右耳はどの周波数も10デシベルまで上がるときもあります。

でも昨年の4月には、反対側の左耳も難聴となり、再び長期の点滴生活に。
ただ、左の時は変調を感じてからすぐ病院へ行ったためか、聴力はすぐ上昇。
でも20~25ぐらいで固定した感。
疲れると、聴覚補充現象や、耳鳴りが起こることも。
発症時よりは、かなり減りましたが。
当時は人生がどうなるか不安だらけでした。

この病気になってわかったこと
1 わずかな雑音で聴き取れない。一度に複数の声が聞こえるとわからない。
2 音源が遠いと聴きとりにくい。
3 どこから、どの方向と距離から聞こえたかわからない。音源定位困難。
4 大声で話されるとよけいに聴きとれない
5 区切って、ゆっくり話されるとわかりやすい。視覚的補助。指さしだけでも、ことばの理解をすごく助ける。
6 音程が左右でずれて聞こえるので、全ての音楽はホラーものになる。音楽が楽しめない。これは今でも。
7 音が痛いという感覚を知る。
8 音楽が楽しめないなら、海の音でも聴いたら? という助言は、心の傷を深めた。
9 雑音が多いとき、収まるまで話すのを待ってくれたさりげなさが、とてもうれしかった。子どもへのセンスも抜群の先生。さすが。
10 毎月スマホ定額以上の薬代+診察費。だから?未だにガラケーで我慢。難病の出費の負担の大きさ、難病の種類の多さを知った。


などなど。
こうしたことは、本人でないとわからない。
なによりも、この症状を他人が理解しにくいこと自体が、本人にとってつらいのです。
ほとんど聞こえるのに、一部だけ聞こえないので、余計に誤解されやすいのです。

本人が書いた文献は、信頼性がどうしたとも言われますが、やはり自分もそうだったと感じる人がいることも事実。
自閉症の療育、教育には、マニュアル本の前に、テンプル・グランデンか、ドナ・ウィリアムズをお薦め。

本人の気持ちを内側から理解する特別支援教育でありますように。


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検査は何をやったらいいですか

検査は何をやったらいいですか。

というご質問をいただくことがあります。
就学にあたって。
でもこういう質問をされる方は、すでにご存じのはず。

幼稚園や保育園で、いつ、どこで、どんな内容で、どれくらいの頻度と量の支援が必要なのか。支援を受けてきたのか。
検査と同じかそれ以上に、その情報が大切だったりします。
就学にあたって、支援の連続性が保障されることで、楽しい学校生活が送れますように。



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ことばの教室に学習障害のある児童生徒が通級するということ




・LDのある児童についての相談ということで、お話を深くうかがっていくと、まず基本的な人と人との関係性が芽生え始めた段階のお子さん。「学習」云々の前に、もっと大事な指導があるのでは。でないと、バランスを欠いた育ちを示してしまうよと。

・LDは学校の先生だけでは判断できない。専門家の意見を聞くことになっている。
しかし、その専門家が圧倒的に少ない。指導できる先生も少ない。少なくとも私の周囲には、科学的エビデンスのもとに指導できる人はいない。

・知能検査の結果やアセスメント情報をたくさん見ていくと、そもそもLDとは何かという問題に突き当たる。「全般的な知能水準に遅れはないが」の「全般的な知能水準」とは何か?
田中ビネー?
でも田中ビネーのIQは、小さいお子さんの場合、そもそも正規分布ではない。
精神年齢/生活年齢×100

ではWISC?
でも、指標得点間に有意差があるときは、FSIQは慎重な解釈を・・・。
下位検査がばらついても慎重な解釈を・・・。

知的障害との境界は?

数値的はわかっているけど、機械的には決められない。
結局は一人一人について、教育的判断をしていくしかない。
でも判断した先に、支援体制がその学校に整えられるのか・・・。

・そもそも、LDに本気で対応するための週5~8時間確保できる教員配置がなされていない。おまけに行政からは、通級担当教員配置のための時数、教員確保にあたって、「教科の指導補充の時間は原則含めないこと」というお達しまである。つまり「自立活動」以外の指導は保障しない、と言っている。


理想は高いけど、バックボーンが整っていない。

ひとつだけ確認したいこと。
学習障害の通級指導は、成績を上げるために行うのではない!


