ハンドルネーム ya
某公立学校通級指導教室担当教員
言語聴覚士
特別支援教育士(S.E.N.S)
性別 男
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事態は複雑なようなので、ゴーストライターの有無の是非については論じません。
ただ、難聴について、一部誤解のある報道があるようなので、当事者の一人として言わなければと思いました。
・伝音性難聴=耳から入った音が、鼓膜→耳小骨→蝸牛の聴覚神経に届くまでの問題です。音の震えが物理的に伝わる段階。
・感音性難聴=聴覚神経から脳に届くまでの問題です。電気的な伝達の問題です。
この2つの鑑別のためには、気導聴力検査と骨導聴力検査を組み合わせます。
気導は聴力レベルが低くて、骨導に問題がないなら、音の震えの物理的な伝達の問題が疑われます。
骨導にも聴力低下が見られるなら、感音性難聴を疑います。
両方を合わせ有する方もいます。
必要に応じて、他の検査も組み合わせて総合的に診断します。
ちなみに、音の歪みがある場合、「ピー音」も歪んで聞こえることがあります。
しかも周波数によって、歪んだり、歪まなかったりすることもあるでしょう。
私の場合、調子がわるいと、125,250,500Hzだけが歪んで聞こえることがあります。
でも「聞こえる」=「正常範囲」と判断されてしまいます。
1 「障害者手帳の有無」と、「障害の有無」とは一致しません
→聴覚障害として認定し、手帳交付のためには一定の基準にあてはまらなければなりません。
手帳交付の対象とならず、補聴器を装用している子はいっぱいいます。
その場合は行政の支援の対象とならず、補聴器は全て自己負担で購入です。
2 感音性難聴で、音に歪みがある場合、補聴器が有効でない場合が多くあります。
→補聴器で音を大きくしても、歪んで聞こえることに変わりはありません。
両手で口をふさぎ、「ゾーサン」と言って、人に聞かせてみてください。
「いまのは、ゾーサンでしょうか、ローソンでしょうか?」
聴覚障害の理解のための疑似体験の一つです。
音を大きくしても聞き取りはよくなりません。
3 大声で話せば聞き取りやすくなるわけではありません。
大声で話すと、後続母音は大きくなりますが、子音が大きくなるわけでないので、余計に聞き取りにくくなります。
たとえば「カサ」は、発音記号で /kasa/ と書きます。
大声にすると、子音部分の /k/ /s/ よりも、 /a/ の部分が強調されるので「ああ」のような感じにしか聞こえません。 / k / も /s/ も、無声子音(声帯を震わせない音)なので余計です。
4 会話の中で、手話を必要とせず、一部聞き取れる場合があります
「これが、HIROSHIMA ですね?」 → 「そうですね」
という会話が成立したから、聴覚障害ではない、という鬼の首をとったような主張がありますが。
場の状況から、「これが、HIROSHIMA ですね?」と尋ねられたのだろうということがわかれば、返事ができるわけです。
「たとえ、『これが、いろいま でえね」のように聞こえても、おそらく質問者はこう質問したのだろうと推理できるわけです。
作曲について会話したときに、目の前の譜面について尋ねられたら、ほとんど質問の内容は限られるわけです。質問者も譜面に視線を向けながら質問していますし。
そもそも、机の上にHIROSHIMAの譜面が載っているということは、載せるまでの経過があるわけです。
「譜面を見せて頂けますか?」
というやりとりを事前にしなければ、机の上に譜面が載っているわけがないのです。
そうしたやりとりの経過も、会話内容の推理に大きくかかわります。
逆に言えば、会話に脈略がなく、突然違う話題を持ち出されたら、とてもわかりにくいでしょう。
それは聴覚障害のない人にとっても同様ですが、聴覚障害があれば、そのわかりづらさはとても大きくなります。
このように聴覚障害者は、場面の状況、発話者の口元などから、いつも必死で会話内容を推論しているわけです。他の人より何倍もエネルギーを使います。だから疲れます。
でも手帳の対象にならないのです。
むしろ問題なのは、手帳交付の対象にならない障害の程度に対して、行政が手をさしのべていないところにあるのではないでしょうか。
聾学校の先生がお越し下さるとのことで、地域の難聴学級のある学校の先生方、幼児発達支援の先生、特別支援学校の先生に声をかけたところ、たくさんの方が集まってくださいました。
それぞれ春休みで、自分の学校の中だけでも忙しさのピークであるにもかかわらず。
色々と、職員派遣依頼するのはどっちなのか、公文書を出すのは誰なのかと、調整にかなり手間取りましたが。
一昔前なら、何の問題もなく集まれたのですが、会計検査院の調査の後からは、みんな萎縮しているし、形にうるさくなりました。
子ども中心の学校運営は、昔の方がやりやすかったなあと。
性悪説で教師を見ていったら、昔ながらの良いことまで削られるのです。