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成人期の発達障害



『こころの科学 2013年9月号 成人期の発達障害』
 http://www.nippyo.co.jp/magazine/6235.html


色々考えさせられました。
高校までは、ちょっと変わったところもあったが、それほど困ることなく無事卒業。
しかし就労してから、人の気持ちのオモテ、ウラが多くて混乱した事例。


逆に、小さいときは自閉症としての支援を受けてきたが、
40歳を過ぎて、コミュニケーションスキルが著しく向上した事例。


そこには、「診断」「判断」「検査」とは別に、「人」を長い期間で
見ていくことの重要性を感じました。


就労に関しては、仕事の能力そのものよりも、対人生活や日常生活スキルなどのソフト面でのトラブルで辞めていく人が多いと言うことも、改めて示されました。


「大人になったら自然に治りますよ」は違う。
逆に
「障害なのだから、一生変わらないですよ」も違う。


小学校教員として、その子の将来を見据えて、支援の優先順位を見定めることの必要性を改めて考えさせられました。

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「学校は勉強するところ」の勘違い



確かに勉強するところなのだけれど、勉強だけをするところではない。
勉強だけが目的なら、全ての子どもは、自宅で動画を見て勉強すればいい。
あるいはアプリで学習を。
その方が、「質」は高いかもしれない。

でも、なぜ子どもたちは一カ所に集まるのか。
「学ぶ」だけでなく「学び合う」ためでしょう?
つまり、友達と出会って、社会性、コミュニケーションが育つ場。

「学習」以前に、マズローの基本的な要求が満たされていない子が多くいます。
つまり、生活すること、生きることそのものが安全であるのか。
学校は、そうした中で安全基地の機能を果たす面もある。

ネットが家庭にあまねく普及したら、学校は不要になるという極論もあるようですが、そもそも、「学校」を本質的に勘違いしているのではないでしょうか。

そして、支援者は、自身のおいたちの中で、学校をどのように位置づけて生きてきたかが、今の学校観に影響しているという、メタ認知が必要だと思うのです。



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検査の倫理




吃音の通級指導と、検査との関係について質問がありました。
以下、私の回答です。

ーー


検査については、吃音に限らず以下の前提が必要と考えています。

1)支援に生かせるものであること。支援のための検査であること。
2)検査だけでなく、日常の行動観察や情報と付け合わせて判断すること。
3)標準化されたものであること。学術的に広く支持されていること。
4)検査の背景理論を踏まえた上で活用すること。
5)検査は数値だけでなく、行動観察なども含めて解釈すること

客観的なデータは、過信してはいけませんが、アセスメント情報の一部をなすものです。
必ずしなければならないものでもないでしょうし、検査の限界を踏まえた上での活用ということだと思います。
 
ーーー

検査の選択には、各検査の背景理論を理解しておくことが大事です。
とりあえずWISCをとって数字を出すか、というスタンスなら、行わない方がいいでしょう。
背景理論をわかっていれば、選択に迷うことはないでしょう。





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タブレットの書字アプリで、筆順マスター、書写銅賞


タブレットで、ひらがなの筆順を正確に覚えたので、鉛筆を持たせてからも、8割、9割正しい筆順です。筆順は、きれいな字の条件のひとつです。
筆順が全てではないし、むしろこだわらない方がいい場合もありますが、タブレットが書字の興味関心、視空間認知を育てたことは、疑いないです。鉛筆を持った時に、筆順への注意への負荷が減ったことも間違いないでしょう。


やれとは言わず、子ども自ら。
筆順を間違えると、線の色が赤に変わります。正しいと黒に戻る。連続的即時強化、おそるべし。アプリ名は、「ひらがななぞり」。アンドロイド版。

賞をとるためでなく、子どもが文字で伝える喜びが目的。手紙ごっこ等がベースにあります。にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
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『WISC-4の臨床的解釈と応用』何度も読み直しています 10 「知的障害」




以下はWISCに限りませんが、


・数値だけを言えば、軽度知的障害は、IQ50-55から70くらいまでの範囲、または-2SD。
・軽度知的障害では就学まで気づかれないことも多い。より軽い場合は、就学中に気づかれることが多いが、卒業後は一般社会に溶け込むことが多い。深刻な事態に陥って初めて援助を必要とする。
・WISC-4で測定できるのは、IQ40。それ以下は的確に測定できない。
・DSM-4では、適応行動を構成する10種類の特定のスキル領域を明らかにしている。コミュニケーション、自己管理、家庭生活、社会的・対人的技能、地域社会資源の利用、自律性、発揮される学習能力、仕事、健康と安全、余暇。


通常学級でやってみて、だめなら特別支援学級、という話がありますが、逆の方がいい場合も多いかと。
つまり、初めにしっかり個別で力をつけてから、大海原へ。
いちがいに言えませんが。


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【自作教材】豆ちゃんすごろく Ver.2


イラストの質問に答えながら進めるすごろくです。
ver.1に比較して、

1 相手に対して、「好きな食べ物は?」など何か質問できたら、豆ちゃんカードをもらえる。質問に答えた人ももらえるなど、参加者の双方向の言語コミュニケーションの強化。

2 内緒話をし合っている絵を見て、どんな話をしていると思う? など拡散的な質問の増量。
 (話している人の表情から読み取る、想像力を育てるなど)

3 お守りを信じますか? それはなぜですか? など、「なぜ」を問う問題の増量。

など、VER.1に比べて難易度が上がっています。
ただ、イラストでの質問なので、子どもの実態に応じて質問内容を変えられるのが特長です。

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「S-M社会生活能力検査」に代わる新しい検査


出ているようです。検査名は、ここには書かないでおきます。

「メールの使用」が入っているなど、時代を反映していますね。
メールは現代の子であればほとんど使えてしまうと思いますが。
やはり年齢の高い通常発達のお子さんにかければ、「天井効果」が出てしまうようです。

でも、支援の必要なお子さんには参考となる検査なのでしょう。
入手方法を検討中です。

検査が全てではないですが、支援者が子どもを見る視点を持つということ自体にも意味があると考えます。
逆に、特定の検査を絶対視してしまうと、子どものトータルな姿を見落とす可能性も。
どんな検査でも、測れるのは、子どもの一側面に過ぎません。
また検査は、あくまでも支援につなげるために行うものです。

今度開催予定の公的研修講座のタイトルは
「『ことばの専門家』というだけでなく、『その子の専門家』に」

「ではなく」ではなく、「というだけでなく」です。

スペシャリストの視点と、ジェネラリストの視点、両方大事です。
どっちかの方が大切だという議論がありますが、両方大事なのでは。

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自主研修会3日目 WISC-4実技研修会 2



検査時の行動観察がとても大事だという話をしました。
具体例をあげました。
それが日常でも見られることなのか、検査時だけの特性だったのかの情報も重要です。

どういう順番で、どういう風に、どれだけ時間をかけて。
あまり考えないですぐやってしまうのか、石橋をたたいて渡る感じなのか・・・。

検査の報告というのは、こうしたことも含めての解釈結果をお伝えするのでなければなりません。


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自主研修会3日目 WISC-4実技研修会

通級担当、特別支援学級担任、特別支援学校担任、パラメディカルの方も集まり、WISC-4の実技研修会でした。

WISC-4は、一般の人にその内容を開示してはいけないのですが、資格がなくても学校では買えてしまいます。
買えてしまう以上、その職場の先生方には、理論と実技の正確なところをお伝えし、研修を深める環境を用意するのが、特別支援教育士の役目だと思います。

はじめにWISC-3からの変更点を説明しました。
言語性IQ、動作性IQの廃止、それらよりも群指数が大事だと言われていたこと。
「知覚統合」→「知覚推理」、「注意記憶」→「ワーキングメモリ」の名称変更は、単に名前が変わったのではなくて、哲学が変わったものであること。