それはさておき、やはり専門の先生のお話は説得力があります。
実際の人工内耳やFM補聴器を見せてもらいました。
初めて知ったこと。改めて確認したこと。
・FM補聴器は、チャンネルが6個までなので、同一学校では同時に6個までしか使えない。また、同時に同じチャンネルで複数のマイクを使ってはいけない(混線するので)。(考えてみれば、当たり前です)
・回覧された、聾学校の自作プリント教材は優れもの。ことばの教室でも使えると思いました。
印象的には外国の方が、日本語を学ぶ時の文法や語いなどを扱っているように思えました。(パッと見ですが)
・話しかけて聞き返されると、だんだん単語だけでもう一度言うようになるが、かえって文で伝えた方が良い。
「鉛筆」だけでは、「置いて」なのか「持ってきて」なのかわからない。文と一緒に語いは獲得する
→幼児の反応を見ていても、それがよくわかりますね。「語い」は、生活文脈、話しの文脈の中で獲得するのは、難聴でないお子さんでも同様のはずです。
いずれにせよ、聴覚障害に関連して、関係者が顔を合わせられたので、今後については、今回集まったメンバーが連絡を取りながら、パートナーティーチャー派遣事業を合同で活用することなどで一致しました。
放課後が指導の混雑時間である私は、今後、放課後の会議には出席できないだろう、だから先生方で自主的に動いて欲しいとお願いしました。
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聴覚的認知が苦手なお子さんの場合、聴力検査を行って、聴力が正常域であるかを確かめることが必要なことがあります。私が通級を担当して以来、通級指導時の聴力検査で初めて聴力に問題があることがわかった子が数名いました。
また、聴力(きこえ)と聴覚は、まったく別物です。
きこえがよくても、語音の認識能力に苦手さがある場合もあります。それがLDにつながるわけですが、聴力を確かめずにLDと判断してしまうケースがあるのでないかと危惧します。
小学校低学年であれば、1年生の聴力検査以降に、中耳炎による聴力障害が見つかることもあるし、高学年でも耳垢がたまってきこえが低下している場合もあります。除外するために、少しでも疑ったら検査した方がよいでしょう。
片側性難聴と耳鳴りが伴うと、一層聞き分けが難しくなるのを実感しています。
つまり少しでも雑音があったり、同時に複数の人が話すと、人のことばを聞き分けるのが難しくなります。
また、環境音にしても、語音にしても、音がインプットされた段階で、耳鳴りの「ボリューム」?が大きくなり、聞き分けの困難さに拍車をかけます。
時によっては、その声がどの方角から聞こえたかわかりません。
後ろで話しているらしいのに、壁に反射した前方からメインに聞こえたりします。
片側が聞こえていれば問題ない、というがいかに誤解であるかを実感しています。
成人の片側性難聴の方もそのようにおっしゃっていました。
きっと天は、もっと当事者の気持ちによりそいなさい、と呼びかけてくださっているのだろうと思います。
私の人生、ずっといろいろなことでそうでしたから。
*
同僚には「私にとって都合の悪いことは聞こえません」と冗談を言って、余裕があるフリをしていますが。(^_^;)
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夏季休業中、地域の発達支援センターで、聾学校の先生が
講座を開いて下さるという案内を頂き、参加してきました。
講座のメインは「難聴の疑似体験」でした。
ヘッドフォンで音楽を聴き、周りの会話が聞き取れない体験をすることで、
難聴のある子どもの心情を理解するものです。
一人ずつ順番に体験し、yaの番になりました。
みんな楽しそうに話していますが、私にはさっぱりわかりません。
みんなが爆笑するのを見て、私もつられて笑いましたが、
内容はわかっていませんでした。
だんだん、腹立たしい気持ちになってきました。
ヘッドフォンをはずし、講師の先生に「何の話をしていたかわかりますか?」と尋ねられました。
「実は、ya先生の娘さんの話をしていたのですよ」と言われ、
親をさしおいて、と腹立たしさがさらに増しました。
講師の先生はおっしゃいました。
「難聴のある子は感情のコントロールが難しいと言いますが、
聞こえなければ孤立感を深め、腹立たしい気持ちになるものです」
「一度でも、ある人と気持ちが通じたという体験があれば、
その人に安心感を持ち、頼りたいと思うようになります。
ジェスチャーや文字など、他の手段を使って、気持ちを
わかってもらえるということがとても大事なのです。
これは発達障害の子も同じです」
また講師の先生は、「難聴の疑似体験はこんなに簡単にできます。
周りの理解を得るためには、疑似体験がとても有効です」とおっしゃいました。
*
とても貴重な体験でした。
そして、「指導方法」とか、「改善目標」の設定とかの前に、
子どもの心情を内側から感じ取ることがとても大切だと
改めて認識させられました。