標準化された知能検査は、たとえば学習障害の判断のためには必須であること。
(これは、『教育支援資料』(文部科学省、H25.10)にも明記されています)
逆に言えば、標準化されていない検査では、検査の妥当性、信頼性に問題があり、「学習障害」の教育的判断の根拠に問題が生じます。

下位検査ではたとえば、「絵画配列」の廃止を惜しむ声が聞かれるが、「系列化処理能力」を測っているという証拠がないことや、文化的な背景が関与するなどの理由のために廃止されたこと。などなど。

少なくとも特別支援教育士は、古い検査ではなく、新しい検査を使用することが求められていることを説明しました。
WISC-3日本語版は、1991年にできたので、今使うと、23年前の子どもとの比較になるわけです。

このあと、実際の実技を行いました。
標準化された検査で、我流は許されません。
細かい点でも、誤った使用の仕方があれば、指摘させて頂きました。

これ以上はブログには書けません。

最後に解釈を説明しましたが、理解は難しいですね。
統計学や心理学の知識が必要になります。

ただこだわったのは、日常の行動観察の情報、生育歴情報と付け合わせて解釈すること。



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自主研修会2日目  理学療法士とコラボした専門性の高いケース会議




今日は、ケース会議でした。


特別支援学校の理学療法士の先生にもご参加頂き、その話の内容に目から鱗でした。
専門性のある方のお話は、本当に知的好奇心を刺激されます。
排泄と腹筋、座位姿勢、力の入れ方、社会性、手指の発達、補助具の意味などなど。


知識が増えることで、子どもたちの困り感にフィットした支援につながるのは、とても素敵なことです。
こうした先生が普通学校にも入れるようになってほしいものです。


STとPTとのコラボで、今日のケース会議は深みと専門性の香り高い研修会になりました。
多職種で、一人の子のことをこんなに掘り下げて検討するわけです。
これが、ほかの子にも日常的にできるようになるといいですね。
時間的、人的制約は著しいですが。


ケースレポートも5年もやっていると、本当に質が上がっています。
アセスメントレベルが向上しています。
自主研修会に長く参加されている先生のレポートを見ると、本当に力がついている、と実感できます。

アセスメントがしっかりしていないと、指導の手立てもフィットしません。
ここを軽視していると、指導の手立ては、刹那的な思いつきの次元を克服できないのです。
「教材紹介」の次元。
子どもの実態がどうで、何をねらってその教材をどのように使うのか。
その議論が抜けた指導は、単なるお遊びに過ぎません。


明日はWISC-4実技研修会です。
今まででより、より解釈に力を入れます。
でも、学説的な話になるので、ちょっと難しいでしょう。
WISC-3の研修を別のところで受けた先生も参加します。
せっかくなので、3と4との比較も徹底的に説明します。

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特別支援教育における「都市伝説」

・「発音は自然に治る」
→自然に改善する場合もあれば、そうでない場合もあります。
発音の誤り方や性質、他の要因などを検討し、自然に改善するかどうかを推定し、指導の必要性を検討することが大切です。専門性が必要です。

・「吃音は、場数を踏めば治る」
→吃音は、緊張するからどもるのではなく、どもるから緊張する、というベクトルを無視しています。脳機能の問題から症状が発生しているのであれば、緊張の有無に関係なく症状は出てきます。色々なところへ連れて行って場数を踏めばいい、というのは単純にすぎます。

・「場面緘黙は、自然に治る。場数を踏めば治る」
→思春期を過ぎて自然に改善する事例も確かにあり、かつてはそれが全てと考えられていました。しかし予後調査で、心理的な病、引きこもりなどに至る例も多くあることがわかってきました。まずは安心して学べる場所、人、活動内容を保障し、徐々に他の要素を取り入れて慣れていく系統的脱感作などのアプローチが重要とされるうになってきました。

・「LD、ADHDは脳の微細なキズが原因」
→特別支援教育を動かす立場の方の発言で、ちょっと信じられませんでした。
「MBD」という脳の微細なキズが原因であるという説は、一時はやりましたが、今では完全に否定されています。もちろん脳損傷などにより、脳機能に障害が生じることもありますが、発達性の場合は、CTを撮っても映らないことの方がはるかに多いです。

・「発達障害は、分娩時に薬で時期を調整するのが原因」
→これも立場のある方の発言で、残念です。もしそれが本当なら、とっくの昔に統計的な有意差として報告されているはずですが。自閉症は水銀が原因という説も、世界的な研究で4回も否定されているのですが。

・「検査を行えば全てわかる。面接すればすべてわかる。授業参観すれば全てわかる」
→どれか単独での判断は非常に危険です。それぞれを組み合わせて検討することです。
それぞれは、子どもの一側面を示すに過ぎません。
今回の就学相談でも、面接時の様子しか書かれてない報告書については、全面書き直しをお願いしました。あるいは検査結果だけとか。就学先を決定する立場の人は、責任が重いですから、妥協せず、憎まれ役を買って出て、アセスメントの基本を徹底してきました。


これらの都市伝説は、研修によって回避できるはずなのです。



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『WISC-4の臨床的解釈と応用』何度も読み直しています9 「注意記憶」と「ワーキングメモリ」


注意 / yoppy



「WISC-3の「注意記憶」(被転導性からの解放)は、ADHDを測る値ではない」

WISC-3の「注意記憶」は、「数唱」と「算数」から成り立っていました。
しかし、それらでは、「被転導性からの解放」を測ることはできないし、そもそも「被転導性からの解放」という概念自体がはっきりしているのか、と言われるようになりました。

WISC-3の「注意記憶」では高いのに、DN-CASの「注意」はとても低いということがありました。DN-CASの「注意」の方が、ワーキングメモリの概念に近いのではないかなと。

また、「算数」は、数的能力も関与するので、「注意記憶」の群指数の中に入れることに対して、多くの批判が出ました。

さらに、「注意記憶」とADHDとは、統計的な関連性がない。
だから、「注意記憶」が低いという理由だけで、ADHDの診断、判断はしてはいけない。

「数唱」の逆唱は、ワーキングメモリであるとも言われました。
確かに順唱よりは、ワーキングメモリに近いのでしょうが、WISC-4では「語音整列」を加えることで、よりワーキングメモリの概念に近づいたと言えます。

ワーキングメモリと、短期記憶とを混同している事例も見受けられます。
ワーキングメモリには推理なども加わるし、色々学説があるので、それらを敷衍しつつ、WISC-4は解釈されなければならないでしょう。
「長期記憶からワーキングメモリにダウンロードされる」という表現、おもしろいです。

一方、検査では、聴覚的なワーキングメモリを測っているのであって、そこに視覚的なヒントが加わったら、既に測れていないわけです。

「WISC-4インテグレーテッド版」では視覚的なワーキングメモリが測れるようですが、日本語版はありません。翻訳しているうちに、WISC-5が出たりするかもしれません。


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『WISC-4の臨床的解釈と応用』何度も読み直しています8 「単語」

working in teams - 無料写真検索fotoq
photo by Matthieu LIENART

「単語」は、一般知能(g)への負荷量がもっとも高い。→高次の思考が迅速に処理されるためには、より多くの関連性のある情報を整合性のある全体としてまとめあげることが必要。

たとえば、「救助活動」という単語の意味を考える際、遭難者を実際に救助している状態の一コマを「救助活動」という考える場合があるでしょう。
一方では、遭難信号や通報を受けて出動し、吹雪の中の山をチームを組んで登り、遭難者を発見、保護し、手当てして、下山して、救急隊に委ねて、詰め所に帰り、ビデオで救出までの作業を反省する、という一連の過程を「救助活動」と言うかもしれない。
(実際、専門的にはなんと言うのかわかりませんので、たとえ話)

色々な定義があっていいけど、文脈から正確に捉えられないと、様々な行き違いが生じます。

乳幼児が、風呂上がりのサインに「もうあがるよ」という言葉がけを受けていたとき。
お父さんはその際、偶然に足を動かした、手を動かした、タオルをしぼった、向こうからお母さんの食事の用意の音が聞こえた・・・。
あるいはお父さんはがため息をついた・・・。

様々な雑多な刺激の中で、「もうあがるよ」という音声言語と、実際に風呂から上がる、という体験とが結びついて行くには、何度も同じ経験を繰り返し、その結びつきの発見に至るプロセスがあるわけです。

風呂から上がる、という行動、出来事自体も、様々な経験の中から、意味のある行動単位としてまとめあげて理解していくわけですが。

そして、食事の用意の音は、お風呂上がりとは直接関係がないが、風呂上がり後に食事がある、ということのサインでもあるわけです。

「単語」が、一般知能(g)への負荷量が最も高い、というのは、統計学に基づくのでしょうが、子育て経験からも、納得です。

ただ、「単語」だけでなく、他の下位検査や、データがあればPVT-R(絵画語い発達検査)などと比較することが大事ですね。


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『WISC-4の臨床的解釈と応用』何度も読み直しています7 ワーキングメモリの下位検査の差異

3_D308389-Rush Hour in Taipei City, Guandu Bridge, Tamsui River, Taipei, Taiwan 關渡大橋-淡水河-河流-橋樑-黃昏-夜景-車軌-八里-北投-台北縣-台北市 - 無料写真検索fotoq
photo by 棟樑‧Harry‧黃基峰‧Taiwan

ワーキングメモリの下位検査である「数唱」と「語音整列」との間に有意差があるときは、ワーキングメモリの解釈は慎重に行います。
これは、他の下位検査や指標得点でも言えますが、「数唱」と「語音整列」との間の有意差の判断は、「表」を見れば解ります。

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WISCー4の臨床的解釈と応用』何度も読み直しています6 「有意差」と「標準出現率」



15%、あるいは5%水準で「有意差」がある時、大きな差だととらえるのが一般的ですが。
「標準出現率」が大事ですね。

5%水準で有意差があっても、「標準出現率」は高いことがある。
そのような差は、多くの他の子にも見られますよ、ということ。

「有意差」と「標準出現率」とは別物。

(総務省とWISCとは何の関係もありません。ただ、「統計」つながりというだけです。念のため)








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先生にとっては「練習」、子どもにとっては「遊び」をめざす








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WISCー4の臨床的解釈と応用』何度も読み直しています5 ディスレキシアの診断

「特異的LD、特にディスレキシアの診断におけるディスクレパインシーの妥当性は欠如」

読みの能力を測るには、読みそのものを検査する必要があるでしょう。
WISCだけでディスレキシアと診断(判断)することはできません。
学力と比較しても、その差異がなぜ生じるのかを見極めることが必要です。
差異だけで、ディスレキシアと判断することはできないでしょう。
他にも様々な可能性があるわけです。

そもそも、純粋なディスレキシアと判断できる子どもに、私はあまり出会ったことがありません。
17年間で1~2例ぐらいです。

詳しく見ていくと、状態としては確かにディスレキシアのようですが、ほとんどは言語発達の遅れ、言語性のLDを伴っています。

ディスレキシアは学術用語なのに、定義をよく知らず、文字が読めないからディスレキシアだ、と安直に判断してしまう事例が見られます。

特に低学年のうちは、鑑別が困難な事例の方がはるかに多いでしょう。

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検査への批判とRTIモデル




ある方からメール頂き、思わず長文のお返事を書かせて頂きました。
以下は、一部引用です。

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おっしゃるとおり、とても大事な視点をご提供頂いているように思います。
検査はそれが一人歩きしたり、障害をほじくる意図的な解釈に至ってはいけませんね。

全くその通りと思いますし、私自身もそのことを常に意識していかなければならないと思います。

検査は苦手分野をほじくって、「平均」「標準」に近づかせるためではなく、得意分野を発見し伸ばす、あるいは、得意な力を生かして苦手分野を解決しやすくする お手伝いのために実施するものですね。
苦手分野をほじくるアプローチは、学校の先生に多いと聞きますが。(^_^)


また、「この値」「この傾向」の意味するところは、子どもによって違いますので、日常の様子と掛け合わせて、検査結果を解釈する必要があります。

同じ全IQなのに、予後はみんな全く違っていた、という論文は目にすることがあります。
だから数値だけで解釈してはけない、ということだと思います。

カウフマンは東京での講演で、「数値だけでなく、検査時の行動観察こそ重要だ」と何度も言っていました。
たとえば、「保続」があるためにケアレスミスが多くなるというような検査時の様子があるお子さんで、日常の学習でもケアレスミスが多いという場合に。
検査で、その原因が「保続」ではないかと仮説が立てられます。

日常では、学習課題が一つ終わる毎に、終わり、次の課題に行く、を明示して、過去の記憶に引きずられないように配慮するというアプローチが考えられます。
だから、低い能力を見つけてそれをほじくり返すというより、子どもがより楽しく、楽に、学べる環境を用意するために検査を行うのでしょうね。

構音指導時にも、「保続」が影響しているならば、それに配慮した指導が考えられます。


検査活用のよくある間違いは、IQを伸ばすために訓練するというものです。
こうした誤解や、誤った活用があまりにも多く見られたために、また、解釈のあり方があまりにも恣意的だったり、統計学に基づかない明らかに誤った解釈が横行したために、検査の実施者、実施手続きの制限が厳しくなった、と聞いています。

全ての関係者が、検査の理論や実施の研修をきちんと受けていれば、全ての方に検査内容を開示して良いと思いますが、現状、私も危機意識を持っていますし、きちんと訓練、研修を受けた方が実施する、という方向性はやむを得ないと考えています。

検査はそれだけで解釈するのでなく、日常の様子と掛けあわせて解釈しなければいけませんね。

検査へのアンチテーゼとして、RTIモデルなどがあると思います。

RTIでは、検査自体への厳しい批判があり、検査の存続自体を揺るがす説得力を持ちました。
だから、WISC-4では、科学的な根拠にさらに磨きをかけたと聞いています。

逆に、RTIでは「なぜできないのか」を掘り下げて検討することが難しく、また、RTIモデル自体が信頼性に乏しいと指摘されています。つまり、主観や環境条件に左右されやすい。

検査はこれら、様々な学説の大海原の中で、どのような位置づけにあるかと言うことを 俯瞰できる方が、実施、解釈しなければならないと感じています。

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WISCー4の臨床的解釈と応用』何度も読み直しています4 重大な言語障害を見逃す可能性

 


受容言語、表出言語に障害あるのに、単語の読みやデコーディングスキルは標準→重大な言語障害を見逃す可能性がある。

読みが流暢なので、この子は問題ないですよ、という話をよく聞きます。
でも、読んでいても、内容がつかめていないなどのことは、よく調べるとわかることがあります。

また、書道何段というような美しい字を書けても、内容理解に至っていないのを見逃すことはよくありえることです。

LDでも、知的障害でも。

その子に合った指導内容になっていない可能性が。

心理検査と、日常の学習面とのかけ算で判断することの大切さを思います。


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『WISCー4の臨床的解釈と応用』何度も読み直しています3 4つの指標とGAI

ブログ上にはあまり詳しく書けませんが、WISC-3の時から、「GAI」(一般能力指標)で検査プロフィールを分析する研究があって、4になり、ますます重要度が増したように感じました。

4つの「群指数」が、「指標得点」となり、「注意記憶」が「ワーキングメモリ」になって、「知覚統合」が「知覚推理」に変わったことも大きいでしょう。

つまり、「言語理解」「知覚推理」対「ワーキングメモリ」「処理速度」。

「GAI」とは・・・、と書きたいところですが、やめておきます。
お知りになりたい方は文献にあたってください。

「パズルのようなものをして、どうして『目からの方が入りやすい』と言えるのだろう」と、3の「知覚統合」の時は思っていましたが、「知覚推理」に変わり、下位検査も推理面を純粋に測ろうとするものに変わったので、納得しています。


